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【麻雀小説】どの九萬にロンですか?【作・アメジスト机】

 毎週水曜日、高校生の息子の弁当を作って送り出し、洗濯を干したら、雀荘に向かう時間だ。

 数か月前まではノーレート雀荘の教室に通っていたのだが、このところ普通のフリーに行くことにしている。その方が、なぜか楽しいからだ。
 3駅だけ電車に乗り、川崎駅の改札を出たら商店街の中の雀荘に向かう。初夏の午前中の日差しがまぶしい。

 ホームレスの人が数人座っていて、その前を少し息を止めるようにして歩く。ここではときどき、女性のホームレスも見かける。
 もしもお金が無くなってしまったら、私も老いてからあんな風に道に座ることになるのだろうか。そんなことを考えて「いや、それはないな」とすぐに打ち消す。

 私自身は子供ができたときに小学校の教師を辞め、今は専業主婦だけれど、商社マンの夫がそこそこ稼いでいるし、貯金もある。

 親が他界したらそれなりの遺産も入るはず。だから私は、道に座ることにはならないだろう。
 そんなことを考えていると、店に着いた。

 エレベータで6階まで上がり、ドアを開けると、そこに黒い服の男たちがたくさんいた。
「いらっしゃいませ」という複数の声にひるむ。
 「え、ナニコレ?」
 「あ、杉田さんおはよう」
 待ち席にはおじさんというよりはおじいさんが2人。

 声をかけてくれたのは、常連の柳川さんだ。

 あと一人は朝っぱらからビールを飲んでいる。
「おはようございます。なんでこんなに人がいるんですか?」
「今日は給料日だから、店員がみんな集まるんだよ」


 そう言えば黒い服は、この店の制服だ。下は何でもいいが、店員はみんなこの黒いベストを切ることになっているらしい。

 男も、女も。

 今、ここには男ばかり8人くらいいるだろうか。

 今日は月末。私は今まで月末に来たことがなかったのか。
 「おはようございます」
 女性店員が出勤してきた。ミニスカートからまっすぐな脚が伸びている。彼女も給料日か。
「おい、こんなに店員いるんだから、早く打たせろよ」
 柳川さんが言うのももっともだ。

 どこからともなく「少々お待ちください」の声が帰ってくる。柳川さんは舌打ちをする。
「月末はいっつもこんな感じ。出勤はしてくるけどほとんどは給料をもらいに来ているだけだから、本走打たない。本走打つなら今日のもらいからゲーム代をマイナス、もしも負けたらさらにマイナス。だいたい朝っぱらからここに来るやつらなんか、金に困って来ているんだから、打ちたがらないんだ」
 私は、突っ立っている黒い服の男たちを眺める。

 なるほど、そういうことか。みんな、ぼんやりした顔をしている。
「勝ち組の店員は、この時間帯には来ないね。ちゃんとこの日は休みにしておいて待たなくてもいい時間にやってくる。女の子もそうだね。女の子は麻雀打たないからお金減らなくて余裕があるし。いまここにいるのは皆、説教付きで小金しかもらえない負け組たちだよ」
「へえ、お詳しいんですね」
「まあ、昔、この業界にいたからね」
「そうなんですか」
「給料日にもらった袋をそのまま持って、競艇場か競輪場に行ってたねえ。あいつらも、そう変わらんと思うよ」
 そう言えば、この近くには競艇場や競輪場があると聞いたことがある。

 行ったことはないけど。
 「そろそろ、打たせないかね。客が待ってるんだよ」
再度の柳川さんの声に、店の責任者らしい人物が反応した。
「お待たせしました。新しく卓を立てます。お待ちの梅田様、柳川様、杉田様、こちらの卓にどうぞ。竹下君、本走に入って」
 竹下と呼ばれた若い店員が、のろのろと場所決めの東南西北を混ぜる。「本当ならこんな朝から打ちたくないんだ。今日は麻雀打ちに来たんじゃないんだ」という声が聞こえてきそうだ。
 この雀荘は、単純に給料を渡すだけではなく、管理職との短い面談も兼ねているらしい。

