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ロシアンルーレット

どうやら関西のおばちゃんたちはみな「飴」に親しみの「ちゃん」づけなんかしたりして「飴ちゃんやろか」と見ず知らずの子供にまでススメ迫り来るらしい。という妖怪じみた噂が他県にまで広がっていることを知ったのは物心ついてからしばらくしてのことだった。そして我が家のおばちゃん(僕からしたらおばあちゃんだったが)ももちろんその妖怪のうちの1人であった。

うちのばあちゃんもそうであったようにほとんどのおばちゃんは飴ちゃん専用の袋をもっていた。
よれによれた巾着状のもの。タバコの景品っぽいエナメル質の小ポーチっぽいもの。お手製まるわかりな不思議な柄と和柄が混じったもの。
それぞれが様々な袋を持っていた。驚くことに今まで飴袋の柄が被っているのをみたことがない。しかしなぜだろう。いかにもそこに飴が入っていることがわかる小袋なのだ。「何が入ってんだろ?」なんて変な勘ぐりは必要ない。
見るからに柔らかい雰囲気をはなっている。
「飴ちゃん専用の袋が市販で売られてるのか」と思うくらいにそうなのだ。
こっちとしても不思議なことだが、知らないおばちゃんが目の前でおもむろに袋を取り出すと
「あぁ飴くれるんやろな」とすぐ察知できて、
「飴ちゃんやろか?」の言葉を聞いたときにはもう体はおばちゃんに預けるくらい乗り出していて口元に手を伸ばしている。「どれどれ今日おたくはどんな物をお揃いで?」と抵抗なくその袋に手を突っ込むことができた。
(おばちゃんの飴ちゃん袋のババくささよ)
それがおばちゃんと子供の距離をつめるいい緩衝材になっていたのかもしれない。

そんな袋をばあちゃんは鞄にいつも入れて持ち歩いていた。
しかしそのラインナップといえばなかなか激渋なものばかりであった。黒、深緑、菜花の名前が書かれた白の包紙の飴。
子供の頃だ。だいたいはパッケージや包紙にキャラクターが描いてあったり、色鮮やかなものばかりを選んでいた。
出かけ途中で車内で繰り広げられる「飴ちゃんやろか?」タイムでは、その言葉に一瞬胸高鳴り踊らされるが、袋の中をみれば誘惑という文字はたちまち溶け去りそのラインナップにげんなりした記憶がある。
しかしお家ではもちろんストックの種類が違う。
特にお気に入りだったのはおばあちゃんの和室の家具の一部と化していたサクマドロップスだった。(今までつらつら書いた袋の話はどこへやら。お話はここからです。)

ある日の出来事、今日もトットットっと階段を駆け降りて飴をもらいに来た。「ばあちゃん飴ちょうだい」「いいよ」と飴ちゃん袋を傍目に和室の一部をもぎとるように手元にはサクマドロップス。そっと小さな手を包むように下に柔らかなばあちゃんの手が添えられる。
カラッコロッと小気味良い愉快な音を立てて手のひらに転がり出た飴玉は白く半透明で宝石みたいに綺麗な光沢を放っていた。
この瞬間ばっかりは「飴」に「ちゃん」をつけてやってもいいだろうと愛おしさを覚える。
「綺麗な飴ちゃん」
そしてカコッと口の中へ音をたてて放り込む。
口いっぱいにひろがるであろう至福の果実の粒をどのようにして溶解してやろうかと想像する甘さに期待をふくらませ、口内には唾液が湛えていた。が、その期待は束の間。そこで溶け出したのは蜜というより毒。激しい清涼感だった。
口いっぱいにしていた唾液が噴出しそうになる。しかし食べ物を粗末にしてはいけないという教えがあったので、目の前にいるばあちゃんの前で吐き出すわけにはいかない。
唾液が溢れる。犬がご飯時に嬉しそうに垂らす興奮冷めやらぬ喜ばしい涎なんかではない。口の中を涼しさをもって圧倒的速さで侵略する未知のそれを希釈するためだ。
子供の口だ。我慢は瞬く間に虚しく終わる。
気づくとティッシュにそれを吐き出していた。
「ごめんなさい」そんな言葉が出てくるはずがない。こっちは毒を盛られたのだ。
「なんこれ!りんごちゃう‼︎ばあちゃん飴腐ってんで!」(受け付けないものがあれば、すぐ腐ってると決めつけ、それ自体をダメにしてしまう安直な考えだ。)
「飴が腐るはずないがな。どれ?なんやハッカ食べたんかいな」
「ハッカ?」そんな果物聞いたことがない。
「なにそれ?」「ハッカ飴っていうのがあんのよほれ、新しいのやろ」
(説明になってない。ハッカ?こんなただ涼しいだけの飴があっていいわけがない。飴は甘くなくちゃいけない。涼しさなど味覚の勘定にいれてはならない。許されても苦い辛いだ。それを食べる時はある程度の覚悟をもって口にいれるが、誰が食物に涼しさを求めるというのだろう。ほらまだ口から吐き出したというのに口内がスースーしっぱなしじゃないか。)息を吸えども吐けどもハッカがやってくる。口内を占めるハッカを逃がそうとハァーハァーと大袈裟に口を広げれば広げる分だけハッカが入り込んでくる。
ハッカへの困惑と抵抗を繰りひろげてる中
「またちゃう味食べたらすぐ治るわ」と
もう一粒を準備するばあちゃんの手元から聞こえてくるのはカラッコロッと先程の楽しげで愉快な音ではなく悪魔の笑い声だ。
真っ暗な穴が怖い。次は何が出てくるのか。すっと手を添えられる。甘い宝石ばかり詰まってるカンカンだと思っていたものが子供心を弄ぶロシアンルーレットへと変わった瞬間だった。


あとがき
ハッカ飴。今でも好んで食べることはありません。サクマドロップスは相変わらず好きですが、手のひらにコロッとでてきたのがハッカだとハズレクジを引いた気分になります。(しぶしぶ食べてあーこんな味だったなとやっぱり苦手だなとすぐ噛み砕いてしまいます。)
口内は皮膚でうける斬り傷や擦り傷などに比べて比にならないくらいの衝撃が身体にはしるものですね。
じんわりくるのではなくいきなりemergencyになる危機感。子供のころは色々物を知りませんからその衝撃といったら大袈裟なくらい感覚に染みつくものです。皮膚と違い体内に入る恐ろしさを覚えた瞬間でした。

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