すき

好きなこと

 幼稚園の時、絵をかくのが好きだった。私が緑の色鉛筆を半分まで使った絵を褒める母。いまでもおぼろげだが思い出せる。それは小学校になっても変わらなかった。日本画教室の先生をしていた祖母の部屋、扱いきれない岩絵の具を勝手に使い描いたタンポポ。夏休みの課題で描いた空の絵。絵を描けば誰かしらが私を褒めた。絵をかくのが好きなことだった。

好きなはず

 少なくとも私は他の子どもたちよりは上手く絵を描けた。いや、上手く絵を写せた。漫画を模写しては両親に褒められ、適当な落書きも同級生に褒められた。このころから私にとって絵をかくのは好きで、得意なことになった。
 中学になってもそれは変わらなかった。本当は美術部に入りたかったが、兄が部長をしていたのもあって私は入部しなかった。幸い、兄は私が二年になる時に卒業したので、暇があれば美術室へ遊びに行った。女子生徒が描いている漫画の模写。それを馬鹿にする自分を私は肯定した。それよりも上手く描く腕を持っていたし、なによりそのころから私は典型的なオタクタイプを毛嫌いしていた。絵をかくのは私の得意なことだった。

得意なこと

 高校では念願の美術部に入った。顧問とは違う外部の美術教師が油専攻だったのもあり、みんな油絵を描いた。もう誰も漫画の模写をする者はいなかった。自由に、縛りなく、ただ自分勝手にベニヤのカンバスに絵具を塗り付けた。絵具に混じるシンナーで頭に若干の痛みを抱えながら、一日三時間週二日で描いたその絵は、高校生が描くにしてはあまりに乱雑で粗暴なものだった。それをあえてと言っては、絵具をつぎ足し、線と色をつけ、シャツの袖を汚しても、いたずらにカンバスを太らせるだけだった。しだいに東棟の三階で過ごす時間は減っていった。

好きだったこと

 今でも、絵をかくのは得意な方だと思っている。平均的に見れば。ただもう、3歳のころの自分ほど絵をかくのが楽しいかと聞かれれば、私はそのまま沈黙する。あの頃のただ線を引くだけで楽しかった時間を私はもう取り戻せない。上手いか上手くないかだけで自分の絵を批評して、その出来で楽しいかどうかが決まってしまう。もはや私にとっての絵とは好きで描くことだけでなく、私の腕を証明する一種の手段に成り代わってしまった。
 もし仮に、好きで始めたものの実力伴わず迷走している人がいるなら、私はそれを心から肯定しよう。もし、好きだから得意なはずと思い込んで成果主義に陥ってる人がいるなら、私はその道にまきびしを撒こう。好きが義務にかわることより悲しいことなどグレイフォックスの最期以外無いし、好きから生まれる行動より素晴らしいものはあまつまりなのグラビア以外無いのだから。


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