【観戦記】AbemaTVトーナメント・谷川浩司九段vs都成竜馬六段

「長い詰みより短い必至」という言葉がある。
長手数の即詰みを狙って無理に相手玉を追いかけまわすよりも、まず確実に必至で仕留める方法を考えよという格言である。

谷川浩司は違う。

最終盤、谷川の手は迷いなく敵陣に伸びた。

「レジェンド」というチーム名に異を唱える者はいないだろう。
棋士が棋士をドラフトで指名するという異色の新企画であるAbemaTVトーナメント。「フィッシャールール」と呼ばれる超早指しの対局は、瞬発力や体力で勝る若手が有利と言われる。
現将棋連盟会長、そして齢50にして衰えを知らぬ現役A級棋士としてリーダーの重役を担う佐藤は魅せた。
歴戦のライバル森内俊之、谷川浩司という2人の永世名人を指名して見せたのだ。

勝算を度外視したファンサービスだ、という意地悪な見方もあっただろう。他ならぬ佐藤の胸中にも、非公式の興行である以上は盛り上げてやろう、という思いがあったことは推測できる。
しかし佐藤の言葉は力強かった。
「本気を出せば強いんですよというところをお見せしたいと思います」
リップサービスを織り交ぜながらも、それは本心から出た宣言だったはずだ。3人は生けるレジェンドとして数々の名局を生み出してきた。若手とベテラン、早指し、彼らはそんなことを超越した強さを持っている。

蛇足ながら谷川の実績の一部をここで改めて紹介する。
歴代5人しか存在しない中学生棋士の1人にして、21歳での名人戴冠は史上最年少。これは現在の藤井聡太が順位戦をノンストップで昇級し、名人戦でも勝利してやっと達成できる偉業だ。25歳で前人未到の七冠王を達成した羽生善治でもなし得なかったと言えばどれほどの大記録かわかる。
天才・羽生と最も多くの対局数(168局=歴代2位)を重ねた棋士であり、羽生から最も多くの勝利(62勝)を挙げた棋士でもある。羽生が七冠達成を阻まれ、翌年に最後のタイトルを奪った相手は谷川だった。谷川が通算1000勝を達成した相手は羽生であり、17世名人の資格を得た名人戦の相手もまた羽生であった。

レジェンド3人の面々が羽生と対戦した局数は実に467局にのぼる。羽生が将棋史に刻んだ伝説のページに必ず登場するのが谷川・佐藤・森内の3人なのである。

チームレジェンド、注目の開幕局は都成竜馬六段と師匠の谷川が激突した。この師弟戦もファンが密かに期待していたカードである。
三段時代に新人王戦で優勝という史上唯一の記録を引っさげてプロ入りした都成。今年30歳を迎え、そろそろタイトル挑戦や棋戦優勝といった結果も期待されるところだ。師匠である谷川とは公式戦で1度対戦しており、そこでは谷川に貫禄を示されている。非公式戦とはいえ是が非でも「恩返し」をしたいところだろう。

しかしこの舞台で師匠と相対する気持ちが空回りしたか、都成はあからさまに出来の悪い将棋を指してしまう。第1局は先手の都成が左美濃に組んだが、谷川が後手番ながら機敏に仕掛けてリードを奪う。「前進流」の名を体現する積極策だった。
劣勢に立たされた都成は持ち時間を投入して粘りの順を探すが、苦境を脱する一手は見つからない。チェスクロックの機械音は迷える弟子を容赦なく襲う。残り1秒まで追い込まれ、解説の中村太地七段が「危ない!」と叫ぶ場面が何度もあった。
必死に手を尽くして追い込むが、谷川は緩急自在な指し回しで都成の攻めを寄せ付けない。「数の攻め」で33の地点へ金を打ち込んだものの、41玉と引かれた局面は谷川玉が寄らず、後は収束を待つのみとなった。

早指し棋戦でなければ、あるいは研究会の将棋であれば都成はここで投了していただろう。がっくりとうなだれる都成の胸中からは、師匠を相手に不甲斐ない将棋を指してしまった後悔とチームメイトへの申し訳なさが感じ取れた。
谷川は持ち時間を1分以上も残している。自玉に詰みはなく、必至をかければ勝ちである。短手数で必至をかける手順ならば、むろん谷川は一瞬で読み切っていたはずだ。

