2019年3月の記事一覧
木の芽どき漸うと、引き込まれてしまう。春のあやかし、ふゆを装う術師。
ひとは、非とで在ることに明け暮れます。虫ではないからです。太宰治は、太宰治であることに非であると唱えました。逃避行は、きっとどの世でも苦行だったことでしょう。本業を言い分けるくらいなら、やめておしまいなさい。それを世に出すことは犯罪同等。
電脳世界が何れだけ蔓延るとしても、己を正当化する理由にはならない。何でもありの世界など無い。顔洗って出直すか、閉鎖病棟から出るな。
フレンチトーストレタスサンド
読ませたいと、食べさせたいとは似て非なる。
家族のために毎日の食事を思考する者は、行間を犠牲にした日々があったやもしれない。
書くものはこゝろだけでは成り立たず、犠牲とは夢。
フレンチトーストに挟まれたレタスの萎れは尊くも、無くとも気づかぬものだった。
しかし、
それすらも拒否しなければ生きていけない間がある。
食べなければ死ぬ。ならば食べても死ぬ。
読むことも、食べることも