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親も1人の人間だと切り離して考えられるまでの悲しかった話

子どもの頃によくされる質問として、お母さんとお父さん、どっちが好き?というものがある。
小さい頃は、やはり母親と過ごす時間が多かったのでなんの疑問もなく"おかあさーん"とか答えていた。し、本当に好きだったと思う。

しかし、大きくなるにつれ、母親を1人の人間として認識するポイントが度々あった。

小さい頃はおもちゃを片づけなさいと叱られたりするので母親は片付けが上手いものだと勝手に思っていたけど、実際は別にそうでもないし、なんなら物を捨てられないタイプだったことに気づいたり、

母は犬の種類で柴犬が好きだとずっと言っていて、他の犬種をみたときも絶対に"でもやっぱ柴犬が一番かわいいわ〜"とすごい柴犬にこだわっていて、初めは私も柴犬が犬種の中で一番かわいいと思っていたけど他の犬を見てもかわいいと思うし、そんなに他の犬種を否定しなくても…という気持ちになって、子どもの頃の母と一体の気持ちから、母は別の人間だという感覚になっていった。

悩み事などあまり誰かに相談したりしない私は、なかなか悩みを言い出すことはできないでいた。

最初に母親に悩みを相談したのは、小学6年生の時だった。お昼休みにクラスのほとんどの子たちは外へ出て"おにどん"と呼ばれる遊びをしていた。私はそのおにどんのルールを知らなくて、誘われても断っていた。まさかルールを知らないなんて言えなかったので頑なに断って教室で一人自由帳?でもしていたのだと思う(何してたか覚えてない)。ほんとはみんなと遊びたかったのに。

そして、それを母親についに聞いた。"おにどんっていう遊び知っとる?"と。母親は知らなかった。でも、その遊びのルールがわからなくてみんなと遊べないってことを言うことができた。それまで一人で抱えていたけど、母親に話すと涙が止まらなくてわんわん泣いた。
次の日はみんなと一緒に外へ出た。そして、どうやってやるん?と恐る恐るきくと、ふつーーに教えてくれてその日からみんなと遊べるようになった。知らないことを知らないと言うことは恥ずかしいことではないと学んだ。
その当時、断り続ける私のことを毎日遊びに誘ってくれていた友だちには本当に感謝しかない。

それ以来の、大きな悩みだった。
中学生になったばかりの頃、当時部活動で顧問の先生にめちゃくちゃ怒られて、心身が疲弊していた。
怒られた原因は様々あったが、その時は声を出していなかったことで怒られたのだった。

部活という集団は大体大きい声を出さなければならない。みんなで数を数えたり、運動部だとその競技の中であったり応援の声だったりだ。私は無口な子どもでそのまま中学生になって、大きい声を出すのが苦手だったからずっと声が小さいことで怒られた。

でもその時は、そもそもなぜ全員で声を揃えて数を数えなければならないのかがわからなくて、
全員声を出して数えろと顧問に怒られた後なのにもかかわらず、私は声を出していなかった。
そして、私の口が動いていないと名指しされ、壁に向かって正座をしろと言われた。その指示にもなぜか、嫌ですと答えた。が、そんな抵抗はなんの意味もなく、みんなが練習している間中、壁に向かって正座させられたのであった。

そのことに、なんの反抗もできなくて、でもそんなことさせられたのは人生で初めてだったので、こんなことさせられたんだよ!と親に、そうかそうかと言って欲しかったのだと思う。
そのことを母親に言うと、それはあんたが悪いんやんと一言言われ、終わった。
そう言われた私は、すごく悲しかった。無条件の愛をくれる人だからわかってくれると思っていたのに、母親もそっちの肩を持つんだ…と。

言われてみればそりゃあ自分が声を出していなかったのが悪い。
そして、みんなで声を出さなければならない意味がわからない自分の価値観は珍しいのだと思う。なぜなら他の部員はなんの疑問もなく声を出していたからだ。
そう言う独自の価値観はたとえ親でもわかるものではないのだ。
とはいえ、そう言われたことで自責思考というものを手に入れることができた。

それから、私は自分の考えを母親に話すことをやめた。

大人になってからも母親に失望することはある。
私は生理痛が酷くて毎回しにそうになっていたので、婦人科へいきピルを処方してもらった。その後、生理痛が改善されとても嬉しかった。
嬉しくて母親に伝えると、母はそれよりも自分が若い頃ピルを飲んで気分が悪くなった記憶から、ピルというものに不信感をいだいており、大丈夫なの?!と言ってくるのだ。
あんなに生理痛が酷くて、学校まで迎えにきてもらったこともあるから知っているはずなのに、それから解放されたことを喜んでくれるのではなく、ピルを飲んでいることを否定されている気持ちになって、また悲しかった。

自分の伝え方が下手くそで、言いたいことをちゃんと伝えられていないということもあると思うけれど、そういうことがあるたび、ああ、そうだった、こう言う人間なんだった、自分はこうはなりたくないなと思うのであった。

父親に関しては、家族旅行やいろんなところへ遊びにつれていってくれたり、いい父親だけど存在が鬱陶しいという思春期の気持ちと、自分が悩んでいる時も特に何かアドバイスしてくれるわけでもないし、仕事にずっと行っていることだけは尊敬するが、それ以外はただそこにいるという感覚だ。

両親の仲が良くないことも子どもに影響していると思う。仲が悪いわけではないと思うけれど、父は亭主関白で母が我慢をしているイメージである。
私が高校生くらいの頃から、母はよく父の悪口を私たち子どもに話すようになった。それを聞かされた高校生の私は、言っている内容自体は理解できるけれど、それを子どもに話すのをやめてほしいと思っていた。
母にとって父は他人であるけれど、私にとっては父親であり、そのつながりは消せないものだから、父親の悪口=自分にもその血が流れてるって感じたし、そんなこと言われても…としか思えなかった。
そんな両親を見ていたら、自分は絶対仲良し夫婦になろうって強く思った。

そうして、親を好きかどうかという感情はどんどんなくなっていった。
大人になった今は、それぞれがどういう人間かわかっているし、この2人はなぜ結婚したのかだけは謎であるが、それももうどうでもよくなった。
両親が揃っていて何不自由なく育てられ無条件の愛情も貰って幸せに暮らせていることに感謝なのは何も変わらなくて、それが親というものであるという認識である。ただそれだけがどれほどの幸せかも知っている。

だから、親はそれ以上でも以下でもないなと思うのであった。ちゃんちゃん。

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