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はじめての教育センター。心理士さんは名探偵。

私は最近PCの無料ゲームにはまっていて、PCを起動させるとどうもゲームを始めてしまうのです。書きかけの記事が沢山あるのですが、ゲームにジャックされている気がします。他にもやるべきことは沢山あるのですが、ゲームにジャックされている気がします。息子も念願のスイッチを手に入れて晴れてマインクラフターになりました。『ありがたいありがたい』と言いながら石炭を採取しています。例えば、息子に対し『こら!ゲームいつまでやってるの!』なんてどの口が言うのかということになります。面白いよね。ゲームってさ。分かるよ。止まんないよね。もうさ、一緒にやろう?(やけくそ)
なので書きかけの記事を復活させ、夏ですが春の話をします。4月、教育センターを訪れました。私は初めて不登校にも回復段階があるのだということを知ったのです。毎度無知ですみません。とほほ( ;∀;)私が教えて頂いたのは、【不安定期】→【膠着期】→【回復期】→【活動期】となっているもので、本人の様子から現段階はどこなのかを見極め、こちらからの関わり方もそれに合わせていきます。その図を見ながら、今年の3・4月はまさに【不安定期】だったのだな…と納得し項垂れます。身体症状・攻撃性・気力低下・外出しない・学校の話題に激しい拒否感…なるほど、わかりみ。
その後、ネットを調べてみればその表現の仕方にも様々あることが分かりました。前兆を含めるものと含めていないものはありましたが、どれも急速に落ち込み不登校が始まり、落ち着き始めても注意が必要な時期を経て、少しずつ活動が増え回復してゆく、そんな経過を辿っていくようです。(長さやタイミングはそれぞれです。)
聞きながら何だか娘の疾患の回復経過とも似ているな、と思いました。娘が精神疾患になった時から今に至るまで死ぬほど眺めている経過の段階図があります。こちらは【前兆期】→【急性期】→【休息期】→【回復期】となっております。不登校の【不安定期】は、娘の疾患の【急性期】に当たりそうです。あの凄まじい時期を思い出すだけで、今だに身体に震えが走ります。人間の心の回復というのは一朝一夕にはいかないということです。時間薬と表現されることもあり、とにかくこういったものの上り曲線は緩やかなもので、もうあきらめてるくらいでいると、忘れた頃に突然思わぬ回復を見せてくれて、お母さん驚いちゃったみたいなことが待っててくれたりするわけです。(娘は何度も驚かせてくれています。)
これから息子の心も様々に移り変わっていくと思いますが、どうかもうあんなに辛そうな顔はしないで欲しいと願っていますし、そうならないように出来ることをしたいと思っています。

