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NHK朝ドラ「虎に翼」を見て、平等について考えてみた!


護士が熱く語る「虎に翼」と憲法14条 (msn.com)

 ドラマ「虎に翼」の主人公の佐田寅子は、太平洋戦争と戦後の混乱時期に、夫(配偶者)、両親、兄らを次々と亡くし、家族を支えなければならない立場になってしまいました。
 弁護士の仕事を探しますが、どこも戦後の混乱で、みんな生きることだけで精一杯。弁護士に依頼するような事例はあまりありません。
 弁護士への復職を諦めた寅子は、日本国憲法を新聞で目にします。第十四条には、
 「
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とあります。

 この憲法の条文により、女性でも裁判官への道が近々開かれると考えた寅子は、法務省の人事課で、自分を採用するよう直談判します。
 国内最初の司法試験合格者の女性であることは有名であるし、若手の裁判官や職員が出征や空襲等で亡くなったり、負傷し、専門知識をもった人材が不足していた戦後の混乱期にあって、寅子の要求はある時期を得た行動だったといえるでしょう。
 
 「昭和22年3月。新しい日本の憲法に希望を見出した寅子(伊藤沙莉)が向かったのは法曹会館。人事課にいたのは桂場(松山ケンイチ)だった。久藤(沢村一樹)の後押しによって司法省で働くことになった寅子は民法の改正案を読み、かつて共に法律を学んだ仲間たちを思い出す。」
                       NHK番組HPより

 戦前の大日本帝国憲法下では、不平等が当たり前でした。男女はもとより、華族制度という身分制度があり、華族から選出された貴族院が、国民から選挙で選ばれた衆議院よりも上位だとみなされていました。旧士族、町民、農民など出身や収入の過多にによる区別も正当とされていました。また、宗教や信条を理由とする治安警察の監視も行われていました。

 なぜ、不平等はダメなのでしょうか? 男女の違いによる平均的な能力差は実在します。教育や社会経験の違いによる能力差も当たり前に生じます。では、なぜそのような差別はダメなんでしょうか?
 生徒に聞かれたときには、いつも以下のように応えています。
 「君ね、逆の立場だったら、納得できる? 女だから、力も弱いし、子どもが生まれたら、一時的に働けなくなるかもしれない、、、。でも、それを理由に、自分の将来のチャンスが失われたら納得できるかな?女性に生まれたことは変えられない。努力しても女は女。その点を指摘されてもどうしようもないじゃないか?だから、差別はダメなんだよ。弱い立場の人たちが、絶対に納得できない。努力では絶対に改善できないという点で、人生を決められたくないだろう。お金がなければ、選択肢が少ないって納得できる?できないよね。自分がその立場になったら、絶対納得できないよね。だから、差別はダメなんだよ。」とね!
 「社会や経済の状況がどんなに変化しても、世の中がどのように変わろうとも、立場が入れ替わった時に自分が納得できないことは、他人に対し、強要はできないんだよ。」

 「実はこの状況手って、『推定無罪』の考え方と共通するヨーロッパ社会の基礎をなす、重要な概念なんだ。」「100%その人物が犯人で間違いないという証拠がない限り、推定無罪として扱うべきだという考え方と一緒だよ。おそらく100人の容疑者がいれば、99人は犯人だろう。でも、その中には、たまたま偶然に、犯罪現場に出くわした。たまたま被害者と以前トラブルがあっただけという人がいるかも知らない。しかも、悪いことに、自分を無実だと証明できるような証拠がない場合もあるだろう。では、100人中99人が犯人だから、1人間違えて有罪になったり、最悪な場合、死刑になっても仕方がないよね。」といえるだろうか?
 多くの日本人は、1%の無実の罪人を出しても、99人の犯人を野放しにすべきではない。別の被害者が増えてしまう。と考えるだろう。
 では、もし仮に、その一人が自分だとしたら、自分の大切な家族が無実の容疑者となってしまったら、「仕方がない」と諦められるだろうか?想像したら、絶対に納得できないよね。だから、推定無罪が大切なんだ。
 その前提を基に、ヨーロッパの人々は社会を作ってきたんだよ。いつでも、立場は入れ替わるかもしれないから、・・・・・。」

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