勉強の哲学(千葉雅也著)を実践する

前回『勉強の哲学』を扱いました。
前回後半に出てきた、自分自身を規定する環境のコードに対して、アイロニーとユーモアを用いてみたいと思います。
その前に、前回のまとめを行います。

勉強とは何か?それは自由になるための手段である、といいます。
ではここでいう自由とは何か。
我々は様々な環境のコード(if-thenプログラム)によって制約を受けているのでした(我々は他者によって構築された存在である)。寧ろその制約がないと、行動できません。よって、ここでいう自由とは、ある支配的な環境のコードから別の環境のコードに移り変わること(そのことによって別様の選択の可能性が開かれること)に過ぎません。
別の環境のコードに移るにはどうすれば良いか。
今いる環境のコードは主に言語によってインストールされました。親や教師から言われたことや、道路交通法や民法などによって無意識に行動が制限されています(言語束縛を受けている)。
なので言語について考える必要が出てきます。
我々の使う言語も、①他者によって構築されているが、それは完全にそうではなく、②言語独自の空間に揺らいでいる(ここは理解が難しいかもしれません。前回の状況意味論あたりを参照してください)。
その言語空間(言語の他者性)がせせり出るのが、勉強によって別の環境のコードへ移り変わろうとするとき(=より自由になろうとするとき)です。そのときに、言語を玩具的に使用します(環境のコードに規定されていないので違和感はあるが、とりあえず言えることは言える状態)。
よって玩具的な言語使用を積極的に使おうとする勉強の方法論が出てきます。
具体的には、環境のコードに対してアイロニーとユーモアをかけると言うことです。
アイロニーによって環境のコードを批判的に見る。ユーモアによってコード自体を変換する。それらを玩具的にやってみる(自分の経験に裏打ちされた言語ではなく、言語それ自体をとりあえず操作するだけしてみる)。

では、実際にやってみます。
Ⅰ.
まず、自分自身を規定する環境のコードを書きます(独語的に喋っていきますが、読み飛ばして下さって構いません)。

自分自身を規定する環境のコードといったって、特に今の現状に大きな不満はない。大きく稼いでいるわけではないが、経済的にも生きていける状況ではある。特にテレビを見るわけでもないので、消費を煽られることもなければ、下らないコンテンツで無為に時間を消費するわけでもない。たくさん稼いでいるわけではないからこそ、積極的に自炊する動機があり(外食だと費用がかかるので)、寧ろ健康的なくらいだ。仕事も尊敬する上司に恵まれ、期待していただいている環境にある。恩返ししたいという思いで、それが仕事に対する意欲としてフィードバックしている。仕事だけではなく、本を読むこと趣味としているので、客観的に見て、自分は文化的な生活をしていると言える。こうして見てみると、端的に言って幸せとも言えるし、自分の人生に納得している。そしてすごく運がいい。最近自分がこれまで如何に人に助けられてきたか、守られてきたかにふと気づき、あまりにビックリして、中々寝付けなかったことがある。
ただ前回、自分の享楽的なこだわりをキーワード化すると土着性=直接性=本質性であった。自分は例えば仕事だと、製造現場に従事する人こそ尊敬するというか、優位に思う。有形無形に限らず、建築作業員や職人、農家、プログラマーとか。現在の内勤の仕事に後ろめたさがあるかもしれない。というのも、一般的に言って現場業務は身体的に負担があり、金銭的にそれに見合う対価が支払われているとは感じられないから。
私は前職、前々職が現場業務だった(製造業ではないが)。毎日体がヘトヘトになって帰ってきた。夜勤が終わって、寄り道せずに家路につき、5時間後の夕方にまた出勤という仕事。13時間休みなく動き続けた挙げ句、意識が飛んだまま運転して事故を起こし、社用車を一つ中破させたこともあった。また日勤でも一日正味7時間程外を歩き続け、15分停滞すると本社にカウントされるよう監視されている状況で営業をしたこともあった。勤務の終わりには肩と脚が張って、100m歩くのも一苦労と言った具合である。こんな状態では何か思索にふけったり、本読んだりはできない。
そこから解放されて、それなりに充実した生活を送っているが、今前職、前々職の現場業務に従事している人に対して後ろめたさがある。これは上から目線なのだろうか。勿論、現場業務が虐げられているとか、不幸な職場であるとか思わない。職業に貴賎はないし、誇りを持って従事する人もいる。
ただ、農業が顕著だが、皆やりたがらない。絶対に社会に必要だ。日本の食糧自給率は低く、それは安全保障に関わるためコオロギ食より、食糧自給率を上げるべきだろう。でもやりたがらないのは、楽して生きたいからではないか。私もそうである。エアコンの効いたオフィスで働きたいし、瀟洒なビルが建ち並ぶ街を闊歩して出勤したいと思う。
“自分だけが”、“社会性の欠如”というのがキーワードである。
上述の状況を変えたいと思うなら何かしらの社会的活動をするべきだろう。でも正直言って面倒くさい。例えば、隔週で集まって、最近のニュースのトピックを一つ取り上げて、そのことに対して議論するといったサークルを立ち上げようかなとも一時期思ったが、いかんせん面倒くさい。自分に直接利害が関係ないことにコミットする方がマイノリティなのではないか。意識高い系とか揶揄されるのも癪だし。
一方、宮台真司や苫米地英人といった私淑する先生方は社会参画せよと謳うし、彼ら自身が実践している。彼らの呼びかけ(calling)に対して応える(responseする)必要があるのではないか。でもある種の内発的な動機がそこに含まれるべきだ。内発的な動機、それは目的が手段に内包されていて、結果的に“自分が何かをしつつ、同時に他者によって動かされている”という中動態的な構えである。
先進各国の経済発展は、成長に伴う負の側面を途上国に押しつけてきた(負の外部性)。途上国が発展すると今度は国内にそれを押しつけて格差が生まれる。
一旦ここでストップして、まとめると
・社会性の欠如した個人が生まれるのはなぜか
・(上記に関連して)個人が社会参画するとはどういう意味で、どのようにしてなされるか
Ⅱ.
ここにアイロニーとユーモアをかけていきます。
社会性の欠如した個人が生まれる背景は、過剰流動性社会にある。あらゆる共同体が空洞化して、個人が連帯できず個人化する。
その過剰流動性社会は近代化の大きな流れの中にある。故に、昔ながらの共同体の復活は期待できない。
近代化とはウェーバーいわく合理化であり、合理化とはあらゆる処理が手続き主義的になる。それはマニュアルによって誰がやっても(入力しても)同じ結果(出力)になるので、人々はそこでは入替え可能な存在として扱われる。つまり人々がシステムを使うのではなく、システムが人々を使う(人々はシステムの一部である)ことを意識させる。
個人の社会参画は広義では政治活動といえる。
アリストテレスは政治に対するコミットメントがすなわち市民の善を育むとしている。つまり社会情勢についてインプットだけではなく、議論が大事だとしている。
そして人々がそのような行為をするとき、内発的な動機であり、初期ギリシャ哲学における感染的模倣(ミメーシス)を契機とする。
Ⅲ.
ではキーワード出しを行います。
①近代化-過剰流動性社会-個人化-利己
②公共哲学-公共性-政治-利他
③動機-内発性-中動態

