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誕生日が嫌い

誕生日を迎えた。0:00。まあ誰もおめでとうのラインは来ていない。来てほしくない気持ちとこないと寂しい気持ちの両方。とても複雑な気持ち。

小さい頃は良かった。親にプレゼントをもらえたし、おじいちゃんはお小遣いをくれた。親との関係は当時よりは確実に悪く、薄くなってしまった。プレゼントはない。今日は母とホテルでランチ。まあ初めてのことなのでそれはちょっと楽しみと、怖さがある。

ラインはまだこない。それもそのはずで、熱心に活動していた大学のサークルは辞めてしまったし、辞め方も綺麗なものではなかった。おめでとうのラインが来たらちょっと反応に困る。ありがとうになんの絵文字をつけたらいいのか、びっくりマークだけで済ますか。

会社にslackに自分のTwitterのようなチャンネルがある。多分そこにも反応はない。会社の人に誕生日は別に言っていないし、なんなら今日は営業日ではない。今年の後半は基本的にバイト漬けだったので、ここから祝われないのであればもう仕方ないと言うところである。まあ言われても反応に困るのはある。向こうも同じ気持ちだろう。その程度の関係性であることが虚しくて仕方ない。

高校の友達、これも面倒である。彼らは今日エアビーで忘年会をするらしい。誕生日の夜くらいは家族と過ごそうと思い私はそれを断った。大学生活最後、全員が集まることももうほとんどなくなることを考えれば行くべきなのかもしれない。家族と過ごしてもどうせ大して自分は喋らない。意味あるんかと思う。でも家族に夜は家で食べると言ってしまったし、断るのも本当に気が引ける。辛さがある。

そう、高校の友達に祝われると面倒なのはもう義務感で祝っていること確定だから嫌なのである。本当に辛い。集まって、あ、あいつ誕生日じゃん。自分祝ったわー、え、やばい。俺も一応行っておくかみたいなそんな会話がされるだろう。そしてされないかもしれない。気に病んでいる自分が1番気持ち悪い。ダサい。

嫌なのが大事に思ってない人から祝われること。本当に反応に困る。そして自分が大事にされたい人にそう思われてそうって思ってしまってまた病んでしまう。自分の行いが全部返ってくるというか。まあ本当にそう言うのが無理。

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高校の時の友達からラインが来た。嬉しかった。自分は彼の誕生日を祝わなかった。本当に申し訳ない。彼を一生大事にしたい。一度蛙化現象を起こして顔嫌いになりかけたけど、祝ってくれる人はもうほんとに大事にしたい。めちゃくちゃ面白いんです。この人。

文章がいいんですよね、たんおめって。その一言だけ。それがいいんですよ。こだわってない感じ。なんの気もなく発せられた感じ。こちらも気取らずに返せる。こう言う適当な関係性が1番長く続くのでは?と思ったりする。彼は結婚式に絶対呼ぼう。

病みすぎて鬱。ほんとに誕生日が嫌い。SNSが全部悪いね。祝われて当然の世界を作っちゃったのだから。何もない時代なら諦めもついたのかもしれないけど、今はそうじゃない。誕生日を迎えた人は祝ってくれてありがとうのストーリーをあげている。本当に無理。私がそんなことしたら友達の少なさが浮き彫りになるだけじゃん。だからしない。絶対しない。してみたい気持ちはちょっとあるけど絶対にしない。

もう誕生日って概念消してしまえ。何もめでたくないわ。感想なし。早く終われ今日。


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