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女流プロ雀士解体新書 草場とも子(文・藤川まゆ)



【麻将連合・草場とも子】

草場とも子プロとの出会いは、筆者が麻将連合に入る少し前だった。
私が「競技麻雀を打ちたい」と麻将連合のプロテスト受験を決めた際、麻将連合の先輩方が、麻将連合のルールのセットをしてくれた。その時のメンツが、セッティングしてくれた岩井茜プロ、女流担当だった石原真人プロ、そして草場とも子プロ(以下「草場」)だったのだ。

その時の印象は、”ずっとニコニコしていて人当たりの良い、フレンドリーなお姉さん”だったことを覚えている。私が麻将連合を受験することをとても喜んでくれ、終始気遣ってくれた。
その様子は、辛く苦しく長い闘病生活を送ってきた人だとは、露ほども感じさせなかった。

草場は、麻雀プロとしてようやく芽が出始めた頃に、乳がんの告知を受けたのだ。
がんと戦いながらプロ活動を続け、一度は完治したと思われるも再発し、今も治療を続けながら競技麻雀を打っている。
きっと、自分には想像できない程の辛さや苦悩があるのだろう。病気に苦しみながらも、なお麻雀を愛する草場の人生に迫ってみたいと思う。


【麻雀との出会い】

草場は福岡で、クリスチャンの母と九州男児の父の間に生まれた。

幼稚園から”お受験”のあるお嬢様学校『福岡雙葉(ふたば)』に、中学校までエスカレーターで通う。

そのままエスカレーターで高校も行けたが、成績の良かった草場は、「女子校飽きた!!」と、福岡で一番偏差値の高い修猷館(しゅうゆうかん)高校に進学した。
同じく麻将連合の戸構亮(とがまえまこと)がOBで、草場の所属していた文芸部との交流があり、麻将連合に入って偶然再開したという。世間は狭い。

お嬢様学校からの進学校というルートを通ってきた草場が、当時はあまりイメージの良くなかった”麻雀”の存在を知ったのは、大学生の頃だった。
草場は、先生になるために福岡教育大学へ進学し、軽音楽部でドラムを叩いていた。
その軽音楽部で、麻雀を見る機会が多くあったという。

「音楽やる人って麻雀やる人が多いから、やってるのを後ろで見ていたんですよね。やりはしなかったけど。そういえば、福岡なので、赤は3に入ってました」

Mリーグなどでもそうだが、一般的には5に入っている赤牌が、福岡では3に入っているらしい。麻雀には、いろんなローカルルールがあって面白い。読者の皆様も、知っているローカルルールがあれば、ぜひ引用やコメントで教えて欲しい。

……話が逸れてしまったが、その時は触れなかった麻雀に草場が触れることになるのは、社会人になってからだった。
当時、PlayStation2で『極NEXT』という麻雀ゲームがあり、たまたまそれに触れるきっかけがあった。麻将連合の選手では、小林剛や原浩明らが出演していた。

「そのゲームがすごく面白くて。クローンが作れるんです。だから、起家原さん、南家原さん、西家原さん、北家私、という対戦もできて」

ゲームで麻雀の面白さに気付きはじめた草場がリアル麻雀に出会うきっかけとなったのは、『Yahoo!掲示板』だった。

「掲示板で、賭けない麻雀をするサークルが参加者を募集していて。友人が、『やってみたいんだけど参加してみない?』って誘ってくれたんです。『やってみたい!行く!』って言って、それでリア麻デビューして、それから何度か参加して、『麻雀楽しいな』って夢中になり始めて」

今はXなどで交流が広がり、実際に集まって麻雀をしたり飲み会をしたりすることもあると思うが、当時は掲示板がその役割を成していた。
草場にとっては、その掲示板での出会いが人生を大きく変えるきっかけとなった。

【プロ連盟入会、麻将連合への電撃移籍】

そのサークルに歯科医師がおり、麻雀好きの歯科医師が集まって毎月大会を行っていたという。そして、そこにはゲストとして日本プロ麻雀連盟の清水香織が参加していた。

「何を思ったのか、その歯医者さんが『麻雀できる女の子見つけた!』って連絡しちゃって。『紹介するから連盟入れよう!』と引き合わせられたんですよね。そしたら、いきなり『ところで来週プロテストなんだ』って(笑)」

清水と出会うや否や連盟のプロテスト受験を勧められ、そのまま受験し、なんと合格。半年間ほど連盟に所属していたという。
その後麻将連合に入会したわけだが、半年での移籍はあまりに早い。いったいどんな心境の変化があったのか。

「よくわからないままリーグ戦に出てしまって。麻雀覚えたての私が、終わったあとの感想戦に交われるわけもなく、みんな何を言っているのか本当にわからなかったんですよね。こんなわからないままで、『私、強くなっていけるのだろうか』と悩んでしまって」

この記事を読んでくださっている方の中にも、自分より熟練した方が何を言っているのかわからず、困ったり気まずかったりした経験がある方は多いだろう。
研修中とはいえ、プロの世界に足を踏み入れた草場は、悩み、いろんな雀荘へ勉強をしに行った。
勉強で通っていた雀荘の中に、麻将連合の城島清貴がいる店があった。
ある日、城島に、「長崎でμカップという大会があるんだけど、勉強になるだろうし出てみない?」と誘われたという。
μカップというのは、麻将連合主催の2日間で完結する競技大会だ。プロアマ混合大会の元祖とも言える大会であり、現在も全国各地で開催されている。詳しくは下記HPをご参照いただきたい。
麻将連合HP

