記録係問題がようやく明るみに出たらしい(?)

記録係の不足が深刻な問題となっているようだ。発端となったのは加藤桃子女流三段のツイートである。

緊急事態宣言の影響で奨励会員による記録係の業務が停止され、棋士や女流棋士が記録を取っているようだが、それが限界を迎えつつあるという。今後は徐々に通常通りの形態へ戻ることが予想されるが、そもそも論として記録係の負担は本当に「必要」なのか、という問題がある。記録係問題についてざっくりと整理してみようと思う。

1、記録係の仕事は「労働」か「義務」か

私自身も奨励会に在籍していたことがあり、記録係の経験が少なからずある。ただし、今は私が退会してからそれなり(と言っても10年は経たない)の期間が経過しているので、必ずしも現状を正確にお伝えできる保証がないことは先に断っておく。

結論から言うと、記録係の仕事を「労働」と捉えれば法的にアウトである。一般的な対局は平日の朝10時に開始され、記録係の仕事は対局準備のため9時頃から始まる。持ち時間が5時間の竜王戦や王座戦では22時過ぎ、6時間の順位戦ならば0時を回ることも珍しくない。そこから感想戦を終えて対局道具を片付け、棋譜を連盟の担当者に提出してやっと仕事終了である。

記録係の仕事を義務付けられるのは基本的に高校生以上だった。中学生までは義務教育だから学校を休ませて仕事をさせというのはさすがに…ということだろう。高校や大学に通う者にも、単位取得や卒業のための配慮は一応あった。ただ、平均して月2回程度は学校を休んで記録を取っていた。

18歳未満の奨励会員に22時以降まで記録係の「労働」をさせたら労基法違反(61条)である。まずこれが痛い。正直に言って私も、高校生の身分で日付が変わるまで記録を取っていた経験がある。当時は「そういうものだ」という感じで淡々と仕事をこなしていた。

そしてもう一つは手当である。これも私が在籍していた当時の話だが、記録係に支払われる手当は、5時間の将棋の記録を取ると平均して時給800円を少し切るくらいの金額だった。最低賃金法に触れている。手当の低さに不満を抱く奨励会員は少なくなかったし、「訴えられたらアウトだろう」と言う人もいた。

2、「義務」を課すことが合理的なのか

こうした状況を踏まえると、記録係を法的な意味で「労働」と解釈することは非常に厳しいものがある。将棋連盟的にも、記録係という制度はあくまで修行の身たる奨励会員に義務を課しているだけであって、彼らと雇用関係にはないと主張するであろう。

奨励会員に向けては、記録係は「修行の一環」と説明される。確かにプロの公式戦を間近で観戦し、対局室の空気を吸うことは彼らにとって少なからず有益だと思う。将棋の局面を集中して勉強することもさることながら、目標とする棋士の対局姿を見て士気を高めること等、精神的な向上の意義を否定するつもりはない。

修行としての記録係の意義を伝えるため、豊川孝弘先生のツイートを引用しておく。

だが一方で、長時間の拘束に代えて将棋の勉強をしたほうが有益だろうとも思う。はっきり言って今はAIが人間より強いし、将棋の勉強法は山ほどある。記録係が最善・最適の修行方法であるとはいえないだろう。

重ねて断っておくが私はプロ棋士の先生方を尊敬しているし、AI時代にあってなお人間同士、プロ棋士同士の勝負には廃れぬ魅力があると確信している。しかしAIの精密性・合理性の時代が来ていることもまた事実だ。アナログな記録係という「勉強法」の合理性には疑問符を付さねばならない。

もし記録係が真に有益な修行方法であるなら、義務を課すまでもなく皆がこぞって立候補するのではないだろうか。あるいは師匠や先輩棋士が積極的に「記録を取れ」と勧めるのではないだろうか。現状はそうではないはずだ。私を含め挫折して奨励会を退会した者、晴れて棋士となった者、多くの奨励会員を知っているが、「記録係は良い勉強だから」と積極的に引き受けていた者は記憶にない。

将棋ファンの皆様ならご存知のとおり奨励会とは厳しい世界で、大半の者は日の目を見ることなく挫折し、将棋界を去っていく。10代や20代の半ばまで学業もそこそこに夢を追った者も奨励会を去れば路頭に迷うことになる。学業と将棋を両立することの難しさは、記録係の義務によって平日に学校を休まねばならないことと決して無関係ではない。

詳細は伏せるが、一部では記録係を交代してもらうために奨励会員同士で交渉をしていることもあった。踏み込んだ言い方をすれば、基本的に記録係とは、デメリットを承知で仕方なく引き受ける仕事なのである。公式戦の記録という「必要性」に対応して奨励会員は負担を請け負う。需要と供給を「義務」によって一致させているのだ。

3、やっと明るみに出た記録係問題。合理的・建設的な議論を

こうした問題を奨励会員たちが口にすることは難しい。身分を保証されない修行中の立場の者が、たとえば奨励会幹事に向かって「記録係の手当てを上げてほしい」とか「深夜にわたる仕事の負担を軽減してほしい」と直訴することは困難である。

今回、新型コロナウイルスの流行に伴う非常事態が引き金となって加藤女流三段が声をあげるに至った。勇気ある提言だと思うと同時に、かつての当事者として「やっと明るみに出たか」という率直な感想を抱いた。

記録係問題は決して非常時だけの課題ではない。交代制やタブレット使用、チェスクロックの導入など、負担軽減の工夫により以前よりは環境が整っているかもしれない。しかし将棋界における記録係というシステムそのものが現代社会とマッチしていないことからは目を背けられない。

最近はリコー社による自動記録システムも話題だ。以前から、対局者自身による棋譜の提出等、改革案を提言される先生もいたと記憶している。記録係の負担が軽減できるのならば、どんどん改革を進めてほしいと思う。

私は元奨励会員として、そして一将棋ファンとして、未来の将棋界を担う奨励会員がより良い環境で修行し、将棋のレベルを高めてくれることに期待している。そのための最適な方法は「記録係」ではない、と思っているのだ。

奨励会員が記録係を務めなくなったところで、人間同士の勝負という将棋の魅力が損なわれることはないはずだ。将来AIが名人に大駒を落として勝とうとも、私はネット中継で将棋を観戦する。

現代社会の荒波に呑まれず将棋界が発展するよう、建設的な議論がなされることを願う。

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