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岸本和葉先生『今日も生きててえらい! ~甘々完璧美少女と過ごす3LDK同棲生活~』読書感想文

「人の心の中では、二匹の狼が、たたかっている。
一匹の狼は──怒り、妬み、悲しみ、後悔、欲、傲慢、劣等感、嘘、思い上がり、そしてエゴでできている。
もう一匹の狼は──喜び、平和、愛、希望、平静、謙虚、親切、慈悲、共感、寛大、真実、そして信頼でできている」
「どっちの狼が勝つの?」
「餌を与えた方だ」

ネイティブアメリカンに伝わる物語


サヴィルロウ大学 オーランド教授による『しあわせ』についての研究報告

ここに魔法の杖がある。
この杖を一振りすれば、あなたに必ず幸せが訪れる。
あなたは杖を振るだろうか?
安心してほしい。
あとで金品を要求したり、なんらかの代償を払う必要もない。
あるいはこれは何かのテストで、返答の次第であなたの内面を評価するわけでもない。
コーヒースタンドで無料のチケットを渡して、一杯サービスしてもらえるくらいの感覚で、幸せを受け取れるのだ。
さて、どうする?

私はこの問いかけを、あらゆる世代のグループの前で行ってきた。
興味深いことに、どのグループも半数は杖を振ることを選び、残りの半分はこばんだ。
杖を振ることを選択した面々の主張は実に明快で、それはもう『幸せになりたいから』にほかならない。
他方、杖を振らない人々の理由は次の二つに分類された。
『やはり何か裏があるのではないか』『幸せとは簡単に手に入れるべきものではないから』

どうやら幸せというのは、まるで貨幣のように誰もが求めるものであると同時に、たやすくそれが手に入りそうになれば警戒を生む効果もあるようだ。
私だって、この棒を振るだけで一万ドルさしあげますと言われたら、疑うより先に無視するし、あるいは悲鳴を上げて逃げ出すかもしれない。
それはきっと子供のころ夢中で読んだ、リチャード・マシスンの名作『運命のボタン』の影響だろう。
このボタンを押すだけで、数万ドルを提供します。ただし、世界のどこかであなたの知らない誰かが死にます。
あの驚愕の結末は十歳の少年に一生残るトラウマを与えるには十分すぎた。
だが、おちついてほしい。
私があなたに提供するのは現金ではなく幸せだ。そして駆け引きはなしだ。誰も傷つかない。あなたはただ幸せになればいい。
こうやって言葉を重ねていくたびに、私への疑念も増していくように感じるのは、たぶん気のせいではないだろう。
私もだんだん、スパムメールの文面をつむいでいる気分になってきた。
『あなたを幸せにしてあげましょう!』
こんな件名のメールが届けば、本文を見る前にスワイプして迷惑メールフォルダかゴミ箱に直行されるだろう。
その行動は間違ってない。
しかし、一度立ち止まって考えてみてほしい。
そもそも、幸せとはなんだろう。あなたにとっての幸せとは?
ネットで検索しても辞書を引いても、あなたなりの定義を語ってくれてもかまわない。
あなたがどんな解答を提出しても、私はそれを肯定する。

幸せとは何か?
あらゆる哲学者、政治家、アスリート、著名人が自分なりの解釈を交えて口にする光景を幾度いくどとなく目にしてきた。
あわよくば、今どきの言葉でいうところの、バズろう・・・・とでもしているのか、ずいぶん独創的な定義もあった。
私は世間から幸せ研究の第一人者などと呼ばれているせいか、私自身の定義を訊ねられることも少なくない。
そしてそれを伝えると、聞いた相手は納得するどころか、首をかしげたり、露骨に不快感をあらわにさせることもあった。
それでもあなたは聞きたいだろうか?
では、少しだけ時間をもらえないだろうか。
私にとって幸せとはどのようなものなのか?
それを語るためには、時計の針を三十五年前に戻す必要がある。
私がまだ、しがない高校教師だった、ある日の放課後に。

「聞いてください、先生!」
「聞いてください、先生!」
同じ言葉を叫びながら、二人の生徒が校内に用意された私のオフィスに飛び込んできた。
どちらも二年生だ。
「聞いてください、先生。とてもひどい本を読んでしまったんですよ!」
「聞いてください、先生。とても素晴らしい本に出会ってしまったの!」
ここで二人の意見はわかれたが、手にしていた文庫本は同じものだった。

