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兄弟卓が2卓立った伝説のギャル雀「ポリエステル100%」とは【ドキュメントM】

かつて高田馬場に「ポリエステル100%」という雀荘があった。女性の店員が多く、「女の子と麻雀を打てる店」という画期的なビジネスモデルを具現化した伝説の雀荘だ。今回はその「ポリエステル100%」で働いていた美樹さんとシオリさん(どちらも仮名)に、当時のお話を伺った。

今でも話題に上る伝説の雀荘

半年ほど前、このコーナーでトッシィさんという方を取り上げた

トッシィさんは全国のフリー雀荘を訪れ、その様子をブログにアップしているサラリーマン。その目的について語ってもらった中に「こんな雀荘があったということを記録に残したい。かつてあったポリエステル100%などは、店名は聞くけどほとんど情報がないのが残念だ」という話があり、それに対して読者の皆さんから、「確かにあった伝説の雀荘だ」「話は聞くけどもっと知りたい」という反響があった。

 ポリエステル100%は近代麻雀にも長年広告を載せていたが、今となってはあまりにも情報が少ない。実際、どんな店だったのかを知るために、元店員の方に連絡を取ると、快く取材に応じてくれた。

 ちなみに、美樹さんは今は主婦になり、麻雀とは全く関係のない生活をしている。一方、シオリさんは今も麻雀の世界で働いている。

―――お二人がこの店で働くようになったきっかけは何ですか?

美樹「私は麻雀に全然縁がなくて、当時の付き合ってた彼氏にすすめられて働き始めました。フリーデビューも働き始めてからです。3年くらい働いてましたけど、麻雀はずっと負けっぱなしでしたね」

シオリ「私はセット雀荘でアルバイトしてたんですけど、麻雀が大好きで、フリーで働いてみたいなあと思ってました。就職活動のためにセット雀荘の仕事を辞めて、別のフリー店で麻雀していた時にポリエステル100%のうわさを聞きました。『女の子がいっぱい働いてて、時給はいいし、負け分を店がもってくれるんだよ』って。それはいい、と思ってすぐに電話したらオーナーの河本さんが出て、すぐに面接してくれて次の日から働き始めました。時給は1200円スタート、一番高い人の時給が1500円でした」

―――負け分をお店が持ってくれるのはすごいですね。成績はどんな風に管理していたんですか?

シオリ「自己申告です」

美樹「すごくいいかげんだったよね」

シオリ「今日は何回打ってどのくらい勝ったとか負けたとか、自分で帳面につけていて、月に1回報告してました。ゲーム代は350円でしたけど、私たちはタダでした。私は3年くらい働いてたけど、マイナスになった月は2回くらいしかなかったです」

美樹「すごーい。私は負けすぎてオーナーに呼び出されたことがあります。負けるとお店の損だからなるべく卓に入らないようにしてました」

シオリ「私は四六時中、麻雀打ってたんだけど?」

美樹「シオリは立ち番になってもフロアの仕事を何もしないから(笑)。遅刻もするし」

シオリ「歌舞伎町の雀荘で麻雀打ってたら出勤時間過ぎてて。遅刻したら店長に凍ったおしぼりを投げつけられたことがありましたね。店長も女性でした」

美樹「シオリは麻雀しかできないしフロアで使えないから、毎回シオリから卓に入れて打たせるようにしてたんですよね」

―――それでうまく回ってたんですね。

ビルの4階から1階まで4時間待ちの列

 ーーー改めて、どんな営業形態のお店だったんですか?

美樹「場所は高田馬場駅から数分歩いたところで、ビルの4階にありました。昼12時オープンで朝6時閉店です。平日でも午後2時くらいには満卓になってました。卓は初め9卓だったんですけど11卓に増やしました」

―――ずいぶん流行ってたんですね。オーナーはどんな人でしたか? 今回の取材の件で電話してみたら連絡がつかなかったんですけど。

美樹「オーナーはもともと白夜書房の社員だったんですけど、飲みに行った席でお姉さんたちが『麻雀したいけどメンツが集まらない』っていうのを聞いて、『じゃあお姉さんたちが雀荘の店員をやれば? そしたら打てるよ』という話になって、会社を辞めて雀荘を出したと聞いてます」

シオリ「当時はフリー雀荘で女性が麻雀を打つなんて本当に珍しかったんですよ。そこに着目して、麻雀する女性を雇って打たせて負けた分は会社持ち、っていう仕組みを実際に作った功績は大きいと思いますね」

当時近代麻雀に載っていた広告

―――お客さんはどんな人たちでしたか?

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