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免疫染色の進歩について(軟部腫瘍での応用)

はじめに

 この頃の腫瘍の病理診断で幅を利かせているのは次世代シークエンスをはじめとする遺伝子検索であり、腫瘍の組織標本で観察される純粋な形態に基づいた診断の精度に対する信頼性が低下してきているという実感があります。その精度を上げるための補助的手法の代表が免疫組織化学、すなわち免疫染色であり、その登場からすでに40年余りが経過しますが、病理診断に実用化されるようになったのは30年前頃であり、今日の腫瘍の病理診断において欠かせないツールとなっています。
 ところで、ヒトの腫瘍の中でもとりわけ種類が多いのが軟部腫瘍であり、その組織形態の多彩性は他の部の腫瘍を大きく上回ります。その理由の一つは、腫瘍の前駆細胞(間葉細胞)が多様な分化を示しうる能力を潜在しているためと考えられます。今日の軟部腫瘍の分類はその分化の方向に基づいて行われており、つまり腫瘍細胞に脂肪組織、線維・筋線維芽細胞、平滑筋・横紋筋組織、血管内皮細胞、血管周皮細胞、末梢神経組織への分化(特徴)が認められるかどうかに着目し、それに病理組織学的な特徴的所見(例えば紡錘形、上皮様、粘液腫状など)や異型性・悪性度などを加味して個々の腫瘍名が付与されているということです。そのような特定の細胞や組織への分化を腫瘍が示す組織形態のみから読み取ることは難しく不確かなことも多いため、免疫染色を実施してその裏付けを取ることが必要となります。そうすることで、間葉細胞系以外の腫瘍、すなわち上皮性腫瘍や血液リンパ系腫瘍などと鑑別することも可能となるのです。
 このように今日の軟部腫瘍診断に必須の免疫染色ですが、その目的として先に述べたような細胞の分化を見出すというものに加え、腫瘍細胞における特異的な変異遺伝子産物(タンパク)の検出を意図したものも最近益々知られるようになってきました。この場合の陽性所見は遺伝子検索による検出にほぼ匹敵するほど特異性が高いことが多く、免疫染色の手法は遺伝子検索よりも簡便かつ短時間で実施できるという利点もあり、腫瘍の遺伝子検索を今後凌駕する可能性もあると考えられています(いわゆる「次世代免疫染色」)。

AJSP誌に紹介された「次世代免疫染色」で使用可能な抗体のリスト

滑膜肉腫におけるSSX::SS18融合遺伝子産物の検出

 軟部腫瘍の中には融合遺伝子(キメラ遺伝子)と呼ばれる特殊な遺伝子異常が存在し、それが原因となって腫瘍が発生する(いわゆるドライバー遺伝子)とみなされているものが少なくなく、それらは腫瘍型に固有な遺伝子異常であることも知られており、検出されることがすなわち腫瘍診断に結びつくために、腫瘍の確定診断にしばしば利用されています。融合遺伝子が存在すると、それによって融合mRNAおよび融合蛋白が腫瘍細胞内に産生されることから、その融合蛋白に対する特異的な抗体を作成できれば、免疫染色法を用いることで融合遺伝子の存在を間接的に知ることができるはずです(「代替マーカー surrogate marker」とも呼ばれる)。

 滑膜肉腫は融合遺伝子を持つことで古くから知られる代表的な軟部腫瘍であり、x染色体と18番染色体のそれぞれに局在するSSX遺伝子とSS18遺伝子との融合遺伝子が存在します。これによりSSX::SS18融合タンパクが腫瘍細胞内に産生されており、それを検出するための特異的な抗体(E9X9V, Cell Signaling Technology)が近年開発・販売されました。この抗体を使用して滑膜肉腫の診断にどの程度利用可能かを検討した研究が行われ、その高い有用性を示した結果が立て続けに報告されました。同様に、別のタイプの特徴的融合遺伝子を持つ粘液型脂肪肉腫や胞巣型横紋筋肉腫でも感度・特異度の高い抗体の存在が知られています。


低分化滑膜肉腫における融合蛋白の免疫染色

 このような進歩のおかげで、これまで病理診断に難渋していた症例でも面倒な遺伝子解析を行うことなく免疫染色で診断を確定することができるようになったのです(下図参照)。

胃の粘膜下に認められた微小な滑膜肉腫(矢印)での免疫染色による融合蛋白の検出
(挿入図はSS18遺伝子分離プローブを用いたFISHの所見)

 なお、滑膜肉腫には均一な紡錘形腫瘍細胞の増殖のみからなる単相線維型と称される亜型に加え、しばしば腺癌に類似した異型な上皮細胞成分を含む二相型の亜型、未熟な小型類円形細胞からなる低分化型が存在しますが、ごく稀にほぼ上皮細胞成分のみからなる単相上皮型も存在するという報告があります(Hum Pathol 17: 200307, 2019). その様な腫瘍の場合、癌腫(腺癌)の軟部組織への転移と区別することが組織形態上ほぼ不可能でしたが、上記の免疫染色を行うことによって円滑に診断が可能となります(下図参照)。

上皮成分のみならずその間に分布する少量の紡錘形細胞にも陽性所見が見られる

 一方、時に予測される免疫染色と異なる結果が生じることがあることには注意が必要です。というのもこの免疫染色で用いられる一次抗体(E9X9V)は、SS18遺伝子のexon10とSSX遺伝子のexon6との融合を標的としてデザイン・作成されたものなので、その他のexonからなる稀な融合パターンを示す滑膜肉腫の細胞から産生された融合蛋白には反応しないからです。もちろんSS18遺伝子のexon10とSSX遺伝子のexon6との融合パターンは滑膜肉腫の90%以上を占めるために、日常の病理診断の現場では陰性となって困惑する場面はほぼないものと予想されます。なお、この場合SSX蛋白のC末端を認識する抗体(E5A2C)では陽性を示すことから、その時点で点で滑膜肉腫の可能性がかなり高いと予想されるので、FISHやRT-PCRなどの分子遺伝学的手法をさらに実施することで確診が可能と考えられます(下図参照)。

病理組織学的に単相線維型滑膜肉腫が疑われたものの融合蛋白を標的とした抗体E9X9Vは陰性だった症例
上記症例でRT-PCRを行いSS18::SSXの別の融合パターンであることを確認

おわりに

 融合遺伝子産物(蛋白)を標的とした免疫染色は実際に腫瘍診断において優れた機能を発揮します。しかし、その様な特徴的な融合遺伝子を有する軟部腫瘍を診断する場面は稀なことも事実であり、あえて高価で特殊な抗体(使用期限あり)を日常揃えておくことはコスパの点で見合ってはいないでしょう。抗体を所有している専門施設・ハイボリュームセンターに症例を紹介したり、コンサルテーションにより染色を依頼するのが目下現実的な方法と思います。それでも、簡易で労力・コストの面で優れている「次世代免疫染色」の今後の発展に対する期待は大きいと言えるでしょう。

補足

 最近小円形細胞肉腫の診断に有用な新規のマーカーがMass-Spectrometryを用いたプロテーム解析により明らかとなったことが報告されています。具体的にはEwing肉腫におけるBCL11B、CIC再構成肉腫におけるBACH2とETS-1です(Mod Pathol 37: 100511, 2024)。今後も同様の解析により、腫瘍診断に利用可能なマーカーが次々と見出されることが期待されます。

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