『ザ・エレクロリカルパレーズ』を見て

2011年、NSC東京校17期生に謎のグループが現れた。ザ・エレクトリカルパレーズ(エレパレ)はメンバーの名前を記した揃いのTシャツやオリジナルのテーマソングを作成し、複数の女生徒と関係があると噂される。その噂は芸人たちの間で話題となったが、誰も正確な情報を掴めないまま忘れ去られた。9年後、ニューヨークチャンネルはエレパレの正体を探るべく調査を開始した。お笑いを志した若者たちは、なぜそのような組織を作り、何をしようとしていたのか。取材を進める中で17期生が隠した真実を解明する。(Wikipedia「ザ・エレクトリカルパレーズ」より引用)

お笑い芸人、ニューヨークのYouTubeチャンネルで公開中のドキュメンタリ「ザ・エレクトリカルパレーズ」を見た。

2時間ほどの本編はほとんど芸人さんがインタビューを受けているだけなのだが、最後まで見てしまった。

「ザ・エレクトリカルパレーズ」通称エレパレはNSC(吉本の養成所)の生徒が発足したグループで、講師に認められた実力者やクラスの中心的な者たちが集まり、飲み会やコンパをしていたらしい。エレパレはテーマソングやTシャツを作り、当時はNSC内で存在感を放っていたようだが卒業後はニューヨークをはじめとする先輩芸人からいじられるうちに徐々に風化していったようだ。

芸人の養成所というのは特殊な空間で、集団でワイワイやる文化祭的なノリはあまり好まない、むしろそういった輪から疎外された人間の集まりだけれど、エレパレのような文化祭・サークル的な集団が出来上がってしまえば養成所での存在感はかなりのものだろう。そして集団は個人を肥大化させ、増長させてしまうものなので、エレパレのはっちゃけぶりはイタい若気のいたりだ。けれども「エレパレ」はそういう特殊な場でしか発生しないものじゃなくて、むしろ普遍性のある集団・現象であるような気がしてならない。

働きアリは個体の2割はサボり、働きアリをどかすとサボっていたアリの何匹かが働くようになり、全体のバランスが保たれているといわれる。

「エレパレ」もそれと同じような感じで、学校とかクラスとか、あるいは会社だとかいう枠組みに人を放り込んだら、自然発生的に、集合的無意識によって何人かが小集団をつくってその空間を支配してしまうのではないか。そんな予感がするのは僕も高校時代にエレパレ的グループの一員だったからだ。

まさに高校の文化祭のころ、実行委員会というものが動き回っていた。彼らは文化祭の運営の中枢で、体育祭だったりクラスの出し物、屋台だとかの部門ごとのリーダーによって結成される。このメンバーの決め方も非公式で、去年の実行委員長ら数名が翌年の委員長を決めて、そいつが副委員長をはじめとするメンバーをスカウトしていく形式なので委員会は身内がどんどん集まってしまう。3年の春ごろから活動するから引退してない運動部とかは参加できないので文化部とか帰宅部、運動部だけど大会に出る気がないやつとかに絞られてって、特定の部活から委員会に人がどんどん流れ込んじゃって。実際楽しいし、後輩からしたらやっぱ輝いてみえるから誘われると嬉しくてさ......でも「どうする?アイツ入れる?(笑)」みたいなノリはマジで嫌だったな。

まぁそんな集団ができてもろくなことは起きないわけで、深夜に学校忍び込んで作業したり恋愛関係でこじれにこじれたりグズグズになった。あとTシャツも作りました。逆につくらないなんてことある?。ここまで自分がいた集団について「よくなかったよね~」みたいなトーンで語りましたが、形式的にそういうポーズとってるだけで僕はバリバリ楽しんでたし、いろいろと良い思いさせてもらったので、いまさらラフレクランの西村さんみたいに無関係な顔できないけど、時がたつと反省というか僕らが無邪気に楽しんでいた陰で深めの軋轢が生まれてたんだなと回顧するのです。

集団をつくることは、積極的に特定の仲間とのつながりを深めることではあるんだけれど、それと同時に集団の外部を--消極的、ではあるのだけれど--排斥してしまう。芸人になるため孤独に養成所に通っていた遊佐亮介が「(エレパレは)敵」と言ったように、エレパレメンバーが他の芸人を見下してたように、これは集団の内部/外部の摩擦となって彼らをより先鋭化・カルト化させてしまう。

孤立していく集団の中の個人としての特徴はあいまいになって、均一化された「ただの一員」になる。中には強引に加入させられてエレパレとして認知されることに抵抗したゲオルギーのような被害者もいる。

集団のアッセンブルは特定のだれかとのつながりを強くするから、寂しくは無いと思うけれど、外部から隔てられた内部では、個人は融合してひとつの統合された人格--のようなもの--にまとまってしまう。そして集合による対立は、集団/それ以外による闘争である以上、むしろ孤立しているのではないか。先輩芸人にTシャツを着せられてステージに立たされているエレパレメンバーはどんな気持ちだったのだろう。......そんなことを考えてしまった。

「ザ・エレクトリカルパレーズ」はそんな集団のいやさも含めて、かつてそこにあった若者のグループを臨場感たっぷりに、どこか懐かしく描いている。高校時代に、いまの大学にもごまんといる「エレパレ」は普遍的だけれど、やがて風化していき当事者にとって美しい思い出で終わってしまう。

お笑い芸人の養成所という後輩-同期-先輩のつながりが強いNSCだからこそ「エレパレ」をただの思い出としてほっておくことができず、ニューヨークという部外者によって掘り返されたのは、気の毒ではあるけれど、とても貴重な映像作品なのだと思った。

筆:葉入






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