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「日本人の階層意識」を読んで

先週読んだのはこちら。
格差の構造は過去も現在も大きくは変わっていないのに、1980年代まで「一億総中流」が支持されていたのはなぜか。という問いを持ちながら読み進めました。非常に面白かったです。以下読書メモと要約

  • 1970年代~1980年代が「一億総中流」と呼ばれ、1990年代以降「格差社会」が問題視されたことは、量的効果と価値変動の効果が表れるタイミングの差から説明できる。
    量的効果:社会の高学歴化は、高い階層的地位にコミットする個人を増やすことで全体の階層帰属意識を上方にシフトさせる効果をもたらす。
    価値変動の効果:高学歴の大衆化により、学歴の価値がげらっくすることで高い階層的地位にコミットさせる効果を弱める。
    ここで、価値変動の効果は量的効果よりも相対的に遅く現れることから、大学進学率が急激に上昇した1960~1980年代は中意識を持つ人々の割合が増え、1990年代からは中意識を持つ人々の割合が減少したのである。

  • 1990年代に階層帰属意識の空間化(階層帰属意識に地域差がある状態)が進んだ。これは準拠集団の変化によって説明できる。
    1995年までは地域間で階層構造が異なっていても人々はそのことを知らないために階層帰属意識上の地域差が消えていたのである。しかし、それ以降は人々の社会全体をとらえる視点がはっきりしたことで相対的不満によって消えていた地域間の意識の差が露わになったのである。

  • 恵まれている人も、恵まれていない人も自分たちのことを「中」と考える現象は、社会的地位の非一貫性から説明することができる。社会的地位の非一貫性とはある個人に付与されているいくつかの社会的地位が矛盾していることを意味する。(高卒の高給取り、大卒のブルーカラー等)日本では急激な産業化と高学歴化により社会的地位が一貫していない人々が産出された。1975年SSM調査において、全体の半分以上は社会的地位が何らかの形で一貫していなかったことが明らかになっている。社会的地位が一貫していない人々は一貫している人々と比べて階層帰属意識がより中に近いところにあり、階層に対する満足度・暮らし向きに対する満足度もより中間に近いところに位置していたのである。


以下感想

私は2002年生まれであり、所謂「一億総中流」を経験していない世代です。「格差社会」の言説を浴びるように受けていることから「一億総中流」に対して本当か?と疑いの目を向けていましたが、階層帰属意識の評価基準の変化が物質的豊かさの実現・高学歴化のスピードに追い付いていなかったことから、「一億総中流」(平等社会)が信じられていたのか、そして現在はある程度社会構造が安定しているため、「日本社会」をある程度正確にとらえられることから、格差を正確に認識できるようになってきたのだと考えました。
分析手法として、時系列で分析することの大切さを学びました。現在では当たり前だと考えられている通念が形成されたタイミングを探り、その理由を考えるというプロセスが必要なのでしょう。

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