赤野工作先生『二度目の侵略』読書感想文
赤野工作先生『二度目の侵略』
海外の反応
イギリス
赤野工作の新作は彼の得意とするレトロフューチャーとノスタルジーを融合させたエピソードとなっている。
舞台は未来の日本だが、とある町の栄枯に関する描写は現代の世界中に確認できる景色ではないだろうか。
年の瀬に発表する物語としては、いささかものかなしさを覚えたものの、その結末で見せたものは、まぎれもなく希望の光だった。
スリランカ
赤野工作は俺たちにいつも満足と渇望を与えてくれる。
『二度目の侵略』を読み終えたばかりなのに、もう次が待ち遠しいよ!
だから俺はこれから二度目の侵略の、二度目を読むんだ。
マカオ
俺は赤野工作の物語に育てられたと思ってる。
赤野の作品はエンターテイメントではなく、教科書に近い。
今回の『二度目の侵略』が俺に提示したメッセージは明確だ。
──あきらめるな!──
そうだろ?
ガーナ
うちは赤野先生のおかげで、ずいぶん儲けさせてもらってる。
『悪いゲームのあくどい臭いと 正しいゲームの正しき香り』に出てきた
【真新しいゲームのパッケージを開けた時のフラグレンス】ってやつ
あっただろ?
あれを読んだ瞬間、俺はピンときたんだ。
こいつは売れる! って。
YouTubeで香水のパッケージングを勉強して、赤野工作の作品に出てきた
あの香水ですよって売り出したんだ。
そしたら案の定、大当たりよ。
ありがたいね。赤野様様だよ。
今、新作の『二度目の侵略』を読んでるけど、俺はまたピンときたね。
言わなくてもわかるだろ?
これからYouTubeで饅頭の作り方を勉強するんだよ。
シエラレオネ
赤野工作の最新作『二度目の侵略』読了。
冒頭から中盤までは、まあいつもの赤野だなという印象が強く、落胆とまではいわないまでも、新作だというのに既視感が目立つ。
それが中盤、正しくは、物語の七合目に到達したあたりから異なる様相を呈しはじめ、そこからは物語の速度も上がり、気づけばエンドマークにタッチしていた。
結論を言えばこれはいつもの赤野工作であり、それはつまり、これまで見たことのない赤野工作であった。
セーシャル
2021年に面白い小説に出会えなかったやつはこれを読め
ギリシャ
↑ 2021年に面白い小説と出会えたけど、まだこれを読んでない人も絶対に 読んでほしい
スイス
良作。相変わらず赤野はリアルとフィクションの舵取りがうまく、それはときに優雅で、ときにスリリング。
私たちは今日もまた、彼の世界に丁寧に酔わされ、振り回されるのだ。
マケドニア
前作『呪いも方便ってことでどうか一つ』が個人的に好きではなかった。
今作はどうだろう?
うん──これだよ、これ!
これを待ってた!
赤野工作先生『二度目の侵略』
海中の反応
鯖
赤野先生!
赤野先生は福井の鯖江を舞台にした小説を書かれてましたよね!?
あのときは鯖江の眼鏡を特集されてましたけど、鯖江はその名の通り
鯖が美味しいんですよ!
鯖の小説書いて下さいよ赤野先生!
よろしくお願いします!
鮫
赤野先生!
どうも鮫です!
こわがらないで!
ぼくたち鮫は人に危害をくわえるイメージがあるかもしれないけれど
海で襲われて命を落とす原因を調べると
鮫:年間およそ10人
落下したココナッツ:年間およそ150人
っていう具合なんだ。
つまりぼくたちより、ココナッツのほうが危ないんだ。
スピルバーグは『ジョーズ』じゃなくて『ココナッツ』を撮るべきだったね。
だから赤野先生も心配しないで、いつでも海に遊びにきてください。
赤野先生だけは間違っても襲わないから。
烏賊
赤野先生!
はじめまして、烏賊です。
ぼくたち烏賊は八本の足と二本の手を持ち、心臓は三つもあるんだ。
さらに水棲生物としては規格外に優れた視力と、高い機動力も備えてる。
その特異性のため、実は地球外生命説が最も高い生物でもあるんだ。
だけどそんなことはどうでもいいよね。
大切なのは、ぼくたち海の仲間はみんな赤野先生が大好きってことさ。
鯛
いやあ、めでたいですなあ赤野先生。
鯛だけに。
今日はなんと良き日でありましょうか。
わたくし、陸地では縁起物などと評されているようですが
わたくしからすれば、赤野先生こそ幸運の象徴、福の神様ですよ。
これからも益々のご活躍をお祈り申し上げます。
アロワナ
これ、赤野先生が見てるって本当?