岸本和葉、著『今日も生きててえらい! ~甘々完璧美少女と過ごす3LDK同棲生活~』

とりあえずおちついて、そこに何が書いてあったのか聞かせてくれないか、と私は促した。

「僕はこの本を読んでひどく傷ついてしまったんです」この世の不幸を一人で背負わされたような顔をした少年は言った。「主人公は事故で家族を失い、お金にとても困っているのに、仕事まで失ってしまったのです。つまり今の僕とまったく同じ状況にあります。この本は読者にやしを与えてくれると聞いていたのに、癒やしどころかトラウマをえぐらた気分ですよ!」

「それはあなたがそこで読むのをやめてしまっているからよ」絵画の中から飛び出してきたみたいな美しく幸福そうな笑顔の少女は言った。「もう少しだけ読めば主人公の前に救いの女神様が現れるのよ。きっとあなたの人生だってそうなるはずよ。絶望でもあきらめなければ、希望は向こうからやってくるものなのよ」

「物語のつづきなら僕だって読んださ。美人で裕福なクラスの女子から散々甘やかされて、おまけに求婚までされて、とんだ茶番だね。こんなのは物語だから成立している絵空事だろ」

「そんなことはないわ。私もほんの少し前まで、この物語の主人公と同じような、つまりあなたと近い境遇にいたわ。家族を失い、お金もない、何度死のうと思ったことか数えきれないくらいよ。だけど、とても親切な善意の人に救われて、こうして綺麗な制服を着て、不自由もなく学校に通えている。この物語を否定するのは今こうしている私を否定されているみたいで不思議だし、これからのあなたの可能性を否定しているみたいで悲しいことよ?」

少年は何か言い返そうと試みたようだが、上手い言葉が浮かんでこなかったのか、唇をむずむずさせるだけだった。

少年と少女。
客観的な事実だけ並べると、少年は自己肯定感が低く表情も暗く常に後ろ向きで、少女は自己肯定感が高く明るい笑顔でいつも前向きだった。
両極端な性格にもかかわらず、これまで二人が歩んできた人生の道筋は驚くほどよく似ていた。
ここまでの情報で既に二人の正体に気づいた読者諸賢もいるだろう。
これは推理小説ではないので、ここで明かしてもかまわないのだけれど、それは最後までとっておこう。
以降、自己肯定感の低く暗い少年のことはユウ。自己肯定感の高く明るい少女のことはマオと呼んでいこうと思う。

ここでユウは珍しく勇ましく、声を上げた。
「この本は僕を怯えさせるために書かれた悪魔の書物です。その理由だってちゃんと言えますよ」

「ほう」私はその主張に興味を覚えた。「それはそれはぜひご教示いただきたいね」

「いいですか? これを見て下さい」ユウは『今日も生きててえらい! ~甘々完璧美少女と過ごす3LDK同棲生活~』の前半のページを開いてみせた。「主人公は二年A組の生徒で、彼の前に現れた女の子の名前は冬季ふゆきさんといいます。これで十分でしょう?」

私は首をかしげ、しばらく考えたのちに、こうたずねた。
「すまない、さっぱりわからない」

やれやれとあきれるように首を振って、ユウは教えてくれた。
「いいですか? 『2』は僕のアンラッキーナンバーで『A』と『冬』は僕のアンラッキーワードです。嫌なことがあったとき、ふと時計を目にするといつも2時22分だし、『A』や『冬』の文字を見た後には決まってよくないことが起きるんです。僕がいつも避けている数字や文字を意図的に入れて嫌がらせをしているとしか思えませんよ!」

おそらく誰もが思いつくであろう常識的な反論を私がはじめる前に、マオが口を挟んだ。
「そんなことはないわ! 『2』『A』『冬』は私にとってのラッキーナンバーとラッキーワードよ。ハッピーなことが起きるとその時間を記録するようにしてるけど、それが2時22分のときがすごく多いの。それにApple製品、ABCマート、冬至に冬虫夏草や冬将軍──私の大好きなものには『A』や『冬』がいっぱいついている。この物語の作者は私を喜ばせようとしてくれているに違いないわ。きっと作者は天使のような御方よ!」

