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娘ちゃんと母のスマホあれこれ。だって笑顔はプライスレス。

娘がスマホを持ったのは発症してからです。中学2年生の秋、急性期をなんとか脱し、私も職場へ復帰しようかという時です。当時は昼まで目覚めない生活でしたので、起きたらLINEで教えてね~という家庭内連絡ツールとして。同級生とつながってしまうとスマホトラブルの不安があったので、スマホを持つにあたり、いくつかお約束を設けました。”まずは家族間のやり取りからスタートしましょう”というような。(お約束の内容はドクターにもアドバイスをしてもらいました。)スマホは大変便利ですが、まだほどほどにしておいて欲しいというのが親心でした。

しかし、高校生になるともう周囲のスマホ所有率もぐ~んと上がります。行動範囲も広くなり、必要な情報を共有することも有るので、春休みからスマホを再開しました。というのは、一時スマホをお休みしていたのです。芋づる式に現れてくる情報に翻弄され、見たくもない怖めの動画や写真を見てしまい(見ろと命令されて)、不安と恐怖で取り乱したことがありました。不安は幻聴に現れ、調子を乱します。人間て怖いもの見たさみたいなものがあると思うのですが、それがやめられないかっぱえびせん状態で、娘も懲りたようで1年間くらいはスマホに触らない生活でした。
だいぶ落ち着いた今になってもやっぱり心配はあるので、必要最小限の利用にしておこうねと酸っぱく言っております。保護者権限でアプリの制限もしていますが、娘は制限の隙間をかいくぐって、情報を得ようとします。人の探求心は止められないものです。けっこうなことです。しかし私は、いつの日かこのブログにたどり着くんじゃないかと…得体の知れない足音を感じ、想像しては背筋を冷たくしているのです。私がこのブログを中学生編で止めようと思っていたのはそれが理由です。親が自分の行動や症状を公開しており、あまつさえキャラクター化しているだなんて、知らない方が良いことも世の中にはありますので、どうか読んでいる身内の方には内密にお願い申し上げます(土下座)。高校生編に突入しておきながら、どの口が言うのやら。

今までLINEの相手は家族や親戚しかおりませんでしたが、高校生になり、いざお友達とやり取りするとなったら…
『早く返信しないと!』
『なんて書いたらいいの!』
『既読スルーなんて感じ悪いよね!』
みたいなところで悩むんじゃないかと思ったのです。なぜならけっこう私がそういう人だからです。例えば簡易的に作った学校行事のグループとか、町内子供会のグループとか、主に本来親しくはなかったけれど子供の属する学校や町内という逃れられない柵にたまたま同時代に居合わせた人々がやむを得ず便宜上作るグループでの話なんですけど、私は返信に非常に心を擦り減らしてしまうタイプなのです。(1対1や、気心の知れたお相手なら一切そういうことはないから不思議です。)ポンポンと発言出来る人は本当にすごいなと思います。一方私は…なんだか分かりませんが、送信ボタンが押せません。話の流れを切っていないか、全員に対して失礼がないか、を何度も何度も確認します。分かってるんですよ自分でも、誰も私などの一発言をどうこう思わないことも。気もそぞろで野菜なんか切っていると指を切ります。『そんなに悩まなくていいでしょ~早く押せばww』とあきれた自分が突っ込んできます。旧Xもやっておりましたが、めまぐるしいスピード感についていけず、毎回毎回つぶやきに悩んでいました。好きな時に楽しくアウトプット出来るものだと思って始めたのに、こんなに辛いものだとは。いつもいつも締め切りに追われている感覚でした。結果心が疲れてしまって、つぶやけなくなってしまって、やめてしまいました。こんな風に感じる人もいるんだなぁ程度に読み流して下さい。SNSにもそれぞれ性質があって、私にはブログの方が合っているようです。
娘は、寝る前に何度も何度も明日の準備を確認しにリビングへ降りてきます。学校へ行く前にも何度も何度もリュックの中身を確認します。『そんなに確認しなくてもいいんじゃない?大丈夫じゃない?』ついつい言いたくなりますが、大丈夫だったらやっていません。娘は何度も何度も学校の準備を確認しますが、私は何度も何度も送信内容を確認します。娘も私も同じだと思うのです。さっさと見切りをつけて、別の事に取り掛かった方が有意義なのは分かっています。それでも確認してしまう、その行為に囚われてしまう。人から見れば無駄だと思えるようなことも、その人にとっては不安を取り除くために必要な行為であり時間なのです。
話がすり替わってますが、お友達との実戦LINEが始まろうとしている中、母がまた勝手に一人でそわそわしていたということです。