教育センターにおいては心理士さんと面談させて頂きました。産まれてから現在に至るまでの様子、こちらから見た性格、好きなもの嫌いなもの、保育園での様子、小学校での様子、登校渋りへの対応、抱えている困り事など一通りお話させて頂きました。心理士さんとお話していると、こちらが今まで漠然と抱いていた事柄を的確な言葉にして表現してくれます。それはストンとはまり、腑に落ち、『ああ、そうだったんだ!』『そういうことか!』となります。自分だけでは見い出せない角度からアドバイスを下さり、カウンセリングというものの力を感じます。時間を気にしなくて良いというのもいいです。どうも医療機関ですといつも時間が気になってしまって。ただでさえ込み合っているというのに、時間通りに診察が進むなんてこと稀ですし、そもそも患者(娘)を予約時間通りに連れて行くということや長い待ち時間を不穏にさせずにどう過ごすかということにこちらのエネルギーは吸い取られています。別物と思った方が良さそうです。
以前、学校の面談では、娘の事をうまく伝えられませんでした。あの場で詳細に娘の症状や言動を話すということは、いかにも娘が息子の不登校の要因のひとつであるかのように聞こえてしまうのではないかと思ったのです。娘には全く非のない話なわけです。あんな4対1の状態ではとても話す気にはなりませんでした。娘のことです、私は慎重になります。
今は心理士さんと1対1、親身に話を聞いて下さる心理士さんに私はとうとう娘の話をしました。娘が発病した時、息子は保育園年長でした。私は娘のケアしかもはや考えておらず、我が家はめちゃくちゃでした。あんなに仲の良かった優しかったねーねの様子が激変したのです。ねーねは泣き、叫び、暴言を吐き、暴力をふるうこともありました。その様子は理性を欠いており、鬼気迫る人間の形相や振る舞いや叫びというものは、立ち会う者にとってもそれはそれは苦しいものです。でもそれは症状です。病気のせいなのです。風邪を引けば咳やくしゃみが出るように、悪寒がしたり熱が出るように。私達は必死で病気を知ろうとし、知識や情報で身と心を守り、なんとか巻き込まれまいとふんばり、平静に見えるように取り繕っていただけです。
娘は私(ママ)を56さなければならないと、なかなか書きづらいような行動も起こしました。疲れ切って絶望していた私は、もうこのまま娘の思うまま56されてもいいのかも知れないとすら思いました。その方が楽かも知れないと。しかし息子は泣きながら『やめて!ねーねやめて!』と娘を止めようと必死につかみかかり、私を守ろうとしてくれました。どんなに怖かったことでしょう。辛かったことでしょう。それが息子の目に、心に、どんな風に映っていたのか。毎日がそんな衝撃的なシーンの連続であったことは事実なのです。

ねーねが大変で、パパもママも大変で、僕まで心配を掛けてはいけない。

これが息子の行きついた所だったのでは?心理士さんに言われて私は言葉を失いました。そしてこの春、娘は毎日学校へ通えるほどにまで回復したのです。はたから見ていても本当に目覚ましい回復です。ねーねが落ち着いてきた今、ようやく、ようやく、息子は自分の気持ちに正直になれたのです。『学校へは行きたくない。』と。(たぶんずっとずっと行きたくはなかったのでしょうが、)私達にこれ以上心配を掛けないよう、我慢していたのです。このタイミングで緊張の糸が切れ、限界がやって来たのでしょう。心理士さんの話は、まるで推理小説の終盤で探偵のなぞ解きを聞いているような感覚でした。『息子さんは今は休むべきです。そしてそれは、ご家族皆さんも同じです。』と。
息子の1年生の1年間を振り返ってみて、思い当たることがあります。息子が登校班の皆さんと一緒に、スムーズに学校へ行けるようになったのは12月でした。娘が入院し、家にいなかった時期です。息子にとって何某か安心があったのかも知れません。その時の私は喜びと安堵感ばかりで、娘との関連性にまで気が付きませんでした。心理士さんによると、兄弟姉妹間でお互いのコンディションが影響し合うということはやはりあることだそうです。バイオリズムの曲線がリンクすることもあるでしょうし、相反した曲線になることもあるでしょう。子供は親を本当に良く見ていると思います。息子が頑張っていたのは誰よりも知っている気でいましたが、私の気が付いていない部分がもっとあって、もっと頑張っていたことを知りました。
やがて背筋がスッと寒くなりました。息子の葛藤を理解もせず、学校へ行かせようとしていた自分の行動に今さら恐怖したのです。

心理士さんとお話して気づきを得ることは沢山ありましたが、でもそれは”おそらく”の話です。息子本人の口から出た言葉ではありません。大人の都合で勝手にうまく結論付けているだけかも知れません。私達が納得して安心したいだけなのかも知れません。だけど彼を知ろうとすることが、今の私に出来ること。彼自身も言葉にならない思いを、理解したいと思っていること。
息子は家が好きと言ってくれています。家では安心して過ごしてくれていることが分かります。外ではシャイボーイですが、家ではすごく愉快でお話上手な人なのです。存分に休んでからでいいと思います。何でもいいです。どこでもいいです。家以外でも息子が息子らしく過ごせる場所、息子の良さが発揮できる場所に、いつか出会えますように。

私だってやりたいよー
貸してくれよー

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