Victoria's Legacy【文・馬場裕一】
◇序章
1980年代の半ばから後半にかけての出来事だから、もう今から30年以上も昔の話になるのか。
当時、最高位戦で1人、プロ連盟で12人の「女性プロ雀士」が誕生した。
誕生した、というより誕生させたという表現のほうが正確かもしれない。
あの時代、プロ麻雀界は閉塞状況に陥っていた。
いろいろなイベントやタイトル戦を企画するも、麻雀ファンの足取りは重く、盛り上がりにも欠けた。
また、そのプロ麻雀界と繋がる専門誌もジリ貧の売り上げに苦しんでいた。
おそらく、困った関係者の面々が集まって編み出されたであろう起死回生の策……それが「女性プロ雀士を創る」だったのではないか。
男社会、(麻雀面で)男尊女卑だと思われていたプロ麻雀界に、突如複数の女性プロ雀士が現われる。
これはそうとう世間を賑わし、麻雀ファンの間で話題となることは間違いない。
閉塞状況を破るだけでなく、勢いに乗れば新たな麻雀ブームを呼び込める可能性だって考えられるだろう。
プロ団体と関係者たちはそれを願い、13名の「女性プロ雀士」を世に送り出した。
しかし結果は――
意外にも「無」だった。
文字通り「無」、世間を賑わすどころか、何の話題にもならなかったのである。
とりわけ麻雀ファンは業界関係者が引くぐらい冷ややかな反応を見せた。
なぜ、こんなことが――
世間やファンに受け入れられない事情、理由を、プロ団体と関係者はいろいろ追求した。
「女性プロ雀士」を売り出そうと狙っていた麻雀専門誌、麻雀劇画誌も同様に原因を多方面から探ってみた。
しかし、その答えにたどり着くまでには、およそ10年の歳月を待たなければならなかったのである。
1997年、CS放送のMONDO21(現・MONDO TV)で「麻雀デラックス」という麻雀プロに特化した対局番組の放送が開始された。
ちなみに対局名は「MONDO21杯」。
第1回は男性プロ6人の出場。
しかし翌1998年、第2回目からプロデューサーの英断で、女性プロ雀士を1人参戦させることになった。
選ばれたのがプロ連盟の浦田和子である。
「MONDO21杯」に浦田和子が登場したことで、一気に「女性プロ雀士」の認知度が広まった。
女子プロをいち早く売り出したいなら、まずは映像だったのである。
おためごかしのような切り取られた対局写真や、根拠なき誉め言葉羅列の文章などに、目の肥えた麻雀ファンは騙されない。
まずは動いているところ、具体的には著名の男子プロと麻雀を打っている姿をファンに見せておくべきだったのだ。
もっとも10年前のプロ団体や活字メディアには、その発想は1ミリもなかっただろう。
いや、仮にあったとしても具体的なアイデアは何ひとつ出なかったと思う。
インターネットすら普及していなかった時代、映像即ち放送という売り出し方を考えつけるのは、映像メディアだけである。
そういう意味では現在の女子プロの時代を創ったのはMONDO21と言っても過言ではないかもしれない。
浦田和子のMONDO21杯での活躍、立ち振る舞いは多方面に大きな影響を与えた。
麻雀以外のメディアにも取り上げられ、結果として各プロ団体への女性の入会希望者の増加へとつながった。
その良いムードに、さらに拍車をかけたのが翌1999年だ。
麻雀デラックスはベテラン中心のMONDO21杯から若手メインの「New Wave CUP」に番組の方針を変更した。
ここで抜擢されたのが清水香織である。
有名私立女子大卒のまだ20代。
清水香織が新世代を代表する女子プロとして登場し、同世代の男子プロとガチで闘う姿は、視聴者や麻雀ファンに限らず、かなりの人々にインパクトを与えたようだ。
浦田和子効果以上に女子プロのイメージをアップさせたことは間違いないだろう。
もちろん各プロ団体への女性の入会希望者をさらに増加させたことはいうまでもない。
