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昭和のgifted - 57 シンプルに生きたい

前回のお話しはこちら

久々に例の闇堕ちちゃんがお家に遊びにきてくれた!

ヘッダー画像は闇堕ちちゃんと食べに行ったオシャレを意識しすぎたのか全然出てこなかったかき氷です。

なかなか連絡をくれなかった理由は「木春さんにお会いするのであれば "買えない" 手土産を持参したいんです!」と、いうことで実家から送られてきた桃を担いでやってきた。

前回お店で買える手土産を持参したのを今だに悔やんでるらしい。なにそれ笑!手ぶらで来ていいんだよ笑笑。

もう闇堕ちちゃんと呼ぶには申し訳ないくらい健やかに毎日を過ごしている闇堕ちちゃん。

それでも日々モヤモヤすることは尽きないらしい。(そらそうだ)

だだらにお茶して話てる中でふと闇堕ちちゃんが今仕事関係かなんかで関わってる会社の社長さんが「人の心を持ってる方なので見放されないように頑張りたいと思ってます!」って言ってて思わず私も「いいなー。私にも仕事くれ。」って言ったんだ。

どうやら闇堕ちちゃんHSP認定を受けたことがあるそうで、なるほどだから私の事を異常に好きなんだなと思いつつ「信じるのは良いことだけど、期待しすぎない塩梅をこれから覚えていけたら良いね。」と言う話をした。

期待を全くしないとわくわくがゼロ。
痛い目見て期待する気持ちの7割は捨てれたけど3割は持っていたい。

とのことだった。

わかる。わかるよ。私の場合は9割9分9厘期待する。
これまで私の期待に応えてくれなかった人は数えないほどいたけれど、それでも今相対している人は待ち望んでいた1厘の人かもしれないと思うから。

これ何度目だよ、と思うことでも相対しているその人のことをきちんと見るのであれば私がこれまで抱えてるきたトラウマのせいにして疑うのは申し訳ない気がするからいつもまっさらな気持ちで向き合う努力をしている。

私、スーパーサイヤ人だから一旦瀕死になれないとパワーアップして蘇れないし、仙豆があればなんとかあるのも知ってるから毎度「ブルータス!お前もか!!!」といいながら何度蘇生を繰り返してきたことか。

「傷つくのが怖いから」

ただそれだけの理由でATフィールドを張りながら人を疑ったり遠ざけたりすることが結局できなかったから傷つくのが分かっていても殻に篭りきることができないままでいる。

だって天岩戸に閉じこもっても宴やってたら気になっちゃうもん。

「人間って難しいですね」

と闇堕ちちゃんが言った。

だけど私は本当は難しいとは思ってない。

多くの人が私の外見や立ち振る舞いから好感を持って多くの人が惑わされてくれるので人心掌握とか自分のして欲しいことに誘導することなんで、私が私の心を無視したら意外と簡単にできる気がする。

既婚者(妻)の話を聞いたりしたときに「上手にお願いしたりとか、旦那を上手くコントロールして今躾けてるんだ〜!」みたいな話を聞くと辟易する。

と、いうかこれくらい自己中というか図々しくいられるくらい女性じゃないと結婚とかできないんだろなー…と白目になったこともある。

承認欲求が強い人は言いなりにできたことで満足いくかもしれないけれど、人として好かれておおよその人には憧れてもらえるのに、一部のやっかむ人たちのせいで揚げ足を取られ続けてきた私からすれば、上っ面の私だけを見てちやほやしてくる人とか、迎合してくる人にはなんとも面白さを感じない。

むしろしょうもなさとかチョロさしか感じない。

私はすぐ感情が顔や動きに出るから忖度とか駆け引きとかは苦手だし、そんなことに巻き込まれるくらいなら脱兎のごとく逃げる。

仕事だったら自分の都合の良いように、スムーズに進むように交渉や根回しもするけれど、感情的なことはもっとシンプルでいたい。

一緒にいると楽しいから一緒にいたいとか
好きだから一緒にいたいとか
楽しくないから一緒にいたくないとか
嫌いだから可能であれば関わりたくないとか

立場がどうとか、肩書きがどうとか、関係性がどうとか、まぁ私が「この人は無理だ!!!」となるのはかなりヤバさMAXなのでそんな奴をのさばらしてるのであればコミュニティごとおさらばだ。

お互いが好き!と思いあえているなら楽しく一緒に過ごせるし、どっちかが嫌になったって変化したのであればどっちの意見を尊重する?とかどっちが譲れる?って話し合えば良いだけの話なのに。

誰かが適当に言っただけかもしれない倫理観や社会性の定義と大衆心理が難しく考えている方が偉いみたいな風潮になってるからシンプルに生きるのが難しい。

最近ではかなりマシにはなってきてると思うけど。

宗教とかも形而上的に捉えれば生きるために必要とする人がいるのもわかるけど、形而下的に捉えればそれらが創られたその時代に、誰かが生存戦略をたてた結果、なるべく分母を温存できる策を弄して不特定多数を一致団結させるために用意されたものにすぎないかもしれない。

だから地域や歴史によって譲れる、譲れないが出てくるのは仕方ないかもしれないけれど、なぜそれが生み出されたか?の背景を探れば案外納得も受け入れもできるものかもしれない。

長々Noteを書いててめちゃくちゃ難しく考えてるじゃん!!

とか思う人もいるかもしれないが、私なりの「普通の考え方」で疑問に思ったことを自分なりに紐解いて整理したらこうなるってだけの話で全く難しく考えている自覚はない。

わりと私の中の理想に近づけていってるような気も最近はするけれど、私はなるべく感情の赴くままシンプルに生きていきたいと思っている。

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