「日本習合論」を読んで

  内田樹氏の「日本習合論」は、日本という国が古来大陸からの宗教文化を受け入れ、自国の宗教文化と融合させ、独自の多様性を身に着けて来たことを説いています。その中で内田氏自身が合気道の武道家であり、能とハングルを学んでいて、フランス哲学者であり、特にユダヤ教の研究者でもあることの意味を語っています。日本人に限らず、個人のアイデンティティというのは、ある意味その習合性の構成要素によることが気づかされます。

 わたし達は資本主義経済の高度化の中で分業化、専門化、階層化された自意識に慣れ親しんで来ました。自己紹介するときは「会社名」「所属部門」「役職」を名乗ります。さらに会社が有名でなければ、業種の説明をします。さらに必要があれば、職歴、家族構成、出身地、出身校などという個人を構成する要素に分解していきます。それによって「あなた」は「わたし」がどういう社会的位置づけの人物なのかを了解していきます。「あなた」は「わたし」との共通性やら相違を確認し、優位性や劣位性を認識し、「わたし」がどういう人物で、「あなた」にとって有益か、無益か、有害かを判断します。そして「あなた」は「わたし」に対してどういう態度を取るべきかを検討していくわけです。

 このように「わたし」は「わたし」自身の位置づけを資本主義社会の中の役割分担によって規定し、その価値観の中に日々を送っています。ですから、「わたし」はその役割をより高めるために知識を吸収したりすることによって対価としての賃金を高めようとし、そのことを社会は成長と呼んだりします。勿論、「わたし」を構成する要素はそれだけではなくて、温泉が好きだったり、ダイエットをしているがラーメンが好物だったりするのですが、そういうことは概ね付随的な要素で、趣味欄に収まっていればいいことです。こういう価値体系をちょっとばらしてみたらと「日本習合論」は言っています。もともと日本という国は異文化を習合して来たのだから単一的な価値基準からもっと自由になれるのではなかろうかという提案なのだと思います。

 30年ぐらい前に高野孟氏というジャーナリストが「世界地図の読み方」という本の中でこんなことを言っていました。日本列島を下にして、ユーラシア大陸を上にして見ると、ちょうどパチンコの盤面のようになって、宗教やら文化やらがパチンコ玉になって、いろんなところに弾き飛ばされながら、結局日本という受け皿に落ちていくのが見える。と大体そんな主張でそのイメージはかなりビジュアルな記憶として残っています。例えば、仏教はインドで発生して、タイからチベット、中国から朝鮮半島に行ったりしながら日本に至りますし、儒教も中国からやはり朝鮮半島を経て、日本に来るわけです。面白いのは、こういう宗教や文化がそのままの形ではなく、日本に来ると「かみ砕かれる」のです。それが「習合」ということなんだと思います。自己の慣れ親しんだ文化に馴染ませるんです。論語も漢詩も翻訳するのではなく「読み下す」のです。そして音読する。意味がわからなくてもいいから6歳とか7歳ぐらいで、ひたすら音読すると、身体に浸み込んでいきます。福沢諭吉が「文明論之概略」という本の中で、「智徳」ということを言います。日本人には徳はあるんだと、智が西洋より遅れているだけなんだということを言うのです。この徳というのが身体化した儒教の精神だったりするわけです。その精神を携えて、倫敦や伯林、巴里に行って法律や建築学を遮二無二学んだのです。

 明治維新後もそうです。立憲君主制も資本主義経済もかみ砕いて、習合的に取り込んで行きました。そして取り込んだものはアウトプットを必要とします。知識はある程度吸収され、蓄積されると発出先を求めます。その対象が朝鮮李王朝や清王朝だったわけです。王朝からするといい迷惑ですけれど、明治政府からすると自らが身に着けたグローバルスタンダード=立憲議会制と資本主義を朝鮮半島と大陸に押し付けることが必要だった。それを西洋列強に見せつけることが西洋と肩を並べることに直結すると考えたのだと思います。また、明治政府をその方向に促す外国人もいました。台湾出兵を勧奨した元アモイ領事のフランス系アメリカ人チャールズ・ルシャンドルとか、日清修好通商条約交渉で大久保利通を補佐したフランス人法律顧問ボアソナードなどがそうでした。

 先の大戦後、習合の対象はアメリカになりました。
日本は民主主義と市場経済を受け入れましたが、それを咀嚼したのは明治から戦前まで継続した「官僚的合理主義」であり、市民ではありません。GHQは財閥の解体を徹底できないまま朝鮮戦争に介入することで、日本の重工業を再生させ、工業資本は官の主導のもと再編されていきます。GHQの遺産として継承されたのは皮肉なことに「労働組合」でした。これが官の主導する国鉄や電力、教育制度の中で抵抗勢力として勃興したのです。国労、動労、電気労連、日教組等、労働運動が日本社会党と連携して、官僚と企業と連携した自民党との対立構造が明確になっていました。その対立軸が次第にぼやけて来ます。企業の存続が労働者の待遇改善より優先されはじめます。「給料を上げても、会社が潰れたら、元も子もない」という空気が醸成され、利益が出ても、社員に還元しないで、内部留保に回すという風潮が蔓延していきました。その方が法人税収入も上がるので政府も後押ししたのです。そのため労働力は流動化し、派遣会社だけがその供給源として機能し始めました。

 話が大分逸れました。日本が大陸の文化を吸収し、習合し発展してきたという話でした。現代の日本はどんな異質な文化を習合しようとしているのでしょうか。DXの名の元にAIを習合していくのでしょうか。それとも異質なものは排除して、同質なもの同士を集めて、内向きに安住しようとしているのでしょうか。

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