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どうしても見てみたかった宜蘭クレオール(台湾でニホンゴを話す集落)

日本語は日本国外ではほとんど使われていない言語ですが、台湾の一部では日本語系の言語が現在でも現役で使われている不思議な地区があります。

海外での日本語といえば、日本人の駐在員コミュニティなどを除けば、生活言語として使われるのは移民の日系1世2世が多く住む開拓地くらいでしょうか。

朝鮮半島や台湾、南洋諸島などの旧植民地の高齢者が幼いころに話していた日本語をまだ覚えていたり、語彙として日本語由来の言葉が残っている、そんなケースもありますが、これも生活言語といえるようなレベルではないかと思います。

そんな中で、台湾の東北部にある宜蘭県の郊外では、30代くらいの比較的若い世代でも日本語が通じる地区があります。この寒渓村もその1つで、日本語を話せる住民があちこちにいます。

これは、戦前に台湾総督府が2つの少数民族をこの地区に強制移住させた際に、共通言語として日本語を用いたことが理由のようで、現地の言葉とミックスしたクレオール言語として日本語が禁止された戦後も脈々と使われてきました。

実はこの宜蘭クレオールに出会うために、この地域の中心都市である宜蘭から行き当たりばったりで地図を頼りにあてもなく訪問してみたのですが、日本語で話しかけるとびっくりするくらい大歓迎されて、あちこちで手厚くもてなしていただきました。

この動画は集落を歩いていたら、玄関口のイノシシ鍋を誘われて台湾ビールを片手に盛り上がっているところを撮影したものです。日本語の語彙が混じっているだけで日本語とは異なりますが、日本語を意識して話そうとしている時にはだいたい意味が理解できます。

日本語で会話ができるだけで、旅のステップがとても楽になります。
どれくらい楽なのかというと、適当な民家に「トイレ貸してください」ってお願いして適当に入り込めるくらい、急に気楽になれます。そして、びっくりするくらい皆さんに歓迎して頂けます。本当に不思議な空間でした。そして行く先々で大量にビールやおつまみをふるまって頂きました。

年配の一部の住民は、日本語が話せることを生かして若い時に日本で働いていたこともあるそうです。日本での給料がよかったとか、社長にほめられたとか、苦労したこともたくさんあったそうですが流暢な日本語で語ってくれました。

イノシシ鍋とは別のところですが、近くの食堂でふるまってもらったラッキョウ、これ以外に肉のスープと魯肉飯とサラダと、煮込みと大量のビールを頂きました。食堂で注文したのは50元の魯肉飯だけなのですが、なぜか大量の食事とビールが出てきて、全部店主にご馳走になりました。ありがとうございます。

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下の動画はバス停で話をしていた50代の女性がバスの案内をしてくれている時のものです。

これは集落の中心地にある寒渓神社で見かけた石柱です。
すでにお社はないものの、雑草がなくきれいに整備された公園になっており、地元で大切にされていることがよく分かります。

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こちらが寒渓神社の中心、お社が中央にあったんだろうということが分かります。また、たくさんの桜の木が植えられていました。

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ぱっと見の印象はどこにでもある台湾の田舎町、家の作りも雰囲気も、日本らしさは特にありませんが、日本語で話しかけると本当に自分がヒーローにでもなったんじゃないかと思うくらい皆さんに歓迎される不思議な空間です。

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地元の小学校、訪問したのは日曜日だったので授業はありませんが、多くの子供たちが校庭で遊んでいました。人口の少ない集落だからか、小さい子供から中高生くらいまで、みんなで楽しそうに遊んでいたのが非常に印象的です。なお、現在の小学校では宜蘭クレオールは使われていないそうです。30代以上では通じる奇跡のニホンゴも、将来的には消滅する運命のようです。

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ちなみに寒渓村は、台湾産コーヒーが飲めるオシャレなカフェやコテージを設置して、台北からの観光客を積極的に誘致していました。ただ、外国人のお客さんはまず来ないとのことで、非常に珍しがられました。

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アクセスはそれほど難しくなく、台北から電車かバスで小一時間で宜蘭駅に向かい、その後タクシーなら30分程度、バスなら2本乗り継いで40分程度でたどり着くことができます。なんども台湾を訪問している人にはとてもおすすめな、不思議な集落です。

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