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三国志が終わるころ 『諸葛亮孔明』


三国志終盤戦にフォーカスしていくシリーズ今回は終盤戦の序章を彩った諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)の戦いの軌跡をお送りします。

日本では何百年も昔からその名を知られ親しまれてきた諸葛亮孔明、最近ではお茶の間にも顔を売って人気は一段と高まっていることと思います。

三国志演義という痛快アクションストーリーでは無敵の活躍をみせる孔明ですが、史実での彼はどういう人物であったのか。

まずは三国志前半戦における孔明の軌跡を追ったのち、彼の本領が発揮される劉備没後の時代へと話を移していこうと思います。


臥龍孔明 劉備に起こされる


むかーしむかし、あるところに諸葛亮孔明というたいへん頭のいい男がおったそうな。

孔明は臥龍(がりゅう、寝ている龍)と評されるほど才器優れた男じゃったが、官職には興味がないのか学友たちが仕官してゆくのをよそに、一人晴耕雨読の暮らしをおくっておった。

ある日のこと、臥龍の噂を聞きつけた劉備という流れ者の武将が
「そんなにすごいヤツならぜひおらの仲間に加わってほしいだ」
と考え、孔明の家へ訪ねていった。

孔明は劉備が三回回ってワンと言ったので、「分かりましたよ😅」と仲間に加わります。
以後劉備の側を離れず補佐して、二人は「水魚の交わり」と例えられるほどの仲良しコンビになりました。

劉備には猛将の名高い関羽・張飛をはじめ固い結束の配下がいましたが、大局を観て戦略を立てられるブレーンが不在でしたので(いかんせん脳筋軍団だったので)、孔明が加入したことで宿敵曹操と戦うための体制が出来たのです。

その後流浪の軍団長に過ぎなかった劉備が
呉の孫権と手を結び、強大な曹操と戦いながらもついに益州(えきしゅう、当時の中国の州のひとつ)という本拠地を得て蜀(しょく)を建国するに至ったのは孔明の導きに依るところが大きいでしょう。

益州を得て「天下三分の計」を実現させた孔明ですが、彼の本願は天下を統一して漢王朝を再興することですので、まだ第一段階に過ぎません。

天下統一への第二段階へ進もうというその時に孔明も予期せぬアクシデントが発生します。

蜀から離れた荊州(けいしゅう)という地域(の一部)を統治していた関羽が、呉の武将呂蒙(りょもう)の策略にはまり戦死してしまったのです。

蜀の軍神とも言える関羽と戦略上非常に重要な荊州の地を同時に失う大ダメージ。

悲劇はさらに続きます。
なんと張飛が配下の裏切りにあい殺されてしまうのです。

義兄弟二人を立て続けに失った劉備は関羽の仇を討つために荊州にいる呉軍に報復戦を仕掛けます。

攻撃を思い止まるよう臣下が劉備を諫めましたが、ブチ切れている劉備は聞く耳を持たず強行し、結果呉軍に敗れてしまうのでした。

極めつけに蜀皇帝の劉備自身が病に倒れこの世を去ってしまいます。

蜀はわずか3、4年の間にリーダーと将軍と領土を一気に失う悲劇の三連単を当ててしまうのでした。

天下統一への戦略図が瓦解してしまったことに孔明は頭を抱える思いであったでしょう。

しかし失意に沈んでいる余裕はありません。

病の床にある劉備に二代目皇帝劉禅(りゅうぜん)と蜀の命運を託された孔明は、一人重責を担って戦乱の道を歩んでいきます。


孔明本格始動 仕事始めは国内統治から


劉備亡きあと蜀の丞相(じょうしょう、君主を補佐する最高官位)として国家運営を一手に担うこととなった孔明ですが、直ぐに軍事行動を起こすことはしませんでした。

建国間もない蜀は荊州での敗戦と劉備を喪った動揺の中にあり、反乱する勢力も出てくるなど、不穏な情勢下にありました。

外を攻めるより先に内を治める必要から、孔明の最初の仕事は内政に専念するというものでした。

同時に呉の君主孫権に使者を送り、悪化していた蜀と呉の関係修復を図ります。
和睦は成立しこれによって外からの憂いを軽減させた孔明は軍備を整えると、反乱が続発する蜀南部の平定に乗り出します。

この時孔明に南部平定の方針を献策した一人の才人がいました。
彼こそ故事にもなって後世名を知られることになる馬謖(ばしょく)です。

のちにやらかすことになる馬謖ですが、人物としては知性優れ軍略に明るく非常に優秀でした。
その才器を高く評価した孔明は馬謖を側におき共に戦略を練る参謀役としていたのです。

実際に馬謖が献じた南部平定の方針には間違いがなく、孔明の馬謖への評価がさらに高まったことが想像できます。

孔明の南征を三国志演義では「南蛮制圧」としておもしろ戦争エピソードに仕立てていますが、史実上でも反乱勢力の首領孟獲(もうかく)を七度捕らえ七度解放する異色の戦いをやってのけたようです。

見事に反乱を鎮圧して蜀国内を安定させた孔明はいよいよ魏との戦いに踏み出していきます。


打倒魏王朝 孔明の真の戦いが始まる


孔明が主導した魏への侵攻戦を北伐と言います。
北伐は五回にわたって行われ、それぞれ第○次北伐と形容されます。

この北伐こそが歴史上孔明の軍事能力が示された最大にして唯一の舞台です。

逆に北伐以外には孔明の軍事的活躍はほとんどありません。

強いて挙げれば前述の南部平定における孟獲捕獲くらいでしょうか。

ともあれ蜀国内を平定した孔明は北伐の計画を練り上げ、いよいよ魏への侵攻作戦を開始します。


今回のお話はここまで、次回は第一次北伐がどのような戦いであったか。
そして孔明はどのように動いたかについて書いていきます。

ここまでお読みいただきましてありがとございます😊

また次回も読んでいただければ幸せです🙇

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