 一人一人、隅っこの卓に呼ばれて管理職らしい人と話をしている。それを待っている男たちの姿が店内にあるのが実にうっとうしい。


 それでも私たちはたんたんと、麻雀を打った。トイメンの梅田さんという男性はずっとちびちびとビールを飲んでいる。

 もう何杯目だろうか。
 

 2回目の半荘に入ったところで、上家の柳川さんの電話が鳴った。
「あ、ちょっと折り返すわ」
と切った柳川さんが、代走を頼んだ。
「ちょっと長くなりそうだからよろしく。外で電話してくるわ」
 そこにまた、いかにも渋々という様子で中年の店員が座った。いるだけで、周りの空気が濁りそうな、覇気のない顔とたたずまい。ひとことで言えば「愚鈍」だ。
 南2局、私は南家。トイメンの梅田さんからリーチが入った。放銃したくないのでしばらく回って打っていたが、ついにこんな手になった。

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 を切りたい。

 しかし、リーチに通っていない。

 私は考え込んでしまった。
 もう一度梅田さんの河を確認しようと、顔を上げたとき、梅田さんが横を向いて、ビールのジョッキを持ち上げた。そのまま、横を向いたままジョッキを口に運ぶ。

 今なら切れる! 

 梅田さんがよそ見をしているすきに、私はをそっと河に置いた、音もなく。

 すると下家の竹下という店員がすぐにを合わせ打った。
「あ、ロンだ。九萬、ロン」
 梅田さんが手牌を倒す。

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「え、フリテンじゃないですか?」
と私は言いながら、(なんで店員が言わないの? おかしくない?)と思っていた。

 そして下家の竹下の方を見ると、竹下が、たった今自分が河に切った九萬を握りこむところだった。え、なに?
 瞬間、私は上家の代走店員に目をやった。これは、小学校の教師をしていた時に身についたものだ。1人の悪さを見つけたとき、習慣的に他の子を見ると、共犯者が分かることがある。

 するとそのいかにも愚鈍そうな中年のデブは、自分の手牌にいかにも素晴らしいことが書いてるかのように、自分の手牌に見入っている。要するに、全力でよそ見をしている小芝居をしているのだ。

 ほんとうに、何、コレ?
 「あー裏裏だわ。8000点の祝儀2枚」
 「え、それ誰が払うんですか? 私が九萬切った後、この人も九萬切って、それにロンって言ったんでしょう? どの九萬を見て、ロンって言ったんですか?」
「あ? え? うん?」
 梅田さんはキョロキョロしている。おそらく彼は、私が切った九萬は見ていなくて竹下が切ったのを見て「ロン」と言ったはずなのだ。
 しかし、今現在、竹下が切った九萬は彼の手の中に回収されていて、場に見えているのは私の河にある九萬だけだ。
「あーでも、俺は、九萬、ロンだ」
 梅田さんは、「もらえるなら何でもいい」という方針を決め込んだようだ。

 内心、面倒くさいと思っているのだろう。

 自分が、リーチ中にビール飲んでてよそ見をしたくせに。
 私は腹が立って、黒服の男たちのかたまりの方に向かって、少し大きな声を出した。
「すみません! フリテンロンなんですけど、状況見てもらっていいですか?」
 私の声が、むなしく宙に消える。それに対する反応は、全体として極めて緩慢で、不愉快なものだった。だれからともなく戻ってきた間延びした声は、こう言ったのだ。
「その卓、チーフ入ってますよね? チーフ裁定お願いします」
 チーフ? どっちが? 私が上家と下家を見比べていると、上家が私に言った。
九萬にロンですから、8000点払ってください」
「でも、私の直後に、この人も九萬切ったでしょう? 見てなかったの?」
 チーフは、竹下にも梅田さんにも確認せず、
「現状、ここに出てる九萬は1つですよね。じゃあ、この九萬を切った杉田さんが放銃したってことですよね」
 私は、竹下に向かって言った。
「あなた、一度切った牌を手に戻したでしょう? 梅田さんも、上家の河に九萬を見てロンって言ったんでしょう? フリテンっていうやつじゃないの?」
 全員、無言。竹下は私を無視して空を見つめ、チーフはまた、自分の手牌を真剣に眺めている。遠くから、黒服の店員たちが様子をうかがっているのを感じる。
 梅田さんに至っては、いかにも気まずそうにしながらも、立ち番に向かってこっそりジェスチャーで「ビールもう一本」と頼んでいる。こっちを見ていた黒服の群れたち、それには反応が素早く、すぐに次のジョッキを持ってくる。
 梅田さんは「ビール追加するから早くこの場を何とかしろ」という気持ちなんだろう。8000点と祝儀がもらえたら、どこからでもいいんだ。