ある時、娘はお友達からLINEをもらいました。
『この問題分からないから教えて~』といったようなかんじで、数学の問題の画像と共に。娘はなんとか相手に分かりやすいようにと、解説付きで返信を送りました。お友達からは『ありがとう~よく分かった!』と感謝のLINEが来たと思ったら『次はこの問題なんだけど教えて~』と、なんと2問目が送られてきたのです。娘と私は顔を見合わせました。
大変だけどもう一問だけお付き合いするしかないな、と私は思いました。私はお断りがヘタなタイプの人間なのです。例え他にやるべきことがあったとしても、人にそう言われたら自分の事は後回しにしてしまいます。時にその判断は自分をとても苦しめます。
『もう一問だってさ。』私は当然やることになるだろうと思っていました。
ところが娘は、『私やらないよ。私そういうの受け付けないから。自分の時間取られちゃうし。他にやりたいことあるから。』毅然と言い放っていました。驚きました。いや、かっこいいな。
私が苦手としていること。人にNOと言う事。出来るんだ。私の娘は。
娘は一人の人間として、自分の意志と考え方をきちんともっているのです。自分の娘だとしても、自分と同じではないということにハッとする瞬間があります。それは、嬉しくて誇らしい瞬間です。
娘が小さい頃、私はいろいろ口を出して来たと思います。本人の為にと思って、良かれと思って。先回りをして、娘が失敗をしないように。『あれはやったの?』『これはどうなった?』『先にこっちをやったら?』『これはこうしたら?』典型的な口うるさい親。穴があったら入りたい。
ところが娘が病気になり、人の心理を考えるきっかけをもらいました。人の心理というと大げさですが、ようは娘の心なわけです。その時は接し方というものを必死で学びましたが、それはなにも疾患がある人に対してだけやるものではなく、万人に共通するものなのだと今は理解しています。私にとっては子育ての見直し、自分の見直しでありました。娘が病気になるという出来事がなければ、私は自己満足な子育てを続けていたと思います。口を出さない、先回りをしない、ひたすらに待つ。娘が失敗することを、私が怖がらない。100回口で言われるよりも、1回の失敗を経験した方が何倍も本人の力になるということ。理屈では分かっていても、実行することはとても忍耐のいることだと思います。しかしながら、忍耐や工夫は0円ですが、娘の笑顔はプライスレスなのです。
今でこそ本人が何か言ってくるまで本当に何もしなくなりました。失敗や困りごとを乗り越える度に(乗り越えるときは悶絶してますが)、娘はたくましく、生き生きとしていくからです。自信がつくということなのでしょうか。

スマホには日常の楽しいやり取りばかりでなく、不調や異変も伝えてくれると期待しているのです。いつもと様子が違う?何かおかしいことを言っている?というような。いつまでも私が傍にいるわけにはいきませんので、離れていても何かしらツールがあるというのは安心材料のひとつです。
しかし相手が事情を知らない方だった場合はトラブルになってしまう可能性もあるとは思います。まだ起こってもいないことを心配するのは私の悪い癖ですが、もしも疾患の影響で娘が相手に失礼と取られる対応をしてしまったり、誤解をされてしまったりすることがあったとしても、娘自身が失敗や後悔から学び、次の一手を考えるべきなのです。私ではなく。
でも困った時は相談です。母は寝てるときと萌え活の時以外は相談を受け付けておりますので、高校生になってもぜひご利用下さいませ、そこの娘さん。

入学記念特別付録☆娘ちゃんメモ
使っても使わなくてもせせら笑っても自由です。
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