マジで? 本当に?
……あ、どうも、はじめまして赤野先生。アロワナです。
自分はオーストラリアをよく泳いでるんですけど、こっちの海でも赤野先生は大人気ですよ。
なんか今度、音声ドラマ? みたいなやつの脚本も担当されるんですよね?
絶対聞きます! 日本語も勉強してます!
昔からずっと尊敬してますし、この気持ちはずっと変わりません!
これからも応援してます! ご自愛下さい!
飛魚
Wikipediaには嘘しか書いてない。
なぜトビウオは海面から飛び跳ねるのか。
Wikipediaにはこう書かれている。
海中の敵(主に自分よりデカい魚)から逃れるためだと。
バカげてる。
そんな理由で飛ぶわけないだろう。
かつて、いたずらに一匹の魚が海の外に跳ねてみた。
そのとき、一人の人間と目が合った。
実際に合ったかどうかは定かじゃない。
でもそれは重要なことじゃない。
重要なのはその一瞬で、魚は恋しちまったってことさ。
それ以来、来る日も来る日も魚は跳ねつづけた。
もう一目、あの人に会いたいという一心で。
その願いは叶わなかった。
だけどその願いはつながった。
親から子へ、子から孫へ。
その魚は飛びつづけた。
いつかまた、あの人に会える日がくると信じて。
その人とは、もちろん赤野工作のことで。
それが飛魚の真実さ。
Wikipediaに書いといてくれ。
赤野工作先生『二度目の侵略』
海底の反応
ダンボオクトパス
あんたかい?
赤野工作の感想を聞きながら海をさまよってるってやつは。
俺は穏健派だから何もしないけど、これ以上深くは潜らないほうがいいぜ。
俺は警告したからな?
まあ好きにすればいいさ。
クリオネ
去れ、人間。
お前たちにうらみはない。
しかし貴様が赤野工作について何か聞かせろというのなら話は別だ。
10秒待ってやる。
私が第二形態にならない内に帰るのだ。
10、9、8、7、6……
キシャ──!
ナガヅエエソ
これはこれは。
このような深海まで、どのようなご用かな。
赤野工作と似た姿をしたものよ。
ここまできたのなら、それなりに聞いたであろう、深き場所でくらすものたちの、深き怒りを。
わたしがその気になれば、この鰭条の数だけそなたを殺すこともできた。
そうしなかったのは、わたしが争いを好まないからではなく、水をよごしたくないからだ。
もういいだろう。引き返せ、人の子よ。
ダイオウグソクムシ
────────────────────。
メガロドン
どうも海が騒がしいと思えば、貴様のせいか人間よ。
お前が口にする赤野工作という名。
なつかしいな。
いや、なつかしいではないな。
900年前か、いやもっとか。
はるか古のようで、昨日のことのようでもある。
我のこの膨張した体は、赤野との記憶で膨れたようなものよ。
ダイオウグソクムシが通したということは何か狙いがあるのだろう。
面白い。先へ進め。
深きものども
この海底都市に人が人の姿でおとずれたのはいつぶりだろうか。
赤野工作について訊きたいのだろう。
それはわかっている。
お前がくる前、お前が生まれる前からな。
赤野の新作『二度目の侵略』というのは何とも皮肉なタイトルだ。
それとも我ら深きものたちへの伝達なのか?
わからない。
そこは考えるべきではないのかもしれない。
まあいい。
1210年ぶりの来客、少しは楽しませてもらったぞ。
お前の中の邪悪を滅殺して、大地に返してやろう。
赤野工作先生『二度目の侵略』
海の反応
もんだい
うえにある 1ばん 2ばん 3ばんの はぐれメタルが とうじょうする
タイトルを あててみよう
せいかいすると たくさん けいけんちが もらえるぞ!
タイトル一覧
ドラゴンクエスト2 ドラゴンクエスト3 ドラゴンクエスト4
ドラゴンクエスト5 ドラゴンクエスト6 ドラゴンクエスト7
ドラゴンクエスト8 ドラゴンクエスト9
ドラゴンクエストモンスターズジョーカー
ドラゴンクエストモンスターズジョーカー2
ドラゴンクエストモンスターズジョーカー3
ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド3D
こたえは きまったかな?