後半になるにつれて粗くなっていきましたが、とりあえずこのような実践を(決断せずに)仮固定的に絶えず行うことを本著では述べています。
①に関しては、ウェーバーの近代化論についての本をあたってみたいと思います。
②に関しては公共哲学あたりが関わってくるでしょうか?あとは発達心理学とか・・。
③は現時点で最も関心が高く、國分功一郎先生の著作をあたってみたいと思います。最近『目的への抵抗』という新書が発売されました。購入したので、読んでみたいと思います。他にも『中動態の世界』『暇と退屈の倫理学』は一度読んだのですが、まだ自分の中に落とし込めていないので再読しようと思います。
その前に『疾風怒濤 精神分析入門』という精神分析がなぜか気になっていて、今読んでいるのですが、もしかしたらその本について書くかもしれません。一回目読んだときは、あまりピンと来なかったのですが、なんだか気になるんですよね。

とまあ、色々書いてきましたが、勉強する方向性が明確になることと、勉強がそこに向かって動機づけられるのはまた違うのかな、と思うのが正直な感想です。その方向性付けにしたって、文章化してみると何か違うかな、限定されてしまうなと感じます。寧ろ宮台先生の言う感染的動機が重要だと感じます。“スゴイ人”がいて、その人に近づきたくて思わず真似てしまう。その行為は理解を得たいから(学問的動機)でもなく、いい成績をとりたい=出世したいから(金銭的動機)でもなく誰かに勝ちたいから(競争的動機)でもない。ただただ、“スゴイ人”になりたくて頭の中をその人にどっぷり浸かり、箸の上げ下げまで真似てしまう、真似ようとしつつ真似させられている、目的があって手段があるのではなくその過程自体が目的化されている、それが結果的に知識を血肉化するのだと。私も経験的にそう思います。能動=意識的と受動=無意識的がまたがった行為なのかなと。あと、~を読むぞと文章化してしまうと、それを読むことが既に目的化してしまっているので、動機付けの力が弱くなってしまうのかなと、そんなことも今書いていて、思いました(面倒くさいですね)。

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