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これまでの人生を振り返って②(2021.07.01)

 前回の投稿では、創価学会の家に生まれてから創価高校で3年間を過ごしたところまで自分の人生を振り返りました。今回は創価高校を卒業し、現在に至るまでの過程と今の心境をお話ししたいと思います。

地方の大学へ進学、大学1年生

 高校を卒業後、私は地方にある大学に進学しました。創価高校の卒業生の半分以上は創価大学に進学しますが、私は将来生物学の研究をしたいという夢がありましたので、創価大学よりも研究力のある他の大学を選びました。大学に入学して1年間ほどは創価学会に対して大きな疑問は持っていなかった上、学園にいたころの強い信仰心が残っていましたので、学会の会合には積極的に参加しました。会合では、自分の信仰体験を語ったり、友達と仏法対話してみたいという意気込みを話したりしていました。

 私には、もし仏法対話するならその子かなと漠然と思っていた大学の親友が1人いました。しかし、仏法対話をすることで大学の唯一の親友に距離を置かれたら嫌だなという思いや、その子の家庭は家族の仲が良く幸せそうで、もし入信させたら家族の仲を険悪にしてしまうかもしれないという思いがあって、実際に仏法対話を持ちかけることはありませんでした。このこともあり、自分の中で、なぜ広宣流布をするのかについて納得する答えは見つからないままでした。

大学2年生

 大学2年生になる頃、ちょうど新型コロナウイルスの流行が始まりました。コロナの影響で学会の会合がしばらくなくなったのと、このころから研究室で研究を始めて忙しくなったこともあり一時期ほとんど非活状態になりましたが、オンラインで会合が再開されてからはなんとなく参加していました。

 創価学会への疑問が心の中で大きくなるきっかけとなったのは、婦人部の人が “コロナで、一時期学会活動がなくなって少しハッピーだった”というようなことを漏らしていたのを聞いたことです。これを聞いて私は、じゃあ学会活動を止めればいいのになんで止めないんだろうと素直に思いました。これがきっかけで、心の中でずっとくすぶり続けてきた“なぜ広宣流布をしなきゃいけないのか”という疑問に正面から向き合うことになりました。学会は“自他共の幸福のため”と言っていますが、学会活動に労力を費やすことが本当に人生を幸せにするのか、広宣流布をしたとしても学会活動で労力を無駄に費やす人を増やすだけなのではないか、また学会は会員の労力を信者獲得や選挙活動のために搾取しているのではないかと考えるようになりました。

 学会に対して大きな疑問を持ち始めてから、私はアイデンティティークライシスに陥るとともに孤独感を感じるようになりました。これまで生まれてからずっと正しいと信じ続けてきたものを否定することは、今までの自分の人生はもちろん、これまでお世話になった学会の人たち、仲の良い学園の友達を否定することになるということが心苦しく感じました。そして、私はしばらく学会に疑問をもっているということを誰にも打ち明けずに一人で悶々としていました。なぜなら、学会の内部の人に打ち明ければ、“退転“しないように説得されてしまうだろうし、外部の人に話すには自分が学会員であることを打ち明けなければならず、その勇気が無かったからです。それに、学園の友達がこのことを知ったら、以前と同じように仲良くしてもらえないのではないかという不安もありました。学会に大きな疑問を持ち始めてからも会合に誘われるとなんとなく断れずに参加し、本心を隠しながらやり過ごしていましたが、本当の自分と周りの学会員の人が思う自分が乖離していくことが大きなストレスとなり、コロナ禍の1人暮らしの寂しさも相まって精神的に病むようになりました。

大学3年(現在)

 大学3年になってからも相変わらず、心の中で学会への不信感を抱え込んでいました。あるとき、そのストレスに耐えられなくなって、母親に学会について思っていることを全てぶつけることにしました。私はてっきり忘恩の人だとか地獄に堕ちるとか魔にとりつかれているとか罵られて勘当されると思っていましたが、母は意外にも、「色んな考えがあって良いし、だからといって勘当したりしないよ。打ち明けてくれてありがとう。」と言ってくれ、自分は1人じゃないんだという安心感で涙が止まらなくなりました。

 最近は、創価学会への向き合い方について考えるために、創価学会を扱った学術記事を読んだり、ブログで様々な人の意見に触れたりするようになりました。学会について調べ、考える中で、まず池田氏は以前私が信じていたような高潔な人物ではないこと、学会が情報操作を行っていること、それから学会には学会員を搾取する構造が存在する可能性があること、学会で苦しい思いをしている人が少なくないこと、そして学会の掲げる教義には矛盾があることなどが分かってきました。今は、聖教新聞や大白蓮華の購読を止め、学会の会合等は全て理由をつけて断っており、完全に非活状態です。これからも色々情報を集めつつ、疑問に思っていることを地域の学会員や学園の友達に伝えるか、創価学会を脱会するか、信仰を保つか否か、など色んな選択肢があると思うのでそのあたりも考えたいと思っているところです。

 長文になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。ほかにもここには書き切れなかったことが色々あるので、またの機会に投稿したいと思います。

この記事はアメブロから転載しました
https://ameblo.jp/ttherm00297200/entry-12683889097.html

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