せいかいは こちら
赤野工作先生『二度目の侵略』
海原雄山の反応
赤野工作の新作について語る前に、まず掲載誌であるゲームラボについて、一つ語らせていただきたい。今のこの時代、令和という時代はまぎれもなく、速度の時代であり、煽動の時代であり、虚構の時代といえる。動画配信を例に出すと、今年になってショート動画投稿サイトのTikTokが業界最大手であり難攻不落の要塞であったYouTubeに利用時間で勝利したというニュースが世界を賑わせた。これは象徴的な出来事といえる。尺の長い見応えのあるものより、短時間で簡潔に味わえるものが評価されているという証左だ。あらかじめ断っておくが、短くてお手軽なものが悪く、長いものに価値があるといいたいわけではない。一瞬で見るものを魅了するための構図、音楽、演出を工夫し、それを表現する技術は、一般的な尺のそれを産み出す際に求められるものと、何ら変わらないだろう。現にTikTokで高い評価を得ているクリエイターの多くはYouTubeでも人気を博している。だが同時に一定の教養や感動を受けとるためには、一定の分量が必要だということも否めない。あらゆることに速さと最適化が求めらた結果、過剰に削られ、そのくせ過剰に演出されたものが世にあふれた。刺激や不安、分断を煽る短い一文が一瞬で何万もの目にふれ、共有され、正しきものと認知され、あやまちが拡散されていく。一昔前まで遡らなくとも、ほんの数年前と比較しただけでも、おそるべき量の情報に我々は囲まれている。SNSをながめていると、全て流行に便乗していなければ自分を低く評価されるのではないかといった強迫観念に支配されてしまう。そのため、本来はじっくり腰をすえて楽しむためのものであるはずの娯楽作品は、みんなと一緒であるための義務であり消耗品となった。漫画、小説はネタバレを読み、ゲームは誰かの実況を、映画は短くまとめられた解説動画で見た気になる。もはやこれらは情報ですらない、ただの虚構だ。虚構をかじって全体を把握したという妄想に支配されているにすぎない。あまりにもみじめではないか。そしてこのような意見にはこういう反論がつきものだ。虚構ではない、それらは要素なのだと。要素さえ取り入れておけば、完全ではなくとも要点は理解できているのだと。なるほど、それが通用する場面もあるかもしれない。だが、やはり要素は要素でしかない。数年前、画期的な食品がもてはやされた。生きていくために必要な栄養素を完璧なバランスで配合した流動食で、味も悪くなく、これさえ食べておけば食事で頭を悩ませることはなくなり、これまで食のためにかけていた時間やお金を好きなことに使えるようになると。それは一つの理想に思えた。しかし理想は理想でしかなかった。いざはじめてみると、流動食は飲み込む力をほとんど使わないため、ノドが弱まり、咀嚼をしないことで顔の筋肉を動かす機会が減り、顔面の老化を促進する結果となった。また、買い物や皿洗いにはそれ自体にストレス発散やひらめきを呼び込む効果があるという研究もあり、要素だけを取り込む行為に、要素を取り込む以上の意味はなく、そぎ落とした部分にこそ価値がある場面も決して少なくないのだ。新しい価値観に過剰な信頼を寄せ、古いものを忌避する人々をときどき見かける。まだ価値の定まったものにそこまで熱を上げられる心理がわからない。新しいものも、やがては古びていく。同時に古くから伝わるものは時の試練に耐えてきた力強いものでもある。インフルエンサーと呼ばれる新しい者たちは、新しく魅力的な提案をいくつも与えてくれる。まるでこちらの思考を封じるように。一度、とある有名なインフルエンサーの動画を一週間ほど見ていたことがある。なりたい自分になるためには理想の自分だったらどんなものを身に着けているかを想像して、その想像上の自分がしている服装や時計を身につけると理想の自分を早く引き寄せられるのでおすすめだと提案した数日後の動画では、まだ目標を達成していないのに身なりだけよくしたり、既に自分は成功したのだというイメージを頭に描いてしまうと、そこで脳は満足して行動力がなくなり、夢を実現できなくなってしまうからおすすめしないと真逆の解説を行った。サンプル数が一人なのでその者だけが特殊だった可能性もあるけれど、それでも登録者数は百万人以上の有名人で本もたくさん出している。あまりにも無責任ではないだろうか。インフルエンサーの定義を調べると、影響力のある人、勢いのある人、とある。つまり科学者でも専門家でもないのだ。現に私の確認したインフルエンサーは知識に信頼はできないものの勢いと影響力だけは確かにあった。そこに疑いはない。不確かな情報が飛びかう日常でそれらにまどわされないためには自分の中にしっかりとした軸を持つ必要がある。