ここでもまた、二人の意見は見事に割れた。

オーランド教授のハッピーコラム
ラッキーナンバーとアンラッキーナンバー、時計を見るといつもゾロ目になっている現象について。

試しに今このテキストを読んでいる端末で検索サイトに飛んで『ラッキーナンバー』と入力してみてほしい。
名前、生年月日、趣味、現在地など、ありとあらゆるあなたの個人情報と引き替えに、あなたのラッキーナンバーを教えてくれる親切なサイトがあふれるほど表示されるだろう。
有料会員に登録すれば毎日あなたのためのラッキーナンバーをお知らせしてくれる素晴らしいサービスまで見つけてしまった。
ラッキーナンバーの厳密な定義は曖昧だが、その数字のおかげであなたがラッキーになることはおそらくないだろう。
同様に特定の数字があなたをアンラッキーにすることもないだろう。
特定の数字を支持もしくは忌避きひした結果、それが現実に影響を与えるかという研究は多くされており、それで働く物理法則は何一つ確認できなかったと全ての研究結果が物語っている。
縁起がよい、あるいは悪いとされる数字は国や地域によって異なり、それらの伝承や個人的な経験によって、そこはかとなく『いい数字』と『わるい数字』が自分の中で設定され、特定のできごとが起こった際にたまたま・・・・その数字と重なったとき、あなたのラッキー(もしくはアンラッキー)ナンバーは完成されてしまうのだ。
全ては偶然の産物にすぎない。
だからこれだけは覚えておいてほしい。
数字があなたの運を左右することはないと。
無論、単純に気分が良くなるから、げんかつぐなどの理由でラッキーナンバーやアイテムを身に着けることに関しては否定しない。
そういうルーティーンが日常のパフォーマンスに良い効果を持つことは確認されている。
おまけとして、たまにこういう質問を受けることがある。
「時計を見ると、いつもゾロ目になっているんですが、これは何かからのメッセージなんでしょうか?」と。
ここで再び我らがインターネットに協力をあおごう。
『時計 ゾロ目』で検索すると、そこにどのようなメッセージが隠されているか"驚愕の真実"が次々と出てくる出てくる。
私は神秘主義者ではないけれど、人知を超えた大いなる存在にはいてほしいと思っている。
しかしわからないのは、なぜそのような存在がわざわざ時計の数字という解釈の定まらない遠回りな手段を選ぶのだろうか。
わかりやすく目の前に顕現けんげんして、理解できる言葉で伝えてくだされば、もっと支持者も増えるだろうに。
時計のゾロ目について『いつもそうなっている』という方に対しては、まず間違いなくあなたの記憶違いだと断言できる。
人は一日に何度も時計を確認している。ゾロ目のときだってあるだろう。そしてゾロ目というのは記憶に残りやすい。
だから『そうでなかったとき』が無意識に除外され『いつもゾロ目』という"事実"ができあがる。
同時に時計がゾロ目になる確率自体が低くはないので、それを見たことに超自然的な理由はおそらくない。
たまたま・・・・そうなったのだ。
ちなみに私がこのテキストを書いている現在の時刻は12:20:15である。

ユウは引き下がらなかった。
「この本がおそろしいのは内容だけではありません」

私は訊ねる。
「それは一体、どういうことかな?」

「見てて下さい」
ユウは活け花でもするみたいに、文庫本をテーブルの上に立てた。
バランスがとれていなかったのか、本はぱたりと倒れる。
「どうです?」

「……すまない。よくわからない」

「僕はいつもこうやって机に本を立てるんです。そうして椅子に座ると表紙と向きあえるのが好きなんです。だけどこの本はしっかり立ってくれないんです。これは何かの予兆にちがいありません。大切な誰かが倒れるとか、もしかしたら出かけた先で建物が倒壊することを予見しているのかも」
ユウは真剣におびえている様子だった。

「きみは一度、カウンセリングを受けるべきだ」

「いいえ、あなたのその見解は間違っているわ」またしてもマオが割り込んできた。「本が倒れるのは、あなたに世界の素晴らしさを知ってもらいたいからよ」

マオの意見に私とユウは同時に首をかしげる。

「ほら見て、本は表紙を上にして倒れているでしょう? まるで空を見上げているみたい。今朝、ニュースで見たの。今日は今年一番の星空になるでしょうって。この本はそれをあなたに伝えたかったのよ」

