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ちょっと息子の話を。ジタバタとした先に。

娘は運動を続けております。すごいなー継続の人。毎日帰宅後は、階段の昇降運動と軽くストレッチ。4月からは縄跳びを追加しました。なりたい自分になるために努力する若者の姿、もうキラキラしちゃってお母さん眩しい。モデルさんへの憧れがあるので、スタイルを良くしたい、身長を伸ばしたい!と頑張っています。
『一番低い目標は、ママ!』だそうです。
……有難い話です。なんと光栄なことでしょう。しかしちょっと何と答えて良いか分かりませんでした。対応会話術で”相手の言葉をオウム返しする”というのがあります。咄嗟に『そっか!一番低い目標はママなんだ!』と言いましたが、合ってます?娘は疾患の影響なのか、空気を読んだり、相手を慮ったりとか、気の利いた一言とか、テンポの良い会話の応酬とかまだまだ苦手です。突っ込みとか、センスあるボケとかも出来ません。まだ回復の伸びしろがあるのです。

息子は言葉の端々にきらりと光るジョークのセンスを感じます。しかしながらジョークとは、心に余裕がないと言えないものです。3月になって、もう1年生も終わりかという頃。息子のエネルギーはみるみる減っていきました。もうジョークを言うどころではありませんでした。本来目に見えないパラメーターというものがハッキリと見えるようでした。しかし毎朝毎朝、学校へ行けるのか行けないのか、私は判断を迫られるのです。『もう休んでアマプラ見ようぜ!』と言えたらどんなにいいか。
『おはよう。』と『朝ご飯何食べたい?』以外は、もはや何も話しかけませんでした。息子も丸まって何も言いません。よしお兄さん(Eテレ)だけが何か言っています。時間になったら『じゃあママは車で待っているからね。』と、まだご飯も食べずパジャマのままの丸まった息子に言い残し、先に車に乗って待機します。もう母の呼吸すべての判断を本人に丸投げの型、です。(この頃はもう、歩いて行く&登校班で行くことはあきらめていました。)
15分ほど車内で待っていると、着替えてランドセルを背負った息子がガチャリと家から出てきました。重い足取りで、ゆっくりと車に乗り込んで、学校へ向かうのです。戦地に赴くかのような顔をしています。普段はちいかわみたいな息子が、朝は劇画です。
『じゃあ行こうか。』私も別に褒めません。出来るだけ普通に、でもにこやかに。心の中では感じています。おかしいことを。学校へ行くために(まだ行ってません。行く準備の段階です。)すでにこんなにもエネルギーを消費してしまっているのです。これでは何のために行くのやら。
この頃にはもう息子の特性らしきものに当たりをつけておりましたので、このような対応をしています。以前は私も色々世話焼きなことをしておりましたが、言えば言うほど頑なになるタイプのようなので、いろいろとカスタマイズしてきました。朝の息子の取り扱いは非常にデリケートな問題でした。

学校へ着いても、車からすんなり降りて行くかというと、行けるわけがないのです。少し前まではたまに車で送ればとても喜んで『いってきま~す!』と飛び出すように車から降りて行ったものです。今や息子は後部座席で亀のように身を縮め、車から外へ出ることを全身で拒否しています。登校時のラッシュはいくぶん落ち着いて来ても、まだ人がいる間は出られないと言います。私と息子はしばらく人がいなくなるのを車中で待ちます。外を見ていると、他の生徒さん達は迷うことなく次々と校舎の中へ入って行きます。朝の光を浴びながら、おしゃべりしたり、挨拶をしたり、にこにこと、学校に行くことに何の疑念もないように見えます。
どうしてこうなってしまったのか。
学校が楽しいに越したことはありません。さて楽しいと感じている子はこの中にどのくらいいるものでしょうか。そこまで楽しいわけではないけれど、それなりに過ごしているという子も多いかも知れません。心配や悩みもあるけど、頑張って来ている子もきっといるでしょう。その日のカリキュラムで楽しい日、楽しくない日がある子もいるかも知れません。皆さんそれぞれの思いを抱えて今日も登校してきているはずです。例え憂鬱な日であっても、自分で”学校へ行く”という選択をしているから、自分で歩いて校舎へ入って行くのです。息子は今それが出来なくなっているのです。心が学校へ行くことを選択していないので、当然身体も車から降りることを拒否しています。担任の先生の『慣れる日が来きますよ。』という言葉を信じ、1年間学校へ送り出して来ました。今は大変ですがとにかく連れてきて下さい、と。確かに学校へは(行けるなら)行った方が良いと思う。まだ1年生です。学ぶべきことは沢山あります。今あきらめてしまって本当に良いのか。今を乗り越えれば、『あの時は大変だったけどw』なんて笑って振り返れる日が本当に来るのか。しかし目の前の息子からは間違いなくSOSを感じます。
私は迷いに迷っていました。
学校へ行きたくないという心を持っているだけで、どうしてこんなにも不安で張りつめた毎日を送らねばならないのでしょうか。学校へ行くまでの朝の戦いの様を詳細に書いていたら何だか悲しくなってしまった上に誰が読むのかというほどの長さになってしまいました。すみませんが今日は割愛します。やがて心身に不調があらわれ、息子は限界でした。私も限界でした。もう私には息子を学校へ連れて行くことは出来ませんでした。あんなにニコニコとしていた我が家のちいかわから、笑顔が消えてしまいました。この胸の痛みと恐怖は娘が発病した頃と重なります。もうあんな思いをするのはたくさんです。

今不登校になっているからといって、学校で嬉しいことや楽しいことがなかったわけではないと思います。何日か風邪でお休みした日もありましたが、遅刻も早退もありませんでした。行事も全部出ましたし、授業参観では意見を言ったり発表したりする姿を見ることが出来ました。成績も問題なく、家では学校であったことやお友達のことなど聞かせてくれました。
私的にも、”困ったのは朝の登校渋りだけで、学校へ行ってしまえば大丈夫なんだな”と思っていたところがあります。でもたぶんそれは表面上のことで、息子の中では、いろいろなことが、ものが、思いが、この1年で降り積もっていったのだと思います。その上でのやはり行かないという判断です。尊重したいと思います。
1年前『学校行かない!』と息子が言った時、じゃあどうすれば良かったのか、正解は分かりません。いくつか選択肢はあったと思いますが、その中から私達は”母子登校でとにかく学校へ行く”という選択をしました。もしかしてこうしていたら…と考えてももう仕方がありません。私はジタバタとあがいてしまいました。あの手この手で何とか学校とつながっていようと。本人にとっては大変な1年間だったと思いますが、途中で息子か私かどちらかがあきらめてしまったら、得られなかったものがあります。
納得です。現状ではここまでだという納得です。この先、課題が息子にあるのか学校にあるのかそれは分かりませんが、何か別のアプローチをしなくてはならないこと。そこを整えるまで、息子を学校へ送り出すことは出来ないのだということが良く分かりました。
息子の学校へ行きたくないという気持ちを受け入れ、実現するまでに1年間かかったと言えます。それでもジタバタとあがき、納得したので、ひとまず私達は休息し、アマプラを見ることにしたのです。

動物と息子

学校で飼っています。
不登校中でもお世話当番には行く息子。

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