そのための第一歩としてゲームラボを読むことをおすすめしたい。うそだろお前、これだけ長々とよくわからないこと並べておいて、そこに結論もっていくのかよと思われたかもしれないけれど、けっこうマジで書いている。正直、赤野先生の小説読みたくて買ってる側面が強いものの、ゲーム記事の密度や文章センスはずば抜けてるですよ。雑誌の読み放題サービスに入っているのでいろいろな雑誌を読んでますけど、純粋に文章力高い人、多いんだなというのがわかります。例えばゲームラボで書いているライターさんたちはゲーム以外の記事を書いても、間違いなくその記事の楽しさは倍増して媒体の価値も高まると思うのですよ。既に文章から雄山のキャラが消えてるけど、律儀にまだここを読んでくれてる人が気にするとも思えないのでこの感じでいきますけど、特に今回のカプコン特集がすごい面白かったし勉強になったし、みんな読んで本当。で、ここからまた雄山に戻します。己の中に軸を持ち、その強度を上げていくためには強度のある表現にふれるのが一番だ。文章とは最も普遍的で日常的な表現である。これは文章を読めば、本を読めば賢くなるといった短絡的な話ではない。能動的に向きあわなければ効果は弱い。率先して能動的になれる者は少なく、大半の者は何らかのきっかけを必要とする。そして大半の者は、そのきっかけに巡り会う機会にめぐまれず、誰かの刺激的な語り口に誤魔化された受動的な表現に煽動されてしまいがちだ。では、優れた表現と出会うためのきっかけとは何だろうか。例えばそれは、新進気鋭の作家の新作がそうなのではないだろうか。つまり赤野工作であり、その赤野工作を採用してなおかつ、美しくユーモアあふれ、豊かな表現で我々を魅了してくれるゲームラボこそ至高の媒体といえる。だから私はゲームラボに敬意を表さずにはいられないのだ。優れた表現によって磨かれた感性を持つ者が増えれば、虚構にのまれることはなくなり、その先に待っているのは純粋なよりよい社会なのは間違いない。嘘と敵意によって今の社会は侵略されている。それを侵略しようではないか。思いやりとユーモアで覆そうではないか。これは人類から人類への二度目の侵略なのだ。
ところで、ワシのキャラってこれであってる?
というのも、これ書いてるやつの美味しんぼ知識は子供のころに見てたアニメ版と、たしなむ程度に読んだおぼろげな原作情報だけで、かなりあやふやなのよ。
少なくともワシの一人称はワシじゃないよね。
わたし? おれ? 雄山?
というか原作のワシってどうなってるんだろ。
え? ワシ死ぬの?
こわいじゃん。もう原作読めないじゃん。
ワシ、つらい展開とか苦手だから、読んでないけど先の展開知ってる漫画とか小説、途中から読めなくなるんだよね。
ワシの世界ではまだエースも煉獄さんも生きてるし、浦島太郎だって若いからね。
というか士郎のやつめはどんな感じになってるの?
栗田さんと結婚して子供がいるのは何となく知ってる。
ワシがその子を抱いてる画像がワシの名前でググるとよく出てくるもん。
孫っていいよね。
それで、士郎のやつめは今なにしてるの?
いいかげん、東西新聞乗っ取った?
もしくは美食倶楽部乗っ取られた?
みんなはどんなワシが好き?
ワシは子供のころ、ともだちに読ませてもらった原作のエピソードで土食うやつあるじゃん?
あれがすごい好きで、何度見てもげらげら笑ってたんだけど。
どうしてランクインしてないんだろ。
みんな、ワシが土食ってるの忘れた?
なんか土にドレッシングかけて食べる人みたいになってない?
しかし公式はなぜに突然ツイッターでワシをイジりだしたの?
ワシってこういうネタにするのダメなイメージあったから意外。
こういうのやっていいなら、やろうよ。異世界 雄山とか。
異世界に飛ばされたワシが先に飛ばされた連中が広めたまずいマヨネーズを一喝して「明日もう一度ここに来るがよい。本当のマヨネーズを味わわせてやろう」って言って、翌日そこにはワシのマヨネーズに感涙するエルフやドワーフたちの姿が──って、めっちゃ売れそうじゃね?
もしくは、イチジョウやハンチョウやトネガワの系統でユウザンやろうよ。
『美食渇望録ユウザン』
ワシが美食倶楽部を立ち上げるまでの物語っていうていのコメディー。
当時、フリーターだったワシがネットの画像だと美味そうな餃子弁当をウーバーイーツで頼んだら、見本と全然違う腐った消しゴムみたいなのが届いて、食ったら芸術的なまずさで、それに怒り狂ってまともな料理屋をはじめようって奮起するんだけど、実はその当時のワシは料理なんてしたことなくて、おにぎりは米粒を木工用ボンドでかためて作ってるって本気で信じてたのね。どうなる雄山。ざわざわ。これが第一話。
勢いで書いたけど、なんかすげえヒットしそうじゃね?