ロマンチックすぎると思ったものの、素敵なものの見方だなと感心したのも事実だった。
きっと今夜、私は夜空を見上げるだろう。

オーランド教授のハッピーコラム
一体これはなんの予兆?
たくさんの鳥たちが一斉に西へと飛び立った!
見たことのない奇妙なかたちの雲を目撃した!
いつもは笑顔の店員さんが今日は冷たかった!
天変地異の前ぶれか?
家族になにかあったのか?
それとも自分は世界中から嫌われたのか?
間違いない。これは何かのメッセージに違いない!
間違いだから安心してほしい。
人には偶発的な出来事に対して、何かのパターンや関係性を見出そうとする性質がある。
これをポアソン・クランピングという。
私自身のことで説明しよう。
12歳のとき、5歳年下の妹と留守番を命じられた。
両親が出かけてほどなくして、友人から連絡があった。
年頃の男の子が最も興味をそそられるものが手に入り、今だけそれを公開できるので早くこっちにこい、というものだった。
すぐに帰るからおとなしくしているようにと妹に言い聞かせ、私は家を飛び出した。
予定滞在時間を大幅にオーバーして私は友人宅を後にした。
帰り道、けたたましい音をたてながら、猛スピードで救急車が我が家の方角へと走っていく。
私は激しい動悸におそわれた。
間違いない、妹に何かあったのだ!
救急車の後を追うように、消防車とパトカーがつづいていく。
私は気が動転してその場に倒れそうになる。
一人で留守番をしている妹が強盗にあったのだ。そして重傷を負い、家に火をつけられたのだ。
両親は私に失望して、私は施設に預けられるに違いない。
私はボロボロと涙をこぼし、妹への謝罪を何度も口にしながら重い足どりで自宅に向かう。
そこで私を待ち受けていたのは、出かける前と寸分たがわぬ立派な我が家で、妹はテレビの前でおとなしく座り、任天堂のキャラクターを場外に吹き飛ばすゲームに興じていた。

余談だが、何年も使っているストーブの調子が悪くなった、先日失礼な態度をとってしまった相手からの反応が冷ややかだといった、明確に因果関係がはっきりしている事象については早急な対応をするのが好ましいのはいうまでもない。

