確率に翻弄されると昆虫のようになる
【サボるアリの比率は一定】
インターネット麻雀でツカなさすぎて殺害予告をして警察に逮捕された大学生がいたらしい。
バカなやつだなあと嗤うかもしれないが、でも、もしあなたが同じ目にあったとして、絶対に同じ行動に出ないという自信はあるだろうか。
私はそうならない自信があるのだが、それは30年以上前、高校の帰り道で友達が「お前知っとうか? 働きアリの中には、何匹かサボるやつが必ずおる。そいつらはいずれ追放されて外で死ぬ。少しの間、全員がちゃんと働く巣穴になるけど、またしばらくしたら、それまで働いとったやつの何匹かがサボりはじめる」という話をしてくれたからである。
「怖いやろ? これは永遠に続くんや。そしてこれは人間も同じやって言うんや、怖いやろ。人間でも、アカンやつをオミットしたら、それまでアカンくなかった奴が堕落していってしまう。これは何か『大いなる意思』が決めた理や。だから俺らが堕落していることによって、ちゃんとできる奴らが助かっとんや。つまり、俺はこれからも勉強をサボる」
友人は賢かったが堕落していた。賢そうな理屈をつけて堕落を続ける宣言をしたのだが、私はこれ以来、人間を「昆虫みたいだ」と思うようになった。
1人1人に意思があるのは間違いないが、大きなカタマリとして俯瞰して見た途端「確率に支配された存在」でしかないように思えてくる。
よく考えたら、ほ乳類の中でこんなに大勢の群れで生活している動物はいない。
人間の知能は動物の中で最も高いかもしれないが、統制のとられ方は、まるで魚や昆虫の群れのように「意思のない集団」のようなのである。
たとえば、1日10万人が行き来する大きなスクランブル交差点があったとしよう。
その交差点を渡る人たちにはそれぞれ事情があり、用事があって都合がある。
だから、もしかしたらその都合が偏ってしまい、10万人のうち1万人が一気に集まって、混雑してパニックになるかもしれない。
と、そんなことを考えるのが人間なのだが、実際にはそうならない。「確率という大いなる意思」が決めたかのように、毎回数百人から千人前後の人が渡り、そのトータルが毎日10万人前後に落ち着くのである。
これが日常的に繰り返されている「普通」なのであるが、逆に、よく考えてみたら気持ち悪くはないだろうか。
一気に1万人は偏りすぎだとしても、たとえば1回に3千人ぐらいになってしまって、小さなパニックぐらいはあっても良さそうなものである。
私は確率に詳しいわけではないから、高校時代の友人が話してくれたことを基に「人間は大人数になると昆虫のようにも見える」という「ものの見方」をするようになっただけである。
が、そのおかげで「考えられないような珍しいこと」が起こったとしても「インターネット麻雀の運営会社の人」ではなくて「確率という大いなる意思」のせいであると考えられるようになった。
ただ、それだけの話なのである。
【数万人の最下位の過酷】
「大和証券Mリーグ」でも、毎年「とんでもなく可哀想な最下位の人」が出現する。
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