のちに優勝

そのμカップで、草場はあるシーンを目撃した。
アマチュア参加の老夫婦が、同卓していた麻将連合の選手に、「あの時なんですけど……」と、対局時のことを質問したという。すると、選手は局面を思い出して、わかりやすく丁寧に説明しはじめたのだ。
当時はプロアマ混合の大会も多くなかったため、選手がこれほど一般の方に慣れていて、わかりやすくいろいろ教えてくれるプロがいるということが、草場にとって衝撃だった。

『連盟の九州本部ではついていけなくてポカンとするだけだったけど、麻将連合なら成長しやすいかも……!』と感じたという。
しかし、その頃の麻将連合のプロテスト(※当時は「ツアーライセンス取得審査」)は非常に難しく、『とてもじゃないけど入れない』と思っていた。が、なんと、翌年に麻将連合が「女流選手募集します!」と大々的に打ち出したのだ。
しかも、「二年間みっちり研修して立派な選手に育て上げます」という謳い文句付きだった。

「私みたいにできない子が、覚えるチャンスじゃん!」

こうして、草場は麻将連合の門を叩き、女流一期生になったのだ。
19年前、2005年4月のことだった。

【頑固な父親を説得して上京】

麻将連合には九州支部はなかったため、新しくできた女流制度の研修は毎月東京で行われた。作法はもちろん、麻雀講師としての教え方、ゲストとしての振る舞い方、さらには栄養学までと多岐にわたっていたという。
願ってもいない手厚い研修制度だったが、草場は毎月福岡から東京へ通っていたため、その度に5万円が飛んでいった。移動時間もかかる。5ヶ月通ってみたところで、『行き来してる時間があったら勉強にあてた方がいいのでは』と感じ、東京に行くことを決意した。

しかし、草場はお嬢様学校に通っていた箱入り娘である。一人娘。両親は麻雀をやらない上、当時は麻雀にお酒やタバコやギャンブルのイメージがあったのである。さらに、父親は九州男児で、髪を伸ばしているだけで怒るような頑固な人だった。

当然反対されるが、草場の麻雀への想いは大きかった。
「麻将連合っていう団体があってね。麻将連合の”将”の字は”賭けない麻雀”って意味でね。こういうクリーンな活動をしていてね」と、資料を作って父にプレゼンをしたという。
一度言い出したら聞かない娘であった草場に、結局は両親が折れた形だったそうだ。

ちなみに、そんな父親も、後に草場が夕刊フジ紙面に掲載された際、その記事を会社に持って行き、娘自慢をしていたというほっこりエピソードもある。


【東京でスパルタ指導を受け、急成長】

晴れて東京にやってきた草場は、麻将連合の木村和幸の店で働き出した。

「木村さんはすごくスパルタだったんです。質問すると、『はい、場況』と言われ、ちゃんと覚えていなくて『えっと……』って言ってしまうと、『はい終わり!質問の資格なし!』って言われちゃって(笑)」

スパルタもスパルタである。人によっては嫌な思い出になっていてもおかしくない出来事を、草場は楽しそうに、愛しい思い出かのように語った。今の自分があるのはそのおかげだ、と少なからず思っているのだろう。
草場は、木村と忍田幸夫による「アメとムチの勉強会」にも参加していた。もちろん、木村がムチで、忍田がアメ担当だ。木村と忍田はとても仲が良いが、勉強会ではいつもバチバチに議論していたという。

変な打牌をすると、木村が「どこから切ったんだ!」とバーンと手牌を開けてくることもあったとか。勉強会は本当に厳しかったようで、漏らしてしまいそうなほどの厳しさに、参加者の中には「オムツ装着してきました!(笑)」という冗談を言う者もいたほどだった。

「結果だいぶ鍛えられて、場況もだいぶ覚えられるようになって。ありがたかったですね。麻雀を厳しくされたことで、メンタルもだいぶ鍛えられました」

草場は、もともとメンタルが「尋常でないほど弱かった」と語った。
麻雀も、メンタルの弱さも、スパルタな環境のおかげで徐々に強くなっていった。
そして、草場の活躍がはじまったのだ。

【栄光の年からの、どん底の闘病期】

草場が「当たり年だった」と語ったのは2012年。
μカップの大阪、湘南と、2場所連続優勝を決めたのだ。
女流ツアーだった草場だが、当時一流選手の証と言われていた”公式戦3勝”まであとひとつ、というところまできた。

※麻将連合には、主に「認定プロ」「ツアー選手」「女流ツアー」の選手がおり、女流ツアー選手はツアー選手に比べて出場試合に制限がある。ツアー選手になり、実績を上げると認定プロライセンスを取得できる。

「たくさんの声援ももらって。女性でも活躍できるということを見せられて嬉しかった」

もっともっと活躍していこう、もっともっと頑張ろう。
そう思っていた時だった。

将妃・将王・将星で撮った記念写真

2014年、乳がんが見つかったのだ。
草場、36歳の時であった。

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