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普通に生きて、人に認められたい

noteを書いているのは、すぐ忘れる自分の記録のためと、誰かにここにいることを認められたいからだ。

30歳に近づいて、年月が経つのは早くなり、仕事でいろんな経験をしてきたが、私が身につけたことは少ない。

何者にもなれていない感じがある。


今、NPOで働くなかで、意識高い系ではなく、本当に意識が高く、世の中を良くするために行動する人を見てきた。
私は雇われて働いている身なので、中心メンバーが課題意識を持ち、ミッションを掲げたことに日々取り組んでいる。
働きながら思うことは、私は、自分自身で課題意識を持ったことに取り組むほど、意識が高くないということである。

そういう認めたくないことを認められるくらいには、大人になったのかもしれない。

でも、ほとんどの人がそんなもんじゃないかと思ってる。
それでとりとめなく言語化して、少しでも共感する人がいればいいんじゃないかと思ってnoteに書いているのだ。

昨年「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論 」という本が出たらしい。
私は読んだわけでないが、読んだ同僚が言うには、世の中、どうでもいい仕事に溢れて、仕事をしているのに何も生み出していない人がいるということだ。その話を聞いて、最近考えていたことに当てはまるのでそのうち読んでみようと思っている。最近は本を読む気力もないので、気になって読んだ人がいたら、感想を教えてほしい。


私は放っておくと、何も生み出さずだらだらする人間だ。働かないでいいのなら、一生だらだらして過ごしたいが、どうせ働くなら、世の中の誰かの役に立つことがしたいと思っている。

自分の労力を使うのに、本当は必要のないものを作ったり、本来ない欲望をかりたてて物を売ったりするのは嫌なのだ。

そんな訳で、意識の高くない自分が、世の中を良くしようとしている人のもとで働き、何かしら世の中の誰かのためになる仕事をしている。稼げないけど。それくらいで認められる社会になってほしい。

4月から職員がひとり辞め、4人の職場になった。給料は大して上がらないし、中心メンバーは40代で、続けて働いたところで引き継げる仕事でもない。いずれ、仕事を変えなければいけない。

自分で何か身につけるのは正直しんどい。けど、もうちょいいい生活したい。大したことは望んでないけど、生きづらい今が少しでもマシになることを望んでいる。

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