「何者かになりたい」と向き合う
映画、小説、漫画。ありとあらゆるコンテンツを消費する毎日。
「めっちゃいいなー!何歳くらいなんだろこの人?」
自分が感動した作品の制作者や関係者のプロフィールをよく調べる。
数年前だったら、
「あーこの人は80年代生まれなんだ、大人だな。まあでもだったら僕でもまだ何者かになれる可能性があるな。だって僕はまだ若いから、時間はたっぷりある」
と思っていた。
しかし、最近は憧れている人たちの生まれ年が自分と近くなってきている。「大人だから」と、自分に言い訳をするための材料が底をつきかけている。
何者かになった人たちは、年齢に関係なく努力してるし、辛い経験も乗り越えてきたはず。
そんな人たちに対して僕は何をするわけでもなく漠然とした「何者かになりたい」という感情に取り込まれているだけ。
傲慢で、浅はかで、幼くて。
黄色のアイツとゴムのアイツ
幼い頃の僕はもっと具体的(?)な夢を持っていた。
実家の壁に、保育園で作った短冊がいまだに飾ってある。色褪せた紙に原因のわからない茶色のシミがついた短冊。いつかの7月7日に他の園児たちと一緒に願い事を書き、家に持ち帰って飾っていた。
約20年前の純粋な僕の夢、なりたい人が記してある。当時の僕は「何者か」ではなくて明確に「なりたい人」がいたということだ。
短冊にはこう書かれていた。
「ストレッチマンになりたい」
本当にその願いは正しいのだろうか過去の自分よ?黄色い(ほぼ)全身タイツに身を包んだ「お兄さん」と呼ぶには少し歳を重ねた男性に僕は憧れていたようだ。
『ストレッチマン』
体操をすることで体内に溜めたストレッチパワーで、敵を倒す、そんな実写劇のようなものだったと記憶している。番組が撮影されるのはいつもどこかの小学校のようで、いつか僕の学校にも来てくれたらなーと思っていた。
正直今となっては、どこに魅力を感じていたのかわからない。
面白い、とかなら分かるけど、憧れるほどだろうか。
1年に一度だけ自分の願いをわざわざ紙に書いて祈る、そんな日に僕は黄色い全身タイツを着たいと願っていたのか。
当時僕は『ワンピース』のルフィにも憧れていた。地元の有線放送にインタビューを受けて、ルフィになりたいと答えたことをなんとなく覚えている。
当時、放送を聞いた友人の父親と遭遇し、「あっ、ルフィになりたい〇〇君じゃん〜」と言われたことがあった。幼心にも恥ずかしいと思った。というか、園児の夢に対してその対応はどうなのだろうか。まぁ、悪気がなかったことはわかるけど。
ストレッチマン、ルフィ。
両者の共通点を挙げるなら主人公でヒーローだ、ということだろうか。弱気を助け、敵を倒す。わかりやすくてかっこいいその姿に僕は憧れていたんだと思う。容姿に関係なく。
寧ろ、ストレッチマンの姿を訝しむ現在の私が恥ずかしい。当時の僕はそんなことより本当のかっこよさに目を当てられていたんじゃないだろうか。いやきっとそんなことはなくてもっと単純だっただけだろうけど。
今の僕はヒーローという存在から程遠い者になってしまった。
理不尽にモノを言われている人を見たら、割って入ることもなく静観し、大変だったねと声をかけるだけ。
議論を避けるため適当にパートナーをあしらっていた。
何事もやり遂げず、ただ消費するだけの毎日。
ストレッチパワーは溜まらないし、悪魔の実を食べたわけでもないのに僕は沈む、海ではないなにかに。
『人間』
仕事を辞めてから数ヶ月が経過した。
面接で落とされる度に全てを否定された気持ちになりつつも「僕を落とすなんて、ここの人事は優秀だな」と思ったりもしている。皮肉でもなんでもなく本当にそう思う。
僕はこのまま適当に生きて、なんとなくで毎日を過ごしていくのか。完全な絶望ではないが決して輝いてもいない日々を消費する。
「〇〇になりたい」
「〇〇をしたい」
なんて言えるような状況じゃない。そう言い訳して努力もせずにただただ嘆いていた。現実は甘くない。
「何者になる必要なんてほんとにあるのか?」
そう考えるようにもなってしまった。
そんな矢先、又吉直樹さんの『人間』を読んだ。そこに、今の自分をぶん殴ってくれるような熱々の文章を見つけた。
引用した箇所は物語の中で、特定の文章に対して言及(否定)している。
しかしこの主張は、現状に理由をつけて甘んじて、まぁこんなものだからとダラダラ生きる僕に対する言葉として機能した。
「どうせダメなんだ、僕は何者にもなれない」
自分でも気づかないうちに負けに行っていた。
まさに『最初から負けに行ってる奴の負け顔なんて見せられても』魅力なんて生まれないと思う。
だったら言い訳せず全力で何かに打ち込み、「全然ダメでした〜」とおちゃらけて見せた方が誰かを笑わせることができるだろう。
武器はごぼうで十分
支出を抑えるために積極的に取り組んでいる自炊。まだ寒い今日は、なにか温かいものを食べたい。そうだ、豚汁がいいかな。
冷蔵庫から豚汁に使う具材を取り出す。豚肉、にんじん、玉ねぎ、そして細長いごぼう。
幼い時は道端で拾った木の棒をキャラクターの武器に見立てて振り回していた。自分がまるで物語の主役になったかのように。
大人になった僕はごぼうを見ても振り回さない。
だけど今日は昔を思い出して、一振りだけしてみる。もちろん何も起こらない。
ただその一振りでやっと『負けに行っている』自分と対峙することができたような気がする。
ストレッチパワーもゴムゴムの実も現実には存在しない。
だけど僕は「何者か」になるんだ。精一杯恥をかぎながら。
武器はごぼうで十分。
器用な僕なんて最弱だから。
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