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【無料記事】遠く遠く【庄田祐生】

遠く遠く離れていても僕のことがわかるように
力いっぱい輝ける日をこの街で迎えたい

1995年2月28日、石川県の小さな小さな町で僕は生まれた。

小さな頃から特にやんちゃな訳でもなく、かといっておとなしい訳でもない、至って普通の子供だった。

自分で言うのも変だが、小学生くらいの頃から他人に迷惑をかける事はしないように生きてきた。
先生から怒られる事も少なく、友達とケンカもしなかった。

中学生になる少し前くらいだろうか、地元の輪島市に小さなゲームセンターができた。

色とりどりのゲームと光、音に目が釘付けになった。

少しのお小遣いでゲームのメダルを買って遊んでいたが、メダルは増えずお小遣いが無くなった。

一緒に遊んでいたじぃちゃんの様子を見に行くと
メダルケースがパンパンに溢れていた。

じぃちゃんがやっていたのはコンピューターと1対1で戦う麻雀ゲーム。これが僕と麻雀の出会いだった。

麻雀で勝つ方法を見つけたかった。学校の勉強は好きではなかったが、麻雀だけはじぃちゃんの後ろで毎日何時間も勉強した。

家に帰り、パソコンを付けた。
YouTubeで「麻雀」と検索した。
それが「麻雀プロ」との出会いだった。

数々の役満集や、逆転劇、奇跡のような一打。
実況、解説の興奮も相まって画面に映るおじさん達が輝いて見えた。

その瞬間、初めての夢ができた。

「この人たちみたいな麻雀プロになるんだ」

中学生になり家族で金沢に遊びに行った時に、握りしめた5000円で麻雀牌と麻雀マットを買った。
母親は呆れていた。

家に遊びに来た友達と麻雀をしていくうちに
仲の良い友達が何人も麻雀を覚えていった。

毎週金曜日の学校終わりには庄田家に友達8人が集まり朝まで麻雀を打った。

一年ほど経った頃だろうか、学校に一本の電話があった。「中学生が夜な夜な麻雀をやっている」
職員室に呼び出された僕は先生からこっ酷く叱られた。

「麻雀は悪いもの。やってはいけないんだ」

先生から怒られたのはこれが初めてかもしれない。
そして反論したのももちろん初めてだった。

理解ができなかった。
僕の夢が踏みにじられているように感じた。

母親にもその連絡がいった。
母親も先生と同じだった。

「子供の夢を潰すなよ!!」

それが母親との初めての対立だった。

ご飯も食べずにゲームセンターの麻雀ゲームをした。腹が減って仕方ないし、麻雀も負け続けた。
心が折れかけたが、画面に映る麻雀プロ達がカッコよかった。

高校生になった時、冬休みだろうか。夜行バスで9時間かけ東京へ向かった。

目的は「麻雀最強戦の一般観覧」ただひとつだった。

朝6時に新宿駅に着いた。
会場の九段下までの行き方ももちろん分からないし、大都会にただ1人ポツンと置かれた気がして怖かった。
会場に着くと画面の中にいた麻雀プロ達がたくさんやってきた。
僕にとっては芸能界の大スターだった。

予選のある局で瀬戸熊さんが四暗刻の選択を迫られた。切った牌が重なってしまい成就しなかったが
その牌を引いた瞬間、瀬戸熊さんが聞いたことのない声を出した。

「うぅ、、、」

ショックとか、そういうものではなく

「人生をかけて打っている」
そう感じた。

麻雀は大好きだったし、麻雀プロになりたい気持ちは誰よりも強かったが、初めて生で人生をかけて打っている人を見て鳥肌がたった。

自分もこんなプロになりたいと思った。

高校卒業前の進路希望調査では「プロ雀士」と書いた。その頃には母親も「祐生の好きなように生きなさい」と言ってくれた。

「でも、ちゃんと仕事はしなさい」

東京で麻雀プロとして生きていく為に仕事を探した。なんとなく駅員を選んだ。
というか、石川県の小さな町の高校に東京の求人が来ていたのが駅員しか無かった。

倍率は8倍くらいあったらしい。
勉強なんてした事が無かったし、なんなら電車にすら乗った事がなかったが、なぜか合格した。

伝えた事はないが、家族の事が大好きだった。
輪島最後の日、1人部屋で号泣した。

「これから俺はどうなるんだろう」
「もうみんなに会えないのかな」

不安でしょうがなかった。

駅員の仕事を2年続け、麻雀プロの試験を受け合格し、日本プロ麻雀連盟の一員となった。

半年後の第30期チャンピオンズリーグで優勝し
タイトルホルダーとなった。
だがその後が全く続かなかった。頂いたシードは全て使い切った。

仕事も忙しくなりプロ活動がまともにできなくなった。

仕事を始めて10年が経ったとき、地元に帰った。
東京で生活していくのが難しくなった。
このまま東京にいたら、じぃちゃん、ばぁちゃんにもう会えなくなるんじゃないかと思った。
でもプロは辞めなかったし、辞めたくなかった。

数ヶ月後、一本の電話があった。
着信は「山井弘」と出た

「日本プロ麻雀連盟の事務局で働きませんか?」

なんで僕なんだろう、僕でいいのだろうか。
そう思ったが、答えは出ていた

その数ヶ月後、僕は東京にいた。
日本プロ麻雀連盟事務局で働く日々が続いた。

大晦日になり、地元に帰省した。
その翌日、能登半島地震が発生した。

生まれて初めて「死」を味わった。
人々の悲鳴と家の倒壊、28年間見て来た町が一瞬にして崩れ去った。

僕にできる事はなんだ。
そう考えた時に思いついたのがYouTubeと Xだった。できる限り発信をした。批判もたくさん来た。

でも応援してくれる人が圧倒的に多かった。
地元を歩いているだけで声をかけてくれる人もいた。

「麻雀プロの庄田さんですか?」
「いつも見てます!麻雀頑張ってください!」

あの地震をマイナスにしてはいけない。
どう思われてもいいからプラスにするんだ。
そう思った。

数日後、黒木さんから連絡があった。

「麻雀最強戦のMリーガー推薦で庄田君が選ばれました。推薦者は瀬戸熊直樹プロです」

言葉が出なかった。
中学生の頃から画面でしか見れなかった、
いや、プロ雀士になってからも画面でしか見れなかった「麻雀最強戦」に出場できることになった。

そして推薦者は、最強戦の一般観覧で「こんなプロになりたい」と思った瀬戸熊さんだった。

「なんで庄田なんだ」
たくさんの意見があると思う。
僕が別の立場でもそう思うかもしれない。

でも僕は頂けたチャンスを逃す気はない。
そう、どう思われてもプラスにするしかない。

6月2日「麻雀最強戦、次世代スター対決」が放送される。

実況:日吉辰哉 解説:瀬戸熊直樹

ただでさえ緊張しているのにこれを見て震えた。
でも、なんだか夢が叶ったような気持ちになった。

父ちゃん、母ちゃん、弟、じぃちゃん、ばぁちゃん

遠く遠く離れていても僕のことがわかるように
力いっぱい輝ける日をこの街で迎えたい。
僕の夢をかなえる場所は
この街と決めたから。

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