しかし谷川は敢然と詰ましにかかった。

88銀、同玉、66角成。

「棋士たるもの、即詰みがある局面では長手数でも詰ますべきである」というのが谷川将棋の美学だ。
仮に必至をかければ都成は投了し、皆が谷川の強さを手放しに賞賛したことは間違いない。詰ましにいかなかったことを批判する者は一人としていなかっただろう。超早指し戦、しかも個人ではなくチームの勝敗がかかった一番で難解な即詰みを避けて堅実に勝つことを責められる謂れはない。即詰みを逃したから棋譜に傷がついた、などという非難は全くの的外れである。

それでも谷川は詰ましにいった。
B級2組へ陥落し決して全盛期の力は発揮できなくとも、将棋にかける自らの美学、いや哲学を裏切ることを潔しとしなかったのだ。

戦前のインタビューで谷川は「30年前にこのチームを組みたかった」と冗談めかして笑った。
A級時代の谷川ならば難なく詰み筋を読み切っただろう、と一介の将棋ファンが考えるのは失礼な憶測だろうか。
「光速の寄せ」に生じた一手の読み抜けは致命的な綻びへ繋がり、目の前の勝利が谷川の手中からこぼれ落ちた。

都成の大逆転勝利であった。

続く第2局は後手番の都成が四間飛車を採用した。
ここでも谷川は居飛車穴熊から積極的に仕掛けていった。大逆転負けの落胆は全く見えず、むしろ詰みを逃した自分への怒りすら感じられた。

「年齢を重ねてある程度達観することは必要だろう。しかし、達観が諦観になってはいけない。それではそれ以上、高みを目指そうと思わなくなるし、そうなっては構想力は衰えることはあっても伸びることはない。怒りの感情までなくしてしまうのは、必ずしもよいことではないと私は思うのである」(谷川浩司『構想力』より)

谷川は勝負師としての闘志の炎を消すことなく、前進流を貫いた。それは勝ち将棋を落とした自分への怒りでもあり、盤を挟む都成に奮起を促すメッセージでもあったように見える。弟子よ、私を相手に隙を見せたら容赦しないぞ。そんな心の声が聞こえてきそうな仕掛けだった。

本局は谷川の会心譜だった。中盤で18の地点に打った「遠見の角」は他の駒とともに躍動し、都成玉の死命を制す駒となった。反対に都成の攻め駒は萎縮し、99の地点に潜る谷川玉に肉薄することはなかった。

追い込まれたのは都成のほうである。スコアこそ1勝1敗ながら、2局とも完敗と言っていい内容だ。本来ならば2連敗で見せ場なく敗退していたところである。若手から中堅に差し掛かる棋士として、全盛期を過ぎた師匠を相手に良いところなく敗れるというのは屈辱この上ないだろう。なんとか全力を出し、強い自分の将棋を指さなければ。そんな悲壮な覚悟をもって第3局に臨んだことは創造に難くない。

後手番の都成は角交換振り飛車を採用し、銀冠の堅陣に組んだ。対する谷川はバランス重視の構えから地下鉄飛車を開通させ、玉頭の制圧を試みる。還暦近い年齢でも現代将棋を追及する求道者谷川、自由自在の指し回しであった。

55歩。

戦端を開いたのは都成だった。良いところなく負けてなるものか、絶対にこの将棋は食い下がってやるという決意の表れに見えた。

都成が攻め足を止めることはなかった。56桂、85桂と左右からのパンチで谷川を揺さぶる。谷川も土俵際で耐えるが、都成の駒は前進を止めない。

45桂。

飛車取りを逃げない強烈なパンチでついに谷川が倒れた。師匠の「光速流」のお株を奪う、一気呵成の猛攻であった。

谷川は81銀、と詰めろをかけて下駄を預ける。弟子よ、ようやく良い将棋を指したな。そんな心の声が聞こえる形作りの儀礼だった。

衰えてもなお谷川は強い。成績こそ負け越したが、谷川将棋の強さ、速さ、美しさ、その全てを強烈に印象付けた3局だったことは疑いないだろう。

都成をドラフトで指名したチームリーダーの糸谷は「最後だけは良い将棋だったね」と辛口で都成を労った。

2勝1敗。もがき苦しんだ都成が辛くも掴み取った勝ち点「1」がチーム糸谷に刻まれた。

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