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萩原聖人さんプロ連盟入りの舞台裏【中編】(黒木真生)

【本人にバレた】

 前編が公開されて半日ほどが経過した時、萩原さんからメッセージが入った。

「記事読みたいのですが」

 うっそーん。もうバレてるの?
 
 実は萩原さんに「萩原さんのこと、noteに書きますよ」ということと、それが有料媒体であることは話してあった。

 だが、原稿はご本人に確認してもらっていない。迷ったのだが、やめた。
 見てもらったら萩原さんが「公認」したことになるし、長い文章を読ませるのも悪い。それと、自分の本音が書いてあるのでちょっと恥ずかしかった。
 
 まずいことを書いてしまったら怒られればいい。萩原さんのことを書く資格がなかったということだ。さすがにそこまでのヘマはしないと思うが、最悪の場合は訴えられてお金を払うことになる。
 
 誰かについて何かを書くということは、それぐらいの覚悟が必要だ。特に相手が有名人なら、名誉を棄損した際の被害も大きいから、訴訟の請求額も高くなる。
 
 出版物に書く場合は出版社の法務部が守ってくれるのだろうが、個人のnoteだとそうはいかない。
 
 もちろん、私と萩原さんとの関係でそういうことにはならないと思うが、かといって甘えて良いわけではない。
 
 おそるおそる、テキストをコピーして送った。
 しばらくたって、読み終わったであろう萩原さんからの返信は「ありがとう」だった。


 
 萩原さんはTwitterをやっていないし、ましてや私のnoteなど読まない。
 しばらくはバレないだろうと思っていたのに、すぐにご本人の耳に入ったということは、それだけ反響が大きかったということだろう。
 嬉しい限りであるが、同時に、緊張感を持たなければと気を引き締めた。

【プロになって意味あるの?】

 萩原さんは「New Wave CUP」以来、3年ぐらいは「モンド21」には出場していなかったのだが「第5回モンド杯」から出場し、いきなり優勝した。
 その当時、撮影現場に顔を出していた私は、萩原さんの麻雀を見て、プロの世界に入ってほしくなった。
 だが、萩原さんからは「何か意味あるの?」と言われた。
 確かに、ただ麻雀を打つだけならプロとかアマとか関係ない。プロ団体に入れば団体主催のタイトル戦に出ることができるだけで、それ以上の意味はない。
 もちろん、寄り合い的な意味でお互いに助け合えるから、個人事業主としては生き延びやすいというメリットがある。プロ団体とはそういうものだ。

 つまり、萩原さんにとってメリットは一切なかった。
 人を何かに誘うなら、その相手にメリットがなければ、ただの迷惑な話になってしまう。
 
 萩原さんはタイトル戦にも興味がなかった。もちろん、それを見て喜んでくれる人がいるのなら戦いには参加する。しかし、最大の目的は「優勝」ではない。「見た人が、見て良かったと心底思える戦いをみんなで作り、その上で最も良い麻雀を魅せて優勝する」ことが目的であり目標なのである。そしてそれが、プロ雀士全員の共通認識であってほしい。そういう考え方なのだ。
 
 「麻雀界の外から好き勝手なこと言っている今の立場の方が、お互いにとって良いんじゃないかな」

 そう言われて納得するしかなかった。
 よく考えたら当たり前なのである。
 私が萩原聖人に慣れすぎて、気軽に「プロになりませんか?」と言ってはいるが、よーく考えたら結構な話なのだ。
 
 仮に、萩原さんと同じような存在の「誰か別の役者さん」に置き換えてみる。
 テレビや映画にバンバン出ている一流の役者さんが、仮に麻雀がほれぼれするほど強く、面白くても「プロになりませんか?」と、私は言えただろうか?
 萩原さんは私のことを友人と言ってくれた。私はそれに甘えていたのだと思う。
 改めて、冷静に萩原さんの背後にある人間関係やもろもろの事情を考えると、やっぱり相当に難しいことなのである。

 たとえば、こんなことも想定できる。
 ドラマの撮影の日に雨が降って延期になった。そのスケジュールの調整の際に「麻雀の対局があるのでNGです」というのは相当にひんしゅくを買う。他の出演者やスタッフすべてに迷惑をかける行為だ。もちろん、萩原さんぐらいの立場になれば、ある程度のワガママは許されるのだろうが、だったら良いでしょうという話でもない。
 ひいては、麻雀の世界の方に迷惑をかけるかもしれない。麻雀のためにスケジュールを取るということ1つとっても、役者の世界と両立させるのは、かなり大変な作業なのである。
 
 そんな「無理筋」を私は通そうとしていたのであるが、萩原さんはクドクドと説明はしなかった。
 上記の話は、私が今、おじさんになってから発想したものである。
 
 萩原さんは、ちゃんと役者の仕事をした上で麻雀を容認してもらっていたのだろう。
 それは、萩原さんにとって麻雀が「趣味」ではなく「道」だったからである。「業」と言ってもいい。それぐらい、あの人は始終麻雀のことを考えている。暇さえあれば麻雀を打つ。そういう人だ。

 そして、おそらくだが、萩原さんは麻雀界の住人を放っておけないのだと思う。好きだし、おかしいと思う部分もあるだろうし、でも、見放せない。お節介はしたくないが、自分がちょっとでも好きな人に頼まれたら「いいよ」と言ってしまう。
 そういう、相当なお人よしでもある。

【タッキーがしゃべった】

 この当時、私が驚いたのは、タッキーこと滝沢和典プロがしゃべるようになっていたからである。

滝沢和典

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