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ちょっと息子の話を。『ありがとう。』と伝えたくて。

息子の中で何が起こったのか。
そんなことはいいのです。頑張ったね、と、ただただ褒めました。撫で回しました。君はすごいと。立派だったと。少々ツンデレな彼は、嫌そうな顔をしていましたが気にしません。撫で回します。
人にはそれぞれのペースがあるのだということを、私は娘に教えてもらったばかりなのに。また同じところで迷っておったのでしょうか…。

息子の登校しぶりについては、担任の先生にも早々に相談させていただいておりました。保育園では話せなかった娘の事情も含めてです。打ち明けるときは緊張しましたが、先生はしっかり聞いて下さいました。
はじめ、息子と担任の先生と私で段階をレベル分けしました。
レベル1は、お母さんと二人で歩く
レベル2は、登校班のみなさんの後ろを、お母さんと二人で歩く
このようなかんじで。レベルは7まであります。始めて半年近くはずっとレベル1のままで、いっこうにレベルアップ音が聞こえなかったです。『レベル上がらんねー』と、たまに母はつつきます。すると『分かってる分かってる』と言い返して来ます。言い返す元気があります。三者会議はたまに開かれます。進捗を伝え、対策を話し合います。出来ることから、ひとつひとつ。登校班長の6年生のお兄さんが、歩みをゆっくりにしてくれたのもそのひとつでした。担任の先生の手厚いフォローは、本当に親子共々有り難かったのです。先生が事情を知っていてくれるというだけで、もう心強いのです。今も100%ではありません。たまには私と一緒に行くこともあります。でもそういう日があったっていいじゃないですか。いいじゃないですか。
そしてこれはあくまで息子の話です。ご事情もアプローチも様々な中で、こんな人もいるよ、という話でした。

娘が発病し、我が家は一変しました。
息子の心が不安で揺れ動いているのがひしひしと伝わってきましたが、娘のケアに必死で、私は彼に何も出来ませんでした。まだ6歳になったばかりの息子に、多大な心的負担をかけていたことでしょう。
娘は今まででは考えられない言動を繰り返しました。時には相手を傷つけるような言葉や行為もありました。これは症状であり、叱責することは何の解決にもならないことを私達は知識として知り、娘の苦しみを理解し、寄り添おうと努めました。
私達は(一応)大人なので、理由が分かれば一歩引いて見ることが出来ます。理不尽と思われるような事も、例え拳を握りしめるような葛藤があろうとも譲歩できます。もっと先の、娘の回復という絶対の目標がある限り。
でも、息子は?
『大きい声はうるさいからやめて!』と。
『ママをたたかないで!』と。
『ひどいこと言わないで!』と。
嫌なことを嫌だと、自分の気持ちを正直に言います。立派です。素晴らしいことです。彼は正しいはずです。でも私達は息子に言わなくてはなりません。6歳とはいえ説明をします。脳内物質がどうとかまでは言いませんが『ねーねはやりたくてやっているんじゃないよ!』『辛くて困っているんだから、そういう人がいたら、やさしくしよう!』
でもそれを言っている人がすでに半泣きで取り乱しています。すまぬ。
娘も息子もどちらも1ミリも非がないのです。知識は詰め込んだけれども、初めての実践は戸惑うことばかりでした。娘の症状に対応するだけではなく、そこから派生していく色々な問題の方が、ケースバイケースで、解答など載っていないのです。
『三人親子が良かった!』と、息子が泣きながら私に訴えて来たのを聞き、心臓をえぐられるような気持ちになりました。
保育園では、あきらかにお友達とのトラブルが増えました。行事も消極的になり、参加せずにお友達から離れ一人で泣いている姿を見て切なくなりました。小学校での登校しぶりも、その延長ではないのかと、心に負った何かが、じわじわと息子の心を巣食っているのではないのかと。何かもう膝から崩れ落ちる感覚みたいなものがあったのです。
担任の先生がおっしゃいました。
『朝のひとときだけが、お母さんを独り占めできると感じてるんじゃないですか?』
そうなのかなぁ。
息子は寂しさを感じているのかなぁ。

ご迷惑だったと思いますが、あっちこっちに気持ちを話し、不安を聞いてもらい、だんだんと冷静になれました。人に話すと、自分を客観的にみれるようになります。困った時に相談するって、今さらですが大切なことだと思いました。
スクールカウンセラーの先生とも、お話させていただきました。娘の精神科の心理担当の方とも、お話させていただきました。ここまでいくと『私、また同じ話してる…』という、なんか恥ずかしいような気持ちになってきました。それだけ心が整理されて来たということなのでしょう。
思えば娘が発病したとき、私は逆に閉鎖的になってしまいました。もう友達にも、身内や親戚にも、連絡を取れず、いや取る気になれず、このまま私と娘のことは忘れ去ってもらいたいと思いました。プチ鎖国です。何も出来なくなってしまった娘をかかえて、どう生きたらいいのか。
(あえてこう書きましたが、ここでいう”何も出来なくなった”とは回復する前の時期のことを指しています。)
本人の希死念慮もかなりありましたが、弱った心へそれが伝染しそうになります。しかしそこは息子のおかげで、踏ん張れたと思っています。私にはまだやることがあるだろう!と。新刊をまだ読んでいないだろう!と。実写映画になるらしいぞ!と。
やがてプチ鎖国も終息を迎えましたが、リバウンドがおこり、鎖国中に話せなかったことを、話したくてしょうがなくなりました。もうLINEでは打ち切れないので、ブログにしました。相談を飛び越えて公開し始めました。火加減を知らない人です。

私は臆病ですので、いろいろ先のことも考えてしまいます。将来的な娘のケアについても、願望や不安があります。
『絶対に息子に負担をかけたくない!』
『法的に義務を負わせない方法はないか!』
以前はこのようなことを思っていました。頭がカチカチです。しかしながらそう思ってしまうほど、きれいごとでは済まされない、病の壮絶さというものがあることも事実です。
今はだいぶクールダウンしていますが、(慣れたのかなぁ)親としては『仲良くしてくれたらいいなぁ。』とは思っています。適切な距離感は、本人たちにしか分からないので、『姉とは関わりたくない。』と思うのかも知れないし、『元気かなぁ。連絡してみようかな。』くらいには思うのかも知れないし。でも『弟まじ何やってんの!』とか言われる側かも知れません。そして年をとった私達を押し付けあって下さればいいのではないでしょうか。
きょうだいの数だけ、その形があります。いろいろなプロセスを経て、その形になります。娘と息子、まだプロセスの途中です。先の事は分かりません。分からないのに、決めつけて悲観的になるのはナンセンスかも知れません。理想ですが。

息子が自分で歩いて学校へ行けた時、担任の先生がおしゃって下さいました。『お母さんの根気強い送り出しのおかげですよ。』と。
息子と一緒に登校することは、自分ではもう日常になりつつあったので、後半はあんまり意識しなくなっていました。雪が降ったら歩いて行こうと思っていました。車送迎も有だなと。むしろそれを理由に新しいアウターを買ってやるぜと思っていました。
もしも本当に、私が毎日一緒に歩いていたことが、息子の心に寄り添うということになったのならば、それは、泣いてばかりいた私を励まし背中を押してくれた方々がいたからです。息子を支えてもらったと同じことです。人は助け合って生きています。鎖国したまま生きていくことは出来ないのです。
事情だらけの毎日を、色々な人達との関わりの中で、助け助けられ、なんとか生きておるのだと、この度は、それをとても感じたのです。
皆様いつもありがとうございます。
感謝を伝えるのに三週もかかってしまいました(笑)

突如としてはじまるコラボダンス

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