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人を見かけで判断するなと言うけれど

美味しそうでも食べてみないとわからない。

このnoteに綴っているエピソードは、自分の中に眠っている記憶の引き出しから思い当たることを引っ張り出してきたものなので、書いてあることが現在進行形ではない。

だからそれを読んでこの人はこういう考え方なんだと思っても今はもう変わっているかもしれない。

街中でおしゃれな服装の人を見た時に
“わー!おしゃれ〜”って思っても、
その人本人からすると、何年も着古していて新しいのが欲しいのだけれど、とりあえず今あるこれを着るしかないんだよなーって思ってるかもしれない。

逆も然りだ。
ダサいのを認識しているけど、これしかないんだよなーと、しかたなくの服装の人もいるだろうに、見た目のダサさだけでその人のセンスを決めつけるのは良くない。

服装は個性やセンスを表現できる場所だけれど、服装を表現の場としていない人の方が多い。
衣食住という生活に必要不可欠なもの、ただそれだけなのだ。


それは、この世の中の見えるもの全てに言えることだと思う。

見えないものを認識するのは難しい、
だから見えるもので楽に人間を判定してしまう。

そもそもなぜ人間を判定、判断してしまうのだろうか。
人間の価値に違いはないのにな。

ニュースで賠償金の逸失利益のことを知った時も命はみんな同じものなのになーと思った。

逸失利益とは、将来得られたはずの収入をもとに算出される賠償金のことだ。

幼い子どもがなくなったら、子どもには未来という価値があるため金額は大きくなり、
年寄りがなくなれば、未来は少ないために金額は小さくなるらしい。

専門家ではない私の認識はこんなもので、
人間1人がなくなることに差はないと思って生きてきた私は少し驚いた。

でも、人間社会ではそのように性別や学歴、収入など見えるものによって命の価値が変わる現実があるのだ。

そうやって見えるものによってルールを設けることで人間社会をうまく回すことができるのは事実で、人間だからこそできる生き方だと思う。

だから、人間の集団生活において人間を判断しなければならないのは自然なことのように思う。


しかし、それは集団生活のルール上の話であって、個人間の人間同士でそれをする必要はないと思う。

冒頭で書いたファッションの話もそうだし、ビジュアルや雰囲気もそうだと思う。

ビジュアルや雰囲気で人を判断なんかするのは子どもくらいだと思いたいけれど、
今期始まった「いちばんすきな花」というドラマの中の今田美桜ちゃん演じる深雪夜々がまさにそうだと思った。

詳しくはドラマを見ていただきたいのだが(説明が下手なので)、
夜々が同僚に言われた
“友達 から でいい”という言葉になぜ友達が恋人より格下みたいな言い方なのかと言って逃げた後、
同僚が言った
“もっと内側から愛される人にならないと”
“顔がいいだけだよ”というセリフにすごい腹が立った。

そういう自分は夜々の内側をみていたのか?とききたい。自分だって顔しか見てないやんけ、と。

大人になってもそうやって見た目で判断する人ってゴロゴロいるんだな〜とこのドラマを見て思った。

子どもの頃みたいにみんな仲良くできたらいいのにって、これはずっと思ってるしこれからもずっと思うんだろうな。


あとは、お金の話で思った。
NHKでたまに放送されるもやもやパラダイムという番組で前回、日本人はお金の話をあまりオープンにしないという話題があった。

その番組のVTRでは、中国では収入の話をオープンにするよ〜という内容だった。自分の収入も話すし相手の収入も抵抗なく聞くらしい。

それを見て番組MCの安田章大さんはお金の話をしたい派だとおっしゃっていて、それはなぜかというと、お金でその人のことを判断しないからということだった。

たしかに日本で自分の収入をオープンにしている人や他人に収入を気軽に聞く人はあまりいない気がする。

それは収入でその人を判断してしまうからだとその時初めて考えさせられた。
収入とその人自体は何の関係もないのに、収入が多いほどすごいとか少なかったら格下だとか無意識に思ってしまっているんじゃないかと思った。

そういう私もまず人に自分の収入を聞かれるのは、カードや銀行の審査の時くらいで自分から言いふらすこともないし、
他人に収入を具体的に聞いたことがあるのは1回しかない。

その1回も相手は自分と役職が違うかったし元々自分との差があることがわかっていたから聞けたのだ。
その番組を見て、私の中にもしっかりと日本人のお金の価値観が刷り込まれていることを認識した。

今の私はたった1回だとしても、人と具体的な収入の話をしてもその人との関係に何の影響もないことがわかった(それは相手によると思うが)。

番組のVTRの中国人は、収入は変えることができるものだから家族や友人の収入をあげるためにアドバイスしたり一緒にできることを探したりするらしい。

そう考えると収入のことを話すのは逆に大事なんじゃないかと思ってきた。

自分の中の価値観はそうやって変わったとしても、周りの日本人は聞かれたくない人もまだまだいると思うからその価値観に合わせる必要はあると思う。

でもやっぱり収入と本人は別物だからお金で人を判断したくないと思ったし、そうやって生きていくことにした。

長々と書いたけど、
よく人を見かけで判断するなっていうけど、
まず人を判断するなといいたいな。

見えるもので判断するのはもちろん違うくて、見えないけれどその人の本質を理解しようとする。

人の価値に格差はないからそもそも判断する必要はないのだ。

それが世界平和への道な気がする。
気がするだけ。

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