「とにかくこれは直感なんですよ!」ユウは意外と粘り強かった。「この本は僕に悪さをしようとしているんです。僕は悪い直感だけはよく当たるんです!」

「あら、それなら私だって同じよ?」マオも負けていない。「私、良い直感の的中率には自信があるもの。私の直感はこの本を素晴らしいと断言しているわ」

オーランド教授のハッピーコラム
直感の正体
あなたを一時的にSNSで人気者にしてさしあげられるかもしれないテクニックを紹介しよう。
直感の素晴らしさをいてみるのだ。
『迷ったときは直感を信じてみて。きっとその選択は正しいはずだよ』
『初対面の人の第一印象は大切にして下さい。少しでも違和感を覚えたら、その人とは距離をとりましょう。それはあなたの本能からの警告です』
こういった投稿が毎日たくさんの『いいね』を集めている。
スピリチュアルには否定的でも、直感だけは別腹的に肯定的な人たちは実に多い。
己の感性の鋭さを確信しているのか、人にはまだ観測されていない第六感があってほしいという願いなのか。
そんな直感の的中率についてはあらゆる機関の大規模かつ長期的な調査でおおむね結論は出ている。
その的中率は『およそ五割』である。
コインを投げて決めるのと変わらないのである。
それでも社会に出ると、良い(もしくは悪い)直感はよく当たると断言する人とそれなりの頻度で遭遇する。
もしかすると本当に直感の優れた方なのかもしれない。
しかし、おそらくは本人の気のせい、あるいは無意識の記憶の改竄かいざんが原因である可能性が高い。
毎秒のように私たちはおびただしい量の情報を処理しており、そこには無数の直感と名づけられた予測も含まれている。
『当たった直感』は記憶に残るが、そうでないものは忘れがちになることは、ノーベル物理学賞を受賞したリチャード・ファインマンも記している。
さらに『当たった直感』については、いくつかのパターンが存在する。
まず一つ目、本当に直感が当たった場合。
(おめでとう!)
二つ目、直感ではわかっていたという誤認。
(競馬やナンバーズなど結果を予想するくじに挑戦して見事にはずしたとき、直感ではわかっていたのに、どうして直感に従わなかったんだ! などと考えたことはないだろうか?)
三つ目、記憶の改竄。
(例えばAさんという人がいた。あなたはAさんには何の印象も持ってはいなかったのに、そのAさんが実は良い人だったり悪い人だったと判明した途端に、やっぱりね、あの人は何かあるって出会ったときから思ってたんだよ! と思ったりネットに書き込んだ経験は?)
これらの積み重ねによって、『直感のよく当たる人』は形成されていく。
また、良い直感、悪い直感、どちらが当たるかについては、その人の性質がポジティブがネガティブかに依存する傾向が強いこともわかっている。
前向きな人なら良い面を見るだろうし、後ろ向きならば不安を予期しがちなので、説明の必要はないかもしれない。
理解すべきなのは、ポジティブ=良い、ネガティブ=ダメ、というわけではないということだろう。
ポジティブは絶対! ポジティブは素晴らしい、人類はみなポジティブであるべきだというポジティブ至上主義は永久不変の真理の如く、もてはやされ、あがたてまつられている。
必ずしもそうではないと、私は言いたい。
ポジティブ、ネガティブは善悪ではなく、それぞれが色のようなものだと私は認識している。
前向きすぎる猪突猛進な行動のせいで、信じられないような初歩的なミスで大事なプロジェクトが頓挫とんざしたケースは少なくない。
そこにはスプーン一杯の慎重さネガティブが役に立つ。
反対に、不安に怖じ気づき走り出せば届く距離にある可能性に手を伸ばせないでいるのなら、積極性ポジティブの出番だ。
何か行動を起こすとき、自分の中の感情としっかり対話をして、そこから導きだされた『直感』であれば、きっと後悔は少ないはず。
そう私の『直感』はささやいている。

「聞いてください、先生」大切そうに文庫本を抱きしめながらマオは言う。「この本はね、私の……願いを叶えてくれたんですよ」
そこでマオは私ではなく、ユウに視線を向けた。

その視線に少年は気づいていない。ずっとうつむいているからだ。

「それはよかったね」その声に感情はなかった。「僕の願いはいつまでたっても叶えてもらえそうにないよ。ときどき神社や教会に行ったり、普通の人よりは清く正しく生きてるつもりだけどね」

「願いを叶えるなんて簡単よ」マオは言いきった。「紙に書けばいいのよ」

「──は」ユウは鼻で笑う。「なにそれ、スピリチュアルってやつ?」

オーランド教授のハッピーコラム
紙に書くと願いが叶うメカニズム
それはもちろんあなたのオーダーが宇宙に届いたからでも、引き寄せの法則が働いたからでも、アファメーションや潜在意識が願いを呼び寄せたからではおそらくない。
著名なスポーツ選手やアーティストの多くが少年時代に将来どんな自分でありたいか成功した姿をノートに書いていたという。
だから、紙に書くことは夢を叶える第一歩のように唱えられることは少なくない。
結論からいってこれは『早起きなお金持ちたち』と同じ理屈だ。
世界各国、数多あまたの富裕層を調査した結果、彼らは一様に早起きであることが判明した。
だからお金持ちになりたければ、とりあえず早起き体質になればいいのかといえば、もちろんそんなことはない。
彼らは裕福だからゆえに生活にゆとりがあり、早くベッドにつき、早く起きられていただけなのだ。
総資産額と起床時間に相関関係はあったとしても、目覚まし時計を鳴らす時間と手取り額に因果関係はない。
『成功者たちのノート』もこれと同様で、彼らは夢を叶えるために必要な鍛錬たんれんや工夫に常人の何倍もの時間を費やし、成し遂げるための決意表明の一環として紙に願いをしたためていたにすぎないのだ。