本当にやりませんか出版社の方。脚本書かせてください。
ミリオンセラー狙えますって。アニメ化決定ですって。
耳をすませばアニメのOPが聞こえてきませんか?
ここからちょっと話のトーン変わるんですけど、みなさん
こちらのツイートをよくご覧になってください。
おや? と思われましたよね。
何かおかしいぞ、と。
赤野先生、大切なことを忘れていらっしゃいませんかと。
気づけなかった方いらっしゃいましたら、もう一度よく読んでみて下さい。
声に出してみるのもいいかもしれません。
ね? おかしいでしょ?
まさか、わからない方いらっしゃいませんよね?
赤野先生は12月24日に本を出されたと。
そうおっしゃているわけですけど、それしかいってないですよね?
忘れてますよね? 忘れてはいけないことを。
なんらかの理由で2年くらい情報を遮断されていた方もいらっしゃるかもしれませんので解説させていただきますと、例年通りなら12月24日というのはただの平日ですよ。なんでもない日でございますよ。
ただし2021年の12月24日だけはそうではないのです。なぜなら
キングスマンシリーズ最新作『The King's Man(邦題:キングスマンファーストエージェント)』の公開初日なわけですよ。
そんな素敵な日に自分の関わった作品が発売されるという栄えあるイベントがコンボしてるわけですよ。
なのになぜか片方忘れちゃってるんですよ。
どうしました赤野先生、コンボ止まっちゃってますよ?
本当によくわからなくて、赤野先生はどうしてキングスマンをスルーするのでしょうか?
知らなかったとか、忘れていた、なんてことはないですよね。
例え義務教育を受けてなかろうが、自分の名前を忘れていたとしても、キングスマンの公開日を失念するなんてことはありえないわけですから。
自作品とキングスマンが重なるなんて奇跡に遭遇した場合、いくつもあるSNSでの振る舞いの一つはこうじゃないでしょうか。
ちなみに12月24日の私の行動は朝一で鑑賞して、本屋さんにいって予約していた上記の書籍を購入して、それから4DXの会場にいきました。
帰りにスーパーに寄ると、普段は置いてないケーキや七面鳥がずらりと並んでいます。
街はキングスマンお祝いムードで人々は笑顔です。
それなのにどうして赤野先生はキングスマンをスルーされたのでしょうか?
これ本当にすごいことなんですよ?
私なんて去年、自分の投稿した作品が電撃小説大賞の四次選考まで残ったって報せを受けたとき、このまま受賞したらキングスマンの公開日と自分のデビュー作の発売日重なるじゃん。これは神からのおぼしめしかと本気で思ってたくらいなのに。ちなみに四次で落ちましたけど。そしてキングスマンの公開日も12月24日まで延びましたけど。どうしてそこに赤野先生がいらっしゃるんですか。私へのあてつけですか?
すみません、別に関係者でもないのにキングスマンへの言及がないとかいってますけど、Twitterしかチェックしてないので、もし他の媒体ですでに発言済みでしたら教えてください。謝罪します。
お詫びに子供のころからの宝物であるブンブン丸と新宿ジャッキーの直筆サイン入り全裸テレカをプレゼントします。
でもちょっと思ったんですけど、仮に赤野先生がキングスマンについて何か語ったとするじゃないですか。
それが20世紀FOXの偉い人の目にとまって
偉い人「ほう、赤野先生はキングスマンお好きですか。どうです? 新作のパンフレットにコメント書いていただけませんか?」
みたいな展開になったら、私、正直、それを素直に祝福できる気がしないですわ。
わりとネタにならないこといいそうなので、そのときは日本語じゃなくて、オディア語で書くと思いますので、今からオディア語の勉強しておきます。
そしてこういう文章を書いている本日12月25日は赤野先生のお誕生日です。
でもなんだろ。考えれば考えるほど、近い将来、赤野先生はキングスマン関連のお仕事を依頼されそうなんですよね。
私の花占いによると赤野先生は2022年に象徴的な作品を完成させて、知る人ぞ知る作家から、誰もが知る作家になるそうなので。
それはどんな作品なのでしょうか。
DangDang気になります。
赤野先生ଜନ୍ମଦିନର ଅଭିନନ୍ଦନ
ମୁଁ ଆପଣଙ୍କୁ ଶୁଭକାମନା ଜଣାଉଛି
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