3分でわかる中学歴史 古代文明
今日は古代史を見ていきましょう。
人類の誕生
人類はチンパンジーから進化したと言われていますが、
人類の祖先は700万年前、アフリカに、2足歩行で道具も使える「猿人」が現れたことに始まる。さらに50万年前、言葉と火を使える「原人」が現れた。そして10万年前、いまの人類である、「新人(ホモサピエンス)」が現れた。ここから先、今のわれわれに至るまで、ずっと新人なわけです。
氷河期
人類が誕生したのは氷河期という、寒い寒い時代のはなし。この時代にはまだマンモスやナウマン象、オオツノジカがいました。この時代には、人々は獲物を求めて移住し、岩陰や洞窟で暮らしていた。
氷河期は1万年前に終わりました。
新石器時代
氷河期が終わると、気候が暖かくなり、獲物や植物が安定して取れるようになったため、人類の生活が安定します。この時代、人々は同じ場所に定住し始め、道具や住居を進化させてきました。
道具である石器は、氷河期には石をたたいて割っただけの打製石器でしたが、削ってつくる磨製石器に変わりました。これを新石器と呼び、打製石器をつかっていた時代を旧石器時代、氷河期が終わって新石器を使い出した時代を新石器時代と呼び区別します。
定住し、道具が進化してくると、世界各地で、より高度な「文明」が起こってきます。文明とは、簡単に言えば、たくさんの人々が、文字を使ったり、決まりを作ったりして一緒に暮らすことです。
四大文明
この文明の存在をしめす遺跡が、世界の4つの箇所で発見されています。4つとも、大きな川の近くにあります。
それが、エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、中国文明の四大文明です。なぜこの地域に、文明が起こったのか。それは大きな川が近くにあり、土地が豊かだったからです。
それぞれの文明をおぼえるときは、川の名前とセットで覚えましょう。エジプト文明はナイル川、メソポタミア文明はチグリス川・ユーフラテス川、インダス文明はインダス川、中国文明は黄河(こうが)です。
もう一つ重要なのは、文字です。各文明では、文字でコミュニケーションして、集団生活をしていたからです。エジプト文明は象形文字、メソポタミア文明は楔形(くさびがた)文字、インダス文明はインダス文字、中国文明は甲骨(こうこつ)文字です。
縄文時代
世界で、四大文明が生まれた後、日本でも文明が生まれたとされるのがこの縄文時代。文明とは簡単に言えば、洞窟に住んでマンモス倒して生き延びていた時代から、技術を身につけて、家をつくったり、料理したり、して、安定的な生活ができるようになることです。
新石器時代や、氷河期や、四大文明など、いろんな切り口があってわかりにくいから、図でわかりやすく説明するね。
世界の新石器時代と、日本の新石器時代はこのくらいの年代になってるよ。
新石器時代になり、世界で文明が起こった頃、日本は縄文時代だった。文明の後、世界では中国の話がよく出るから見ておこう。
全体的な流れをもう一度確認しよう。
それじゃ、日本の話に入っていくよ。
縄文時代は、氷河期がおわり、新石器時代が始まった頃から、日本で稲作が始まる前までの時代となります。
しかしこの時代はまだ文字が使われておらず、歴史を辿る明確な記録がない。
だからこの時代はに遺跡や出土品が重要なんです。
石器、土器(道具)→磨製石器、縄文土器
新石器時代なので、石器はもちろん磨製石器。
そして土器。これができて、いままではすぐに腐ってしまった食料を入れて保存したり煮炊きできるようになり、以前に比べて生活がだいぶ安定した。重要な道具だったんだ。とくに、縄文時代、土器を作ることを楽しんでいたようで、縄目の模様をつけたりしていた。
もう一つの土器は、土偶。これは、木の実などの豊作を祈るときに使われていたようで、
こちらも面白い形をしているよ。縄文人は、文明的で芸術的な生き方をしていたことがわかる。
住居→竪穴式住居。
これは、穴を掘って、屋根をかぶせただけの作りになっている住居。弥生時代の、高床式倉庫と見た目ではっきり違うから、区別してね。有名な遺跡として、青森県の三内丸山遺跡があるよ。
集落→貝塚
これは、人々が集まって暮らしていたことを示す遺跡。東京の大森にある大森貝塚が有名だね。
古代文明は、年号もなくとっつきにくいけど、世界の文明と日本の縄文時代の位置付けをイメージしながら、遺跡を覚えていけば、楽勝だよ。
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