「そもそも!」ユウはマオに声を上げた。「一体、きみは誰なの!」

それを聞いて、私は驚いた。
そう。この時点でまだ二人は知り合いですらなかったのだ。

「わたしは……」するとマオは、もじもじしながら声をにごした。「……わたしだよ」

「だから誰なんだよ? どうして僕にまとわりつくの?」

「それは……きみが……持ってたから……」

「なにを?」

「……それだよ」

そう言ってマオはユウの持っている文庫本を指さした。
少女も手に同じものを握っている。

「……この本がどうしたの?」

「私も、同じの、持ってる」

「見ればわかるよ」

「私、この本、大好きなの」

「それはこの何分かで十分伝わったよ」

「でも、きみはそうじゃないんでしょ?」

「…………」

ユウは黙ってしまった。
誰かの大好きを偏見で否定していた自分を恥じているように見えた。

「だから、教えてあげるよ」とマオは言った。

「なにを?」

「この本のいいところ。私が、きみに」

そう言うと、マオは自分の顔の隣に本を並べてみせた。
本の表紙の少女と彼女は、どこか似ているものがあった。

「────!」

わかりやすいくらい、少年は、少年の顔になる。

「それじゃ、いこ!」

マオはユウの手を握って、彼を引っぱっていく。
困惑しながら、でも嬉しさを隠せない表情の少年。
二人は私にわかれの挨拶をして、オフィスを後にした。

ずいぶんとまあ、微笑ましいものを見せてもらった。

社会に絶望した少年がいた。
ひそかに彼を見つめていた美しい少女がいた。
少女は少年に手をさしのべる。

『今日も生きててえらい! ~甘々完璧美少女と過ごす3LDK同棲生活~』のプロローグと全く同じ展開。

絵空事だとバカにしていた物語そのもののを現実で体現してしまっているじゃないか。

オーランド教授のハッピーコラム 最終回
現時点で判明している幸せになるために確実性の高い下拵したごしら
1.規則正しい生活
2.適度な運動
3.バランスを考えた食生活
4.周囲の人に親切にする
5.与える人になる
6.人の悪口は絶対に言わない。特にネット上には絶対に書き込まない・・・・・・・・・・・・・・・

まるで言葉を理解した子供が親から真っ先に教わる訓示くんじのようだが、現代社会における正しさのようなものがあるとするなら、これより他はないと断言してもいいかもしれない。
ぶ厚い自己啓発本も、評判のスピーチもいらないとはいわないけれど、まずはこれだけは忘れないでほしい。
健康であることは最大の資本だし、誰かに与えたり親切にすることは必ず自分に戻ってくる。
そして誰かへの悪意も必ず戻ってくる。
アカウントや回線を変えたり、クローズドな場所での発言も必ず・・発掘されると思ってほしい。
そのタイミングは、あなたが成功者として頭角をあらわしたときだ。
まるで何かの啓示のように、過去の発言に刺されて社会的地位を失う人々が毎週のように晒されている。
一方で、過去の善行により人生の窮地を救われた人たちもいる。
例えば、誰かに憎しみをぶつけたくなったときには、そこから全力で目をそらして、誰かの創作物を評価してみるのはどうだろう?
それは意外なかたちで未来の貴方を救うかもしれない。
いいねボタンは、そのためにあるのかもしれない。

さて、あなたの前には二冊の本がある。
一冊は、私の幸せの定義が書かれたもの。
もう一冊は、ユウとマオのその後が書かれたもの。
どちらを先に開こうか?

なんとなく二人のその後のほうが気になっている様子なので、まずはそちらを見て見よう。

私のオフィスでの奇妙な出会いから10年後。

26歳か27歳のとき、二人は死んだ。

お互いの命を奪いあって。

今あなたはどんな顔をしているだろうか。

何かの間違いかと思う人もいれば、やっぱりかと納得した人もいるだろう。

ネガティブ思考で根暗なユウとポジティブで明るいマオ。

二十歳のとき、マオは人々から魔王と呼ばれ、魔族を召喚して世界を滅ぼそうとした。

一方、ユウは勇者として立ち上がり、仲間たちを集め、世界を救った。

どんよりした少年と溌溂はつらつとした少女。
どちらが将来邪悪な存在になりそうかアンケートでもとれば、少年の圧勝だろう。
第一印象がいかにあてにならないかわかるというものだ。