さて、MONDO21杯、New Wave CUPと視聴者の反応をチェックしながら方針を変更してきた麻雀デラックスは、翌2000年、大規模な麻雀番組を企画する。
名付けて「電影大王位決定戦」。
ベテランプロをAグループ、若手プロをBグループに分け、各グループの上位2名で優勝を争うというシステム。
一見ありそうでいて、実はこれは当時としてはあまりに画期的な対決構図であった。
なぜならベテランと若手を分け、代表者がガチで闘うなんていう大会やタイトル戦など、それまでにひとつもなかったからである。
ある意味、若手プロからしたら多くの視聴者の前で「下剋上」を実現できる場だったのかもしれない。
この企画を相談されたとき、テレビ局が企画するものは面白いけどヤバイのも考えるなあ、という印象を持ったことを覚えている。
加えて、この電影大王位決定戦にはもうひとつ狙いがあった。
Aグループは企画発表段階から出場選手が確定していたが、Bグループは一部を除いて予選でメンバーを選ぼうとしたのである。
その狙いとは何か。
女子プロである。
正確には女子プロの「スター」創りだ。
すでに各プロ団体には多くの女子プロが在籍していた。
その女子プロ同士を闘わせて1位になった者を番組に出演させる。
番組からのご指名だった浦田と清水と違い、初めて自らの「実力」で出場を決めるプレーヤーが出てくるのだ。
麻雀デラックスは書類審査等で参加選手の人数を絞り、Bグループ予選をスタートさせた。
ここで見事勝ち上がったのが、最年少(19歳)の二階堂亜樹である。
二階堂亜樹は全ての点において関係者を満足させた。
若さ、所作、手順、手筋、姿勢、精度etc.
とりわけ放送中、話題をさらったのが次の手牌である。
トップ目で迎えた南1局の親番、6巡目に亜樹が引いてきた牌が[五索]だった。
345や456の三色の可能性を秘めたリャンシャンテン。
何を切るか、いろいろ悩むところだろう。
しかし亜樹は、驚いたことにここから[五万]に手をかけたのである。
三色の可能性を消す打牌。
しかしその変わり、裏目引きの無い牌姿に構えたのだ([五万]を切っても[三万][六万][九万]全てに対応できる)。
この一打が正しいかどうかはどうでもいい。
大事なのは、まだ19歳の女の子が、収録とはいえ放送対局で、当時誰も思いつかなかった一打を披露したということなのだ。
二階堂亜樹は一躍スタープレーヤーとなった。
同時に女子プロが重宝される時代の幕を開けた。
翌2001年、21世紀に入ると若手プロ主体の「未来戦士21杯」という番組がスタート。
ここで二階堂瑠美が映像デビューを果たす。
そしてこの年、初のプロ団体の女流タイトル戦「女流最高位戦」が立ち上がるのだ。
さらに翌2002年、「女流雀王戦」設立。
翌2003年には「プロクイーン」と「女流モンド杯」が創設。
さらに2006年には「女流桜花」と「夕刊フジ杯」も始まり、一気に「女流プロ」の時代が花開くのである。
現在の人様にお見せする麻雀興行において、女子プロは外せない。
あのMリーグですら、2年目から女子プロのチーム入りを義務付けたではないか。
女子プロ失くして麻雀界の将来はないのである。
今や、北は北海道から南は九州まで全国に女子プロがいる。
かつては東京が中心だった。
しかし動画やSNSが発展した現在、東京なぞに目もくれず、地方在住でプロ活動に精を出す女子プロの数も年々増えてきている。
地元テレビ局とコラボする女子プロの姿も目立つようになってきた。
これから、もっと地方に光が当たる時代が来るかもしれない。
ただ、そんな中、なぜか突然東京に拠点を移す女子プロもいたりするのである。
なぜ、彼女たちは東京に来るのか。
何を求めて拠点を移してしまうのか。
次回から、そんな女子プロたちに焦点を当てて、話を聞いてみたいと考えている。
続)
(文中敬称略)
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