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昭和の魔王・灘麻太郎【文・荒正義】

「なんだ、荒は北海道か?」

「北見市の少し手前です」

「同じ北海道出身だ。今度、遊びに来いよ!」
と云って、電話番号の書いたメモをくれた。

3日後、灘さんのマンションを訪問すると

「麻雀の原作を、1本書いてくれ」
「書いたことがありません!」
「いいんだ、適当でー」

このとき私は、近代麻雀にエッセイの連載を持っていた。週刊誌(漫画ゴラク)にも、麻雀のコラムを書いていたが、麻雀劇画の原作なんて初めてだったのだ。

5万円をくれた。
当時の5万円は、一人の男がつつましく一カ月間暮らすには十分な額だった。

私はそれから3日間、部屋にこもり原作を書いた。
一人の若者が好きな麻雀の世界に迷って飛び込む、サクセスストリーである。
真夏の熱い部屋で、懸命に書いた私の自信作だった。
原作を届けると、灘さんは3分でそれを読み、云った。

「やればできるじゃないか!なン本でもいいぞ、1話の読み切りで、何本でも書いて持って来いー」
と云って、今度は10万円をくれたのだった。
「麻雀プロは、書けなきゃあ意味がないー」
倍の10万ということは、今度は原作2本という意味である。原稿は、名を売るという意味もあるが、生活の安定が一番である。

部屋にこもり、書き物をばかりしていると息がつまる。
ストレスもたまる。
だから手伝えと、私は解釈した。
この関係が、幸運にも何年も続いたのである。


この時代は、書けるプロがいいプロだったのである。
灘さんは、第一期の最高位である。なので、近代麻雀誌上では『灘麻太郎の十番勝負』の連載が始まった。
一日10回戦で、その勝ち負けを決めるのだ。

相手は小島武夫、田村光昭、川田隆、古川凱章。

しかし、灘さんは誰にも負けずに、しかも圧勝した。私は記録係で、灘さんを担当した。
皆の打ち方と何か違う、と私は感じていた。勝負どころでは、引かずに必ず前に出るのだ。

危険な無筋のドラでもブンと叩き切る。自分がカンチャンの聴牌なのに。
それが当たることもある。
しかし、灘の和了もある。この後がすごいのだ。自分の流れを掴んだときは、一気の攻めだった。

何度もダメ押しのアガリを決め、仕上げていたのだ。これは無敵とは言わない。雀鬼とも言わない。
これが、神の強さ『昭和の魔王』の麻雀だと私は感じた。

ある日、こんなことがあった。茶店で、灘さんに原稿を渡したときのことだ。
「荒、麻雀は打っているか?」
「はい、週に4日打っています」
「どこで?」
「市ヶ谷のポプラです」
そこは、100円のフリー麻雀だった。灘さんも知っていた店だ。
「一日のノルマは15000円と、決めています」
一回のトップは5000円程度だから、3連勝したらおしまいである。私は、それで十分だった。
勝つ日もあれば、負ける日もある。しかし、月で平均10万から15万勝てば御の字だ。
貯金もできるし、好きな服も買える。

このとき灘さんは、フッと笑いを漏らした。
その笑いが少し気になった。

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