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「自立」と「孤立」は紙一重〜近日の凶悪事件から考察

記憶に新しい京王線ジョーカー事件。
また住まいの近くで起こった金欲しさによる無職の強盗事件。

ほとんどの人は犯人に対し「憤り」と「冷やか」な声をあげた。

しかし私は、彼らに対してそのような気持ちは持てなかったのである。
というより生活に困窮している私は、正直に申し上げて、
幾ばくか彼らに同情する気持ちがあるのである。

(念のため申し上げるが、私は犯罪行為を推奨・是認するつもりはない。
罪のない人に危害・不安を与える行為は断じて許されるものではない。)


京王線ジョーカー事件の犯人は、学生時代はさほど問題のない日々を送っていたと報道されている。
しかし高校を卒業し、「社会」に出てから仕事・友人関係がうまくいかず、それが憎悪の火種となって、あのような凶悪な事件へと手を染めた。


この高校を卒業してからの流れに、私は引っかかる部分がある。


人間は親から生まれ、育てられ、一定期間は親・学校の保護下に置かれる。
そして高校・大学を卒業すると「自立」して社会人として生きていくというのが、通例である。

この「自立をする」ことが望ましいというのは理解できる。

しかし、ここで「自立しなければならない」という思いが出たとき
人は「孤立」への道を進んでいるのではないだろうか。

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『「人」という字は人と人が支えあってうんぬん』というのは
昔の青春ドラマの先生が言ったことで

(後に演じた俳優がこれは違うと言ったとか言わないとか)



もちろん一番良いのは、高校・大学までは家族や友人に支えてもらい
それ以降は自らの力で立つ。その字の通り「自立」することであろう。


しかしそれが「難しい」・「できない」のであれば、
無理に自立することを求めなくてよいのではないだろうか。



苦しいこと・困ったことがあったら
家族にでも友人にでも社会にでも支えてもらえばよいのではないだろうか。


自身が未熟なら
自身の身に何か問題があったなら
その間は誰かに・何かに支えてもらえばよいのではないだろうか。

そして自らを整えてから
ゆっくりと「自立」すればよいのではないだろうか。


それを無理に「自立」しようとするから支えを失って倒れ、「孤立」し
自分あるいは他者を痛めつけるという行為に走ってしまうのではないだろうか。

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ほとんどの人は「自分は同じ環境になってもこんなことはしない」「こんな事件を起こす人間は不要だ」と思い口に出すだろう。
ただ、その人たちは上手く「自立」をすることができた人ではないだろうか。

もちろん、しっかりと自立をしたことは素晴らしいことである。
苦しいこともあったろうに、しっかりと社会的自立・経済的自立を
しているのだろうから。


ただ、そんな人ほど少しばかり
「孤立」した人に思いを馳せてほしい。
そして出来ることがあるなら、少しでもそれをしてほしい。


仕事を失う・心身の調子が悪くなるなどお金がなくなった人には
生活福祉資金・生活保護という支えがあるということを
もっと声をあげてほしい。


自分には関係ないと、
自分とは思考が違うのだと、
自分とは世界が違うのだと、
その人を無視しないでほしい。


「孤立」した人に想いを馳せ、何か行動を起こすこと。

それがゆくゆくは、この日本を安寧した社会にし、
あなたを、そしてあなたの大切な人を
守ることに繋がるだろうから。


新型コロナウイルスという嵐が吹き荒れた後の今の日本社会は
あまりにも生きるのに難しい。

行き場を失い、自分あるいは他者を破壊しようとする者が
これからますます増えていくだろう。


そんな人が、そして傷つけられる人が1人でも少なくあってほしいと思うのは、私だけだろうか。


もしこれをここまで読んでくれた方はなんでもいいから声をあげてほしい。


もしあなたが今辛い暮らしをしているなら、声をあげてほしい。
そして周りに救いを求めてほしい。
決して自分・他者を傷つけることはやめてほしい。


間違いなく助けてくれる人・場所があるとは断言できない。


ただ他者を
そして何よりあなたを守ってほしいと思う。


今、大きな事件を起こすと元に戻れなくなるから。


もう少しだけ、孤立せずに
この嵐が落ち着くのを待っていてほしい。


どこかにあなたの居場所があるはずだから。