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ちょっと息子の話を。しおらしい嫁どこ行った。

娘は本当に生き生きと毎日学校へ通っております。この学校を選んで良かったと、何よりもきっと本人がそう思っていると思います。中学校時代、思うように出来なかった事もあったことでしょう。ていうか、そんな事ばかりだったでしょう。今や、朝は自分で全ての算段と支度をして、誰に何を言われなくとも時間通りに家を『いってきます!』と出発するのです。髪の毛だってきれいにひとつに結び上げ、前髪はコームとスプレーで二コラ直伝のスタイリングです。
すごい!!毎日感動をありがとう!よっリア充!もともと学校が好きな娘です。学校へ行くこと自体が日々回復を促しているのだと感じます。

娘が再び学校へ行き始め、我が家はどうなったかというと。きれいに入れ替わるかのように、次は息子が学校へ行けなくなりました。
小学校1年生の1年間を、がんばってがんばって行きましたが、とうとうエネルギーがつきてしまったようです。
次はこちら…。
人間を育てるって生半可ではありません。

子供が学校へ行くという事。

これは当たり前のことではないです。
娘が病気になって、もはや学校どころではなくなって、私は突き落とされたのです。そこでやっと気が付きました。娘のおかげで気が付いたのです。母、覚醒。やはり人間は元気です。まずは元気です。子供が元気でいてくれれば、それ以上に望むものなどないのだということ。極限まで追い込まれた時、心の底から思いましたし、願いました。
だから、息子が学校へ行かない今も、息子の元気を慮ることを最重要に考えることにしております。学校へ行かないという選択をすることに、以前の私だったらものすごく葛藤したかと思います。本人にも問いただしたり当たったりしていたかも知れません。少し冷静に、今のこの受難に立ち向かって行こうと思えているのは、きっと全部娘のおかげなのです。うまく言えませんが”予想外”に対して、少し耐性が付いている気がします。でも葛藤がないわけではありません。葛藤は日々しております。

不登校者数が軒並み増え続け、多様性を謳われる昨今。以前よりも不登校に関しての理解はすすんでいると思います。
でもまだまだ第一選択肢は学校へ行くこと。
私だってそうです。息子が不登校になっている今も、再登校を目指しているわけです。でもそれには順序やタイミングもあって、人それぞれでマニュアルがあるわけでもなくて、息子の様子を日々伺いながら、その時々で判断をしなくてはならないもので、親の思いを気取られないよう笑顔で蓋をして、平静を装って社会を生きているのです。
今日も『じゃあママは仕事へ行って来ます。留守番宜しくね。』と言って玄関を出ます。学校へ行かない小2の息子を一人残して、カギを掛けます。その心中がどんなものなのか、これは自分が不登校児の親にならねば分からなかったことです。

すると外には待ってましたと義母(隣の家に住んでいます。)がいました。真剣な顔をして近づいて来ます。
『○○はまだ学校へ行かないの?そろそろ行かせた方がいいんじゃないの?どうするつもりなの?このままじゃ家浦さん(仮名)みたいになるわよ!あんたたちの子供なんだから、私はどうこう言うつもりはないけれど…。』
どうですか。うちの義母。どうこう言うつもりはないと言いながら、言いたいことを言いに、朝の玄関先で待ち伏せしているのです。
義母にしてみれば、今孫がどのような状態にあるのか、分からないから聞きに来たというところだと思いますが、こちらの歩み寄る気持ちはすでに萎えています。
ちなみに家浦さん(仮名)というのは、我が家の裏のお宅で、引きこもり歴の長い息子さん(推定60歳)がいます。私はもちろんお会いしたことはありませんし、どんな経緯があってのことか存じ上げません。別にご近所に迷惑行為をしているとかも一切ありません。事情はみんなある、というのが私の座右の銘であり、もはや信念です。
義母は教育者でしたので、いろいろな生徒さん方とたくさん接してきたはずですが、時折恐ろしく不適切です。自分の血が入った孫の案件だから余計にそう思うのでしょうか。
義母はおそらく、私(親)が息子を学校へ行かせようと思えば行かせられると思っています。そして私(親)がその役目を放棄していると思っています。では”学校へ行きたくない”という息子の気持ちはどこにあるのでしょう。そして学校へ行っていない今のこの時だけを切り取って、将来を決めつけ勝手に悲観し、それを脅しの材料にしているわけです。どうするつもりかなんて、そんなことこちらだって毎日手探りでやっているのです。はっきり”いつまではこうで、ここからはこうして、ああなったらこうです。”なんて、休ませるなら先を見据えた予定表を見せてみろということでしょうか。作れないから大変なんですけど。まさか『行きたくないなら行かなくていいよ~』ってのほほんと受け入れていると思っているのでしょうか。こっちが何も悩んでいないとでも思っているのでしょうか。
何度も聞いたことがある義母の武勇伝のひとつに、当時(45年くらい前でしょう)学校へ行くことが出来なくなってしまった生徒さんがおり、毎朝その生徒さんのご自宅まで迎えに行き、生徒さんが出てくるまで玄関に居座っていたという話があります。その生徒さんはしぶしぶながらも学校へ通ったそうで、大人になってから『先生、あの時はありがとう!』と言ってくれたとのことでした。
まるで我がことのように受け止めて、尚且つ実行に移せるというのはなかなか出来ることではありません。熱意溢れる義母らしいエピソードです。しかしながら、もし今、息子の担任が同じことをしてきたら私はお帰りいただき学校に連絡することになります。
長年の物事の捉え方や考え方はなかなか変えることは出来ません。特に学校へ行くという行為は、もはや洗濯や入浴の部類に入っているのではないかと思うほどです。私だって似たようなものですが、でもそのようなことを言ってはいられないわけです。我が子のことにもなれば尚更です。『こういうものだから』と強要することも、あきらめることもしたくありません。ならば手を伸ばして、情報を探しに行き、日々自分をアップデートするしかないと思うのです。自分を変えるというよりは、新しくするためにです。

分かっています。息子を思って言って下さっていることも。義母が愛情深い人だということも。子育てにおいても本当にたくさん私達を助けてくれています。娘など義父母に育てられたといっても過言ではありません。私が風邪を引けばご飯を持って来て下さり、パパが機能しない時は代わりに叱咤して下さるのです。困った時にはいつも隣にいて下さる心強い存在です。
でもなぜか今は、私の心に義母の言葉は届かないし、響かないのです。

『何ですかそれは?私を脅してるんですか?家浦さん(仮名)みたいになっちゃうと大変~学校行かせなきゃ~ってなると思ってるんですか?じゃあお義母さんが学校連れてって下さい。連れていけますか?あのですね、不登校にも段階があるんです。今は違います。じゃあ行って来ます。』

ここへ嫁いで20年近くになります。
しおらしい嫁はもういなくなってしまいました。ごめんなさい。

きっちゃんと息子

【きっちゃん】
本来は学校の畑で育てるのですが、水やりに行けないので自宅のプランターで育てることにしたきゅうりです。

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