![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/99900108/rectangle_large_type_2_844e625ccb76214c3669c67be38a6ff1.png?width=800)
規格外はつらいよ
「ここには僕のサイズは売っていない」
ABCマートの前を通りかかったとき、夫がこぼした。
夫は足のサイズが大きく、29センチある。
そのため、普段はネットで靴を買っている。
技術職である夫は会社から靴を支給されるのだが、やはりサイズがないらしく、特注しているらしい。
それは学生の頃からで、高校生のときも学校指定のサンダルを特注していたそうだ。
「いつも余分にお金がかかって困るんだ」
と苦笑する。
一方、私は小柄なせいで少々困っていることがある。
それは「フリーサイズ」だ。
フリーサイズは、私にとってはまったくフリーではない。
どちらかと言えば、「お前はお呼びでない」とはじかれてしまう恐ろしいものである。
以前、通販でフリーサイズの服を買ってしまったときのこと。
「少し大きいかもな」と多少は覚悟していたが、いざ着用してみると、想像よりもぶかぶかで「こりゃだめだ」と後悔した。
以後、フリーサイズは買わなくなった。
ライブグッズとして販売されるTシャツやパーカーは、サイズが一つしかないことがしばしばある。
これも悩みの種だ。
レディースのフリーサイズでもダメなのに、ユニセックスでフリーサイズなんて、どうしたって大きいに決まっている。
しかし、どうしても欲しいTシャツがあって、つい買ってしまった。
案の定、私には大きすぎた。半袖のはずなのに、七分袖くらいになる。
もちろん丈も長いので、まるでチュニック、いや、下手すると、ちょっとしたワンピースだ。
ビッグシルエットと言えなくもないが、私は別にビッグシルエットを求めていたわけではない。
自分にフィットするものが欲しかったのである。
生産の都合上難しいのかもしれないが、もっとサイズ展開してほしいところだ。
夫も私も標準とされる規格から外れるため、不便を感じることがままある。自分に合うものを見つけるのに一苦労するし、場合によってはお金がかかる。
一見すると損をしがちに見えるが、実はメリットもある。
一つ目は自分の特徴を説明しやすい点。
二つ目は他人から覚えてもらいやすい点だ。
例えば、前述のように「小柄」と書けば、読んだ人に私の体格をなんとなくイメージしてもらえる。また、実際に会う人からも「小柄な人」と認識されるので印象に残りやすいようだ。
もちろん、体の特徴で認識されることに忌避感を覚える人もいるだろう。
他人の外見について言及することは慎むべきだし、揶揄するようなことなどはもってのほかだ。
だが、自分の外見と自分のイメージを切り離すことはできない。
人からどう思われるかは知ったこっちゃないが、規格外だと印象に残りやすいのは事実である。
反対に、標準的すぎて、特徴がないと悩む人もいるかもしれない。
「自分は規格外なんだな」と突きつけられることは確かに苦しい。
なんでこんなことで苦労しなくちゃいけないんだと、理不尽に感じることもある。
そもそも「規格」とは何だろう。
モノではないのだから、規格なんてないはず。
標準体型というのはあるだろうが、そこから外れることは殊更おかしいことではない。いろんな人がいて当たり前なのだから。むしろ、みんな同じサイズならそれはそれで怖い。
要は、「規格外」であることを、コンプレックスに感じずにすむ世の中になればいいのではないか。
不便に感じることが解消されればベストだが、すぐにそれは無理でも、せめて引け目を感じずにすめばいくらかましだ。
特定の体型を貶すことも、賞賛することももうやめよう。
おそらく、自分の体型に100パーセント満足している人なんてほぼいない。みんなから羨ましがられるようなスタイルの持ち主であっても、本人は気に入っていないかもしれない。誰しも何かしら悩みはある。
それでも、自分の体を少しでも肯定的に捉えられれば、だいぶ生きやすくなると思うのだ。
理想とする体型も、自分が心地いいと感じる体型も人それぞれだ。
絶対的な正解はない。
また、体型は自在にコントロールできるものではない。
変化もしていく。ままならなくて当然だ。
自分と体を切り離せない以上、「自分の体、悪くないかも」と思えれば、十分幸せな気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?