Sakamoto Simon個展
Sakamoto Simon は多摩美術大学大学院卒、福島県出身の美術家である。ここでの美術は、絵画や彫刻といった静的な表現を指すとして、広義にならざるを得ない芸術家やアーティストという呼称を一旦避ける便宜上のものだ。
彼とは数年前まで同じ職場で、仕事が終わってからよく二人で路上で終電までビールを飲んだ。路上で酒を飲むのは、地方出身者にとっては、大都市を自分の手元に引き寄せるようなもので、いつもより低い位置からながめなければ気付かないこともあるし、座っている路肩や、もたれているシャッターも、本来の用途と異なる使い方で快適に利用することは、都市生活者の特権であり都市の道具化は都市が発生した時点で宿命でもある。
作品はチョコレートで文字を書くようなペンに絵の具を入れて、原色を均一な太さで描く技法である。絵具は分厚く堆積していき、各色の線の重なりが色の混合を錯覚させる。そうした技法で都市を、ときに上空から、あるいは遠景を描いているのだが、夜の街路における眩暈を、光の表現に顕著なその技法による視線の撹拌によって起こさせている。近づいて見れば何かわからない絵の具の重なりがある距離感をとることで立ち上がる都市風景は、たとえば東京が何でどこにあるのかわからないすべての都市生活者と都市との関係性を表しているといえる。
技法の一次的な効果はここにあるとして、さらに二重三重の意味づけがあればさらによくなると思っている。例えばその技法による線の躍動が非常に有機的である点、それらはまるで人体模型に浮かぶ血管のようでもあり、線そのもののもつ方向性、あるいは色彩すべてに新しい意味づけをさせた上で、自己拡張していく都市を(本来この技法を選んだ理由のひとつだという)歴史的な堆積をも包括したより大きな作品へと繋がっていければよいと思う。彼自身はレペゼン問題と称して自らの住む下北沢の風景を描いたというが、ドメスティックな表現は競争力がない。やはり彼と同郷の畠山直哉のように、人の営みが地形、ひいては地球全体にあたえる影響の探求、といった巨大な視点、あるいは技法とモチーフの関連性から表される例えばある種のシニックといった知的探求が求められるだろう。
今回の作品はカンディンスキーの初期の風景画のように、決定的でないものの次作への飛躍を促すものであると思いたい。
展示はゴールデン街G2通りBar十月で、2/28まで開催されている
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