二人の「あしながさん」
ジーン・ウェブスター(アメリカの女性作家)が1912年に発表した小説・児童文学作品『あしながおじさん』(Daddy-Long-Legs)をご存じですか?
孤児院で育った少女ジュディーが、資産家の経済的な支援を受け、毎月匿名の支援者へ手紙を書くことを条件に大学進学のための奨学金を受けるという物語です。
主人公のジュディは、この支援者を「あしながおじさん」と呼び、日常を綴った手紙が作品となっている。
こども家庭庁によると、「保護者のない児童、被虐待児など家庭環境上養護を必要とする児童などに対し、公的な責任として、社会的に養護を
行う。対象児童は、約4万2千人。」とされている。
また、公益財団法人 生命保険文化センターの取りまとめによると、
令和4年度には、「交通事故で約3,500人、火災で約1,500人、自然災害・事故で約1,100人が死亡(行方不明者含む)」合わせて6,100人が亡くなられている。特に交通事故で亡くなった3,541人中、28.8%の方が、20代から50代である。
家計を支える「大黒柱」に不幸があると、残された家族の生活が一変する。特に、教育費の負担が大きな高校・大学への進学は、経済的な理由から選択の幅が限られてしまう場合がある。
さて、この4万2千人の中のどのくらいの割合が、親を亡くしたかは不明ですが、国や自治体が把握しているだけでも、かなりの子どもが、衣食住などの福祉的な支援を得ていることがわかる。
一方、教育的な支援はどうであろうか? 義務教育の支援は行われているであろうが、高等教育機関への進学の支援(経済的な支援)が十分であるとは思えない。また、これらの福祉施設では、入所児童・生徒間、及び、保護されている者の個人情報等の漏洩防止のため、一律でスマホの利用ができない場合が多い。
SNSでの情報交流が主たるコミュニケーション手段になっている現代の中高生にとって、このような施設に入所すること自体が、耐えられない状況である。多くの生徒にとって、衣食住の安定よりも、スマホ利用の自由の方が、重視される傾向すら生じているため、施設からの出所(アルバイト等による経済的な自立)が優先され、高等教育機関への進学(大学受験の準備び等)は、ますます優先順位が下がっている。
また、日本学生支援機構による、返還不要の給付型奨学金を得ようとしても、半年以上前からの申請、関係書類の取得と作成が必要であり、それらの請求に関して、ハードルが高い様である。
※福祉施設入所所に対し、施設長の申請書で他の書類が省略できる制度が導入できないだろうか?
これからが、本題であるが、主たる家計を支えるものを失った場合の経済的な支援の手厚さが、その理由によって大きく左右されるのをご存じだろうか?
交通事故死の遺児に対する奨学金制度は手厚い!
年間3,500人程度の交通事故死亡者が発生しているが(以前は1万人を超えていたが、医療技術の進歩、道路環境の整備、車の安全性能の向上等により、死亡事故は近年大幅に減少している。将来的にレベル5の自動運転
が実現すれば、運転者の過失による事故は皆無になるかも、・・・。)、
多くの場合、加害者による自賠責保険や任意保険の対人保険がカバーしてくれる。遺児の高校・大学への進学費用に関しても、公益財団法人交通遺児育英会による奨学金(奨学金、入学準備金、家賃補助、英検討資格試験受験料補助、格安の学生寮等)が手厚く支援してくれる。加えて、自動車免許取得補助もある。
この交通遺児育英会は、(育英会の沿革によると)
「この交通遺児たちを経済的に助けて、精神的に励まそうと訴えた岡嶋信治氏の投書をきっかけとして、1967年(昭和42年)5月、勤労青年、学生、主婦などからなる「交通事故遺児を励ます会」が誕生した。(岡嶋氏は、1961年(昭和36年)、新潟県長岡市の酔っ払いひき逃げ事故で姉とその生後10か月の長男を失っている)」
そして、1968年(昭和43年)12月の衆議院交通安全対策特別委員会で、政府はすみやかに交通遺児の修学資金貸与などを行う財団法人の設立およびその法人の健全な事業活動を促進するため、必要な助成措置等について配慮すべき旨の決議がなされ、その後の閣議で、この政府の方針は了承された。」
翌「1969年(昭和44年)3月31日『財団法人 交通遺児育英会』」が設立され、官民が支援する体制が充実した。
これにより、国からは毎年2億2千万円の補助金、国内自動車メーカー等からは、毎年14億円を超える寄付金が集まるなど、安定的な資金による、安定した奨学金の支給・貸与が行われている。そのため、希望する交通遺児、887名に対し、5億3千5百万円が支給または貸与されている。
※詳細は下記の公開資料を参照ください。
https://www.kotsuiji.com/etc/pdf/r05_03_jigyouhoukoku.pdf
https://www.kotsuiji.com/etc/pdf/r06_04_taishakutaishou.pdf
https://www.kotsuiji.com/etc/pdf/r5_13_houshu.pdf
もう一つの「あしながおじさん」
あしなが育英会
「交通遺児育英会」の交通遺児支援から発展的にできたもう一つの育英会組織として、「あしなが育英会」がある。
同会のHP「あしなが運動の歴史」によると、・・・
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『被害者がつくり、「恩返し」の心が育てたあしなが運動
あしなが運動の原点は、2つの痛ましい交通事故でした。
1961(昭和36)年、新潟で岡嶋信治(本会名誉顧問)の姉と甥が酔っぱらい運転のトラックにひき殺され、初の殺人罪が適用された交通事故。
1963年には、玉井義臣(本会会長)の母が暴走車にはねられ、1か月あまり昏睡状態の末、亡くなりました。
岡嶋は1967年に「交通事故遺児を励ます会」を結成。まもなく玉井を相談役に迎えて本格的に遺児救済のあしなが運動が始まり、1969年には財団法人交通遺児育英会が発足しました。
「恩返し運動」の始まり。
街頭募金や継続的にご寄付をくださるあしながさんに支えられて進学できた交通遺児たちが、「恩返し運動」として1983年に災害遺児の奨学金制度をつくる運動を始め、1988年に災害遺児奨学金制度が開始。
さらに災害遺児が病気遺児の奨学金制度づくりを呼びかけ、1993年の病気遺児奨学金制度開始に合わせて、あしなが育英会が誕生しました。』
「あしなが育英会」は、
『病気や災害、自死(自殺)などで親を亡くした子どもたちや、障がいなどで親が働けない家庭の子どもたちを、 奨学金、教育支援、心のケアで支える民間非営利団体です。』とあります。
交通遺児支援の運動が、このように発展したものです。
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