手をつなぐ

 学校から帰宅した娘は、静かに涙を流していた。
 食事を用意していた私は、娘が泣いているのにすぐに気付けなかった。
 何かあったの?
 尋ねても無言のまま、頬を涙が流れるままにしている。ティッシュを渡したものの、拭くこともしない。
 理由を尋ねても首を振るばかり。続けて尋ねると、今度は唸り声をあげて私の問いかけをシャットアウトする。握ろうとした手も振り払われた。
 なにも言いたくないのだろうな。
 そう察して、尋ねるのをやめた。

 もうずうっと前のこと。
 幼い頃の、娘の姿を思い出す。
 娘が2歳を迎えた頃、子育て中心の生活に疲れ果て、自分を擦り減らしたような気分に陥ってしまった日があった。
 気配を察した夫が、私に代わって娘を寝かし付けに寝室へ連れて行った。
 いつも寝かしつけは私でないと駄目なのに、その日の娘はやけにあっさり、
「バイバイ」
と言いながら私に手を振った。娘の「おやすみなさい」の仕草に、解放感とともにあっけにとられたような気持ちが湧いた。
 小さな足音が遠ざかり、寝室から主人と娘の会話が洩れ聞こえてくると、次第になんともいえない喪失感に変わっていくのをぼんやり感じた。
 しばらくして、また小さな足音が廊下の向こうから聞こえてきた。娘が一人でベッドを下り、リビングに戻ってきたのだった。眠れなかったのだろうか。
 入り口に現れた娘は少しうつむき、眉をしかめ、思いつめたような表情で言いよどんだ後、一言一言噛み締めるようにこう言ったのだった。
「ママト、ネンネ、シタイ」
 え?と聞き返した私に、もう一度言った。
「ママト、ネンネ、シタイ」
 ママにそう告げたいけれど、自分でうまく伝えられないかもしれない、ひょっとしたら拒まれるかもしれない。たどたどしい口ぶりに、そういった逡巡が垣間見えた。

 眠りにつく瞬間、自分が無条件に愛され、慈しまれていることを感じていたい。
 娘の言葉に、私もまた無条件に愛され、求められているとストレートに感じた。まるで息を吹きかえしたように、瞬時に再び惜しみなく与えることのできるものに満たされていた。
 与えると同時に、たくさんのものを受け取っていると気付いた瞬間だった。
 その気持ちを忘れないでいたらいいやん。
 娘を寝付かせた後、夫にそう言われた。

 あの日からずいぶん日が経ち、思慮深く賢明な娘の成長を、寄り添いながら眩しく見守ってきた。
 若い女性の姿となった目の前の娘は、まだ静かに涙を溢し続けていた。
 彼女の心の痛みを代わってやれたらいいのに。
 それができない歯がゆさがたまらず、つい涙が溢れそうになるのを堪えた。娘の手をそっと握ってみると、今度は振り解かずにいた。
 しばらくして、深呼吸を繰り返し、娘は落ち着きを取り戻して泣くのをやめた。まだなにも話そうとはしない。どこか困惑しているようなその表情に、あどけない、あの娘の姿が脳裏によみがえった。ああ、私の手をまだ必要としてくれているのか。

 それでも。
 いつの日か、そう遠くない日に、娘は私の手を自分から離して一人で歩き始めるだろう。
 その日が来るまで、私の手を必要とする限り、そっと手をつないでいよう。
 私は私で、あなたのおかげで母親にさせてもらってきたのだから。

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