 当の自分のチョンボなのに。


 ああ、そうか。

 こういう店で、アルコール飲料の利益率が高いってことは私も知っている。この店にとって、梅田さんは酒を飲みながら一日中打ってくれるお得意さんなのだ。だから、店員たちは梅田さんのご機嫌は損ねたくないし、アガリを成立にしてさっさとこの場をおさまらせたいのだろう。竹下が自分が切った九萬を握りこんだことを知らない店員たちは、「うるさいばあさん、早く8000点払えよ」と思っているに違いない。
 確かに気まずい。しかし、それ以上に私はばかばかしくなった。こんなところに、もう1分もいたくない。帰ろう。
 「じゃあ、8000点払います」
 私が8000出すと、竹下が言う。
「2枚ですよ」
 くそったれ。
こんな言葉、心の中でもめったに使わないけど、この度は自然に出てきた。くそったれ!
 南3局、私の親番と南4局のオーラス。私はチョンボ料を2回払ってトビ、席を洗うことにした。
 私が席を立とうとすると、下家の竹下が
「ラス半コールを聞いていません」
などと言っていたが、それは梅田さんが
「まあ、いいじゃないか」
と、たしなめていた。愚鈍な代走のチーフは、最後まで極めて緩慢で不愉快な空気をまとって座っていた。

 彼が吐いた空気を、鼻腔から吸い込む可能性があることすら、嫌だ。
「で、俺もラス半。飲みすぎたわ」
背後から梅田さんの声が聞こえた。さすがに、チョンボした自覚はあるだろうから、居心地が悪いのかもしれない。私にはもう関係ないことだが。

 エレベータの前にいると、代走を頼んでいた柳川さんが戻ってきた。
「え、もう終わるの?」
「はい」
「じゃあまたね!」
 何も知らない柳川さんに微笑み返してエレベータに乗ると、すいっと入ってきた人がいた。さっき出勤してきた女性店員だ。
「え、下までお見送り? いらないわ」
「いえ、すみません。さっきの件、見てました」
「ああ、そうなの」
「でも、私の立場では何も言えなくて。というか私の立場が微妙で、
じつは私もチーフなんです。榎田といいます」
 え? ウエイトレスの女の子じゃないの? そう言われて顔をよく見てみればそんなに若くないかもしれない。

 脚はまっすぐで長いけれど、目じりにファンデーションがたまっている部分がある。つまりは、しわだ。
「ほんとうにすみません。私もチーフなんですけど、麻雀そのものについての口出しは一切できないことになっているんです。でも杉田さん、本当にいいお客様なのでまた来ていただきたいんです」
 私は何も言わなかった。

 榎田さんは声をひそめた。
「おそらく、下家の竹下は来月でクビになります。上家にいたもうひとりのチーフも、店への借金が相当かさんでいるのでそう長くはないと思います。だからまた3か月先でも、半年先でも、ぜひ来てください」
 そう言って、榎田さんは私の手に触れた。つめたっ! と思ったら、それは缶のハイボールだった。

 条件反射的に、私は受け取ってしまった。
「ほんの気持ちです。私がもっと出世して店長になったら、もっといい店にしますから、見に来てください」
 榎田さんが頭を下げたとき、エレベータが1階に着き、扉が開いた。私は何も言わなかったけど、ハイボールを少し上げながら振り返った。また来るかどうか、それがいつかどうかは、今決めなくてもいいだろう。
 駅に向かって歩きながら、下戸なのに、ハイボールもらってしまってどうしようと考えていた。それと、今日1日、時間が余ってしまってどうしよう、とも考えた。
 ホームレスの人たちがいるところに差し掛かり、私はふと足を止めた。

 私が、ここにこうして座ることはないだろう。

 でもあの上家も下家も、2か月後にはここに座っているかもしれない。

 河に切った牌を戻すクズ男、正しい裁定ができないチーフ……。人間はそんなところから腐っていくのかもしれない。

 
 ただ一人の女性のホームレスとなんとなく目が合った。私は初めからそう決めていたように、彼女の前にハイボールを置いた。
「もらいものなんだけど。よかったら冷たいうちにどうぞ」
 彼女は、にいっと笑ってくれた。その口元には、私は無意識にそうじゃないかと思っていたとおり、歯がほとんどなかった。でも、飲める人でよかった。

 
 一つため息をついて顔を上げると、少し先の雑居ビルに「雀荘」の看板が見えた。あら、こんなところにもお店がある。今までは、改札を出たらすぐに商店街に向かっていたので気付かなかった。
 気ままな専業主婦なので時間はある。お金もある。私は、新しい遊び場に向かう階段を上っていくことにした。
 早く新しい麻雀をして、さっきのことに上書きしてしまいたかった。


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