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「自分が思う他人の目」は結局「自分の目」

朝、エレベーターで同僚と一緒になりました。

何の気なしに、挨拶がわりにひと言ふた言話しかけて、「へぇ」「ああ…」などと相槌をうち、大した会話もしないまま別れて各自の席に向かいました。

そのあと数分のあいだ、悶々としてしまいました。あの人今頃、「何、今の会話、必要だった?」…なんて、思ってるのではないか。。などと不安になってしまったのです。

誰に対しても、そんな風に感じるわけではないです。ただその相手は、私にとっては尊敬する相手で、かつ普段あまり話さないので、ちょっと緊張してしまって。余計に、自分の挙動が不審だったのでは・・などと気になってしまったのです。

出ました、「気にしい」の発動です。

昔の自分であれば、半日は引きずっていたかもしれません。「そんなことで??」と思われそうですが、そうなんです、そんなことで。

でも今は、数分で済んでいるので、自分としては大きな成長です!笑

このように「あ、自分が人にどう見られてるか気になってる」と客観的に意識できたら、心の中で以下のような言葉を自分にかけます。

①『大丈夫、自分が「他人の目」と思っている目は、結局「自分の目(心)」でしかないから』
→ 他人がどう思ってるか、考えてるかなんて、自分には絶対に分かりえないこと。「多分こう思ってる」というのはあくまで「自分の想像」=「自分が自分を見る目」でしかない。

②『そもそも、あの人はもう、私との会話なんてとっくに忘れてるから』
→ 考えてみれば、よほど大事なことや衝撃的な内容でない限り、他人が話してた言葉なんて一瞬で忘れてしまうもの。自分自身がそうなのだから。

①のようなことって、場合によっては、「いや、でもあの人の態度はよそよそしかったし…」などと、裏付けになるようなことまで追加で思い出して、深みにはまってしまうこともあるかもしれません。

そんなときのコツは、「友達が『同僚に変な風に思われてるかも』と悩みを打ち明けてきたら、自分は友達になんと声をかけるか?」を考えるんです。

そうすると、「えー、気のせいだと思うよ? たまたまじゃないかな。その人が何考えてるかなんて、分からないじゃん」などと、心からそう言うと思うんです。だって、本当にそう思うから。

それと同じことを、自分に言ってあげるのが、わりと良い手かなって考えています。一度、自分の悩みを他人事として客観的に見てみるというか。

なぜか人って、自分に厳しくしがちというか、自分に対してだけはネガティブに考えがちなところがあるみたいで…(特に私はそうだった)

こういうやり方を身に着けてから、今回のようなちょっとした悶々タイムは、だいぶ減りました。

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