天魔大戦と呼ばれた人と魔族との戦いから25年も経ち、彼──勇者のおかげで私たちは平穏な世界を享受きょうじゅできている。
世界に魔物があふれていたなんてフィクションかゲームの話だと思い込んでいる世代も出てきたという。
それでいいと思う。

残念なのは、現実世界は物語とは違い、全てのできごとに説明があるわけではないということだろう。

なぜ彼女は魔王となったのか。

あの幸福の結晶のような笑顔の少女は、なぜ人類に反旗をひるがえしたのか。

そして、それに立ち向かったのは、人々にうらぎられ、社会に絶望していた一人の少年だった。

戦後、あらゆる憶測と考察が飛びかったが、どれもピンとはこなかった。

決戦の場、魔王の間で二人は相打ちとなり倒れていた。

火竜の舌は、あらゆる災害、魔法、呪いをはじくため、伝説級素材レジェンドマテリアルと呼ばれ重宝されている。
それでつくった小さな袋を二人は身に着けていた。
袋の中には一冊の文庫本。
岸本和葉 著『今日も生きててえらい! ~甘々完璧美少女と過ごす3LDK同棲生活~』
どちらの文庫本にも、まるで参考書のように付箋が貼られ、いたるところに蛍光ペンでマークがしてあった。
どうして二人は伝説級の武具に身を包みながらも、それをたずさえていたのか。
今でもわからない。わかる日がくるとも思えない。
ただ一つ、顔を向けあうように倒れた二人の表情を目にして、私の直感はこうつぶやいたのだ。
──なんてしあわせそうなんだろう。

最後に、私の幸せの定義をお伝えしよう。
私の考える幸せ、あるいは不幸でもかまわない。
それは、それらは一時の感情にすぎないということだ。
束の間の喜び、もしくは不快。
その程度のものだ。

例えるなら幸せとは、スマートフォンの懐中電灯や計算機アプリのようなものだろう。
ないよりはあったほうがいい。

人々は幸せを過大評価して、不幸に過剰反応する。

幸せは持続的な喜びを約束しないし、不幸は延々とつづくわけでもない。

精神的、肉体的、金銭的、人間関係などで困難な状況にある人は少なくないだろう。
その問題が解消されれば、幸せと思えるかもしれない。

しかし、一つの課題を乗り越えても、おそらく別の何かが待っている。
客観的に見て、何一つ不自由ない成功者でも、その立場ゆえに表に出せないものを抱えている。

この世は魔物などいなくても地獄であるといいたいのではない。
言葉や状況に縛られないでほしいのだ。

幸せについて、好きな名言がある。
かのピーター・ドラッカーの言葉だ。

『幸福の追求よりも、やるべきことをやれ』

何も私は、幸せという言葉を矮小化したり貶めたいわけではない。

世界は、踏み出す一歩によって変化していく。

誰一人、取りこぼすことなく幸せを伝播したいと本気で考えている。

それが私一人では不可能だということも痛いほどわからせられてきた。

だからあなたに手伝ってもらいたい。

私は幸せという言葉が好きだ。幸福という言葉も好きだ。そして幸運という言葉が一番好きだ。

きっとあなたにも課題や目標があるだろう。

そのために既に動き出していたり、これから動き出すのかもしれない。

その道中での気づきを、いつか誰かに伝えてはもらえないだろうか。

きっとそれはいつか誰かの喜びとなり、人によってはそれを幸せと呼ぶかもしれない。

そしてこれだけは信じてほしい。

私はあなたの幸せを願っている。

参考文献
『スタンフォードの自分を変える教室』
『スタンフォードのストレスを力に変える教科書』
『運は数学にまかせなさい』
『それはあくまで偶然です 運と迷信の統計学』
『不合理 誰もがまぬがれない思考の罠100』
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』
『ファスト&スロー』
『実力も運のうち 能力主義は正義か?』
『その科学があなたを変える』
『現実は厳しい でも幸せにはなれる』
『明日の幸せを科学する』
『「幸せ」について知っておきたい5つのこと』
『ネガティブな感情が成功を呼ぶ』
『失敗の科学』
『幸・不幸の分かれ道』
『道は開ける』
『親切は脳に効く』
『1日ひとつだけ、強くなる。世界一プロ・ゲーマーの勝ち続ける64の流儀』
『東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない』
『バッタを倒しにアフリカへ』

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