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【無料記事】魔神の父の観戦記 特別編「片山作品フォーエバー‼―私達はいつも片山作品と一緒に過ごしていた」(前編)
1 「近代麻雀202311月号」にて
何気なく近代麻雀をめくっていると、ある場所で目が止まる。こ、これは・・・・。
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私は涙がこぼれるのをどうしようもなかった。それはそうだろ。青春を共にした仲間達が、いきなり現れたのだから。ただこの涙にはもう一つの意味があった。
この漫画のまるで走馬灯のごとき映像。そしてミーコの「楽しかったね」。
違う違う‼片山作品のキャラ達は、当時も今も元気一杯活躍してるんだ。決して記憶の残像ではない。「楽しかったね」って、「た」ってなんだよ。
これは過去のことじゃないよ。彼らが紡いできた物語は現在進行形で動いてるんだ。
これは初期の作品「スーパーヅガン」の一こま。
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(ドラ1索)この捨て牌でリーチ。
そして
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ところがその牌姿は
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この「言い訳にならない言い訳」って、実際今でもよく見かけるだろう。
片山作品の最大の魅力はこのリアリティーにあるんだ。
麻雀にどっぷりと浸かっている人達の泣き笑いが、実に的確に浮かび上がってんでくる。読者は誰しも「うんうん。あるよね」と納得する。
当然、名言も山ほど出てくる。その深みは半端ない。「片山まさゆき名言集」早速購入。
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何と帯に渋川が居る‼
早速妻を呼んで盛り上がる。中を見てまたびっくり。
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な、な、な、「豪華対談」だと‼ええ?この中に渋川が入ってるって。渋川が生まれた時は考えもしなかった光景だ。
2 片山さんに会うぞ‼
私が片山作品に出合ったのは、1984年のこと。私はたちまちのうちに片山ワールドの虜になり、そして片山さんと麻雀談議をしたいと思うようになった。
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その後私は結婚し、すぐに渋川が誕生。当時私は「麻雀新聞(雀友日日)」を作ったり雀荘に通ったりと麻雀べったり。妻はあきれてたろうな。
私「麻雀に行ってもいいかな」
妻「今日は家にいてほしいんだけどね」
私「ちょっとだけならいいだろ」
妻「ああそうか。釣った魚に餌はいらないんだ」
こんな会話が頻繁に起こる。
ある日「雀友日日」を作っていると、妻がやってきて「渋君がこれを新聞に載せてほしいって」と私に原稿を渡すなり台所に行ってしまった。
な、何を言ってるんだ。渋川はまだ一歳。原稿なんて書けるわけが・・と見ると・・。
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何とこれは妻が渋川に化けて書いた作品。うーんさすがにかなり反省したな。これは新聞にちゃんと載せたぞ。
それから少し時が経ち、私はついに片山さんへ「雀友日々」付きのラブレターを送る。すると程なく「会いましょう」という返事。
これはもう夢か現か。妻に頭を下げ私は勇んで下北沢へ。世はバブルの花盛り、1989年夏のことだ。
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「スーパーヅガン」の最終回の原稿を竹書房に出してきたばかりという片山さんと出会う。
この夏の夜のことは一生忘れないだろう。スーパーヅガンから次回作「ノーマーク爆牌党」の話まで、私は生で聞けた。
印象的だったのは片山漫画の闘牌シーンが、すべて実戦から作られているということ。リアリティーの高さも当たり前だ。
話はいつしか桜井章一さんのことに。迫力ある桜井さんのオーラを聞かせてもらった。とてもいい夜だった。私は最後に尾道の話をして、是非遊びに来てくださいと誘った。
その後「近代麻雀(答えてバビイ)」誌上で「難波さん、必ず尾道に行きますからね」というメッセージを見た。また手紙も受け取った。これはテレカと共に私の宝物になった。
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