見出し画像

読書編⑤ 【1984年】ジョージ・オーウェル

画像1

1984年、世界は三つの超大国に分割されていた。その一つのみオセアニア国では〈偉大な兄弟〉に指導される政府が全体主義体制を確立し、思想や言語からセックスにいたるすべての人間性を完全な管理下に置いていた。 この非人間的な体制に反発した真理省の役人ウィンストンは、思想警察の厳重な監視をかいくぐり、禁止されていた日記を密かにつけはじめるが…。 社会における個人の自由と人間性の尊厳の問題を鋭くえぐる問題作。ハヤカワ文庫

この作品も映画を先に観てました。

今年の読書期間では映画化されて観ているのはなるべく入れないでおこうと思っていたのですが、この作品と、【華氏451度】は読んでおきたいと購入しておりました。

これを読む前に読んだ【すばらしい新世界】とはまた違った管理社会で厳しい世界だと感じました。


1984年は映画で観ていたので話はすんなり入っていくんですが、中盤のゴールドスタインが書いたとされる本の内容が大変な読み物でした…。

私にはこんがらがってしまう内容だったので声に出して読んで、また読み返してと、ようやく何とか何となく分かった感じでした。


それにしても何てゾッとするような話なんだと…。映画の時も何だこの救いのなさは…と思いましたが。

三超大国の一つオセアニア、圧倒的な支配、強大な権力は如何にして始まって維持されるのか。

その組織的な仕組みと、今の精神では考えられない理解しがたい矛盾が矛盾せずに受け入れられるようになる思考術。

その他、様々な情報が書き込まれているゴールドスタインの例の本。


どの時代にもあり得てしまうんではないかと思う権力の思考の流れ。


過去に於いて如何なる政府も、市民を絶え間ない監視下に置く力を持たなかったがオセアニアは違った。

印刷技術の発見は世論操作をより容易なものにし、映画とラジオの出現はその操作法を更に発展させた。テレビの発達に伴い、その技術的進歩が同一セットによる同時受信、発信を可能ならしめると、遂に私的な個人生活は終わりを告げるに至った。

未来的SFによくある管理社会ですが、きっと目的は違ってもそうなっていくことはあるんじゃないかと思ってしまいます…。


そして権力についてオブライエンという党員の男がウィンストンに語る事の絶望的な現実感。

権力は一つの手段ではない、 れっきとした一つの目的なのだ。


真の権力とは、われわれが日夜そのために闘わねばならない権力とは、物質ではなくて 人間を支配する力のことだ。

そしてオブライエンは問いかけます。

人間は相手に対してどのように力を誇示するものか?

その答えはもちろん。


相手を苦しめることによって、だ。服従だけでは充分ではない。相手が苦しんでいない限り、彼が自分の意志ではなくて当方の意志に従っているということが、一体どうやって確認できよう? 権力とは相手に苦痛と屈辱を与えることである。権力とは人間の精神をずたずたに引き裂いた後、思うがままの新しい型に造り直すということだ。 これで、われわれがどんな世界を創造しつつあるか、君にも分かって来ただろう。


ウィンストンは最後の人間として自身の人間性を維持しようと抵抗します。

そして最後に残る人間性や思考、自由は。




あなたの心の中まで入り込むわけにいかないもの。

ウィンストンと不思議な関係にあったジューリアの一言が印象的に残ります。


もう一度映画も観たくなります。 拷問場面はジョン・ハートの凄まじい演技に恐ろしくなりますが。

画像2



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?