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しもたか

昨日は「もういいかな」と友人に会いに行きました。2020年の桜の咲く時期に会いに行こうとして時間が合わなくなり断念。その後のコロナ拡大で会うことを躊躇っているうちに三年が経ちました。健康面の不安もあるしコロナ禍で色々と心理面に変化が起きてもいたので伸ばし伸ばしにしていました。

そしてアポ無し訪問。まあ距離的にも近いし空振りでもいいなと向かいました。空振りました笑



下高井戸は西荻の前に住んでいたので懐かしかったです。

そういえばコロナ禍でさらにネットやSNSの存在は大きくなったように感じてます。動画配信やリモート会議が収入源になったりビジネススキルの重要なツールになっています。

友人はネットはほぼやってません。利便性やコミュニケーションの取りやすさを思うと利用することは今や当たり前です。そしてそこまで考えて、そうか!ネットやSNSを自分で勝手に重要視してるなあと思い至りました。

僕なんかはネットリテラシーなども理解しながら、なるべくそれらと距離を置こうと思っていたりします。それとは別に、友人はネットなどを端から意識していない。

そっか。それは大切なことだなと思ったし、心のどこかでそのことを尊重、というか友人へのアプローチとして僕はアポ無し訪問の一択でした。僕はどこかで人と人が会うのはエネルギーを持った生命として意識しています。その人のエネルギーの質とか傾向を大切にします。僕はどこかで人と動物を区別していない。犬とか猫を見かけた時に彼らを理解しようとする時の意識は人を相手にしている時もほぼ同じです。人を人として社会的な関係性とかで見ようとすると自分の中に違和感が生まれて疲れてしまう。自分が弱いから人も動物としてみています。

人はそれぞれ各個人の認識によって世界を見てつながっている。僕はうまく社会にフィットできていませんが孤立したいわけではないので努力しているつもりです。

友人は職場を辞めていました。元気であればそれで良いし、もしまた会えたなら嬉しいです。空振りすることで少し「視点」について考えることができました。

他人の認識、意識の持ち方にここのところ興味があります。それによって人と繋がり、離れることもある。もしもう少し他人の意識を、せめて関係性の近い他人の意識をもう少し知っておけば、互いにもう少し豊かな関係性が作れたんじゃないかと思ったりしています。

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