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規格外はつらいよ

「ここには僕のサイズは売っていない」

ABCマートの前を通りかかったとき、夫がこぼした。

夫は足のサイズが大きく、29センチある。

そのため、普段はネットで靴を買っている。
技術職である夫は会社から靴を支給されるのだが、やはりサイズがないらしく、特注しているらしい。
それは学生の頃からで、高校生のときも学校指定のサンダルを特注していたそうだ。

「いつも余分にお金がかかって困るんだ」
と苦笑する。


一方、私は小柄なせいで少々困っていることがある。

それは「フリーサイズ」だ。

フリーサイズは、私にとってはまったくフリーではない。
どちらかと言えば、「お前はお呼びでない」とはじかれてしまう恐ろしいものである。

以前、通販でフリーサイズの服を買ってしまったときのこと。
「少し大きいかもな」と多少は覚悟していたが、いざ着用してみると、想像よりもぶかぶかで「こりゃだめだ」と後悔した。
以後、フリーサイズは買わなくなった。


ライブグッズとして販売されるTシャツやパーカーは、サイズが一つしかないことがしばしばある。
これも悩みの種だ。

レディースのフリーサイズでもダメなのに、ユニセックスでフリーサイズなんて、どうしたって大きいに決まっている。

しかし、どうしても欲しいTシャツがあって、つい買ってしまった。

案の定、私には大きすぎた。半袖のはずなのに、七分袖くらいになる。
もちろん丈も長いので、まるでチュニック、いや、下手すると、ちょっとしたワンピースだ。
ビッグシルエットと言えなくもないが、私は別にビッグシルエットを求めていたわけではない。
自分にフィットするものが欲しかったのである。
生産の都合上難しいのかもしれないが、もっとサイズ展開してほしいところだ。

夫も私も標準とされる規格から外れるため、不便を感じることがままある。自分に合うものを見つけるのに一苦労するし、場合によってはお金がかかる。

一見すると損をしがちに見えるが、実はメリットもある。
一つ目は自分の特徴を説明しやすい点。
二つ目は他人から覚えてもらいやすい点だ。

例えば、前述のように「小柄」と書けば、読んだ人に私の体格をなんとなくイメージしてもらえる。また、実際に会う人からも「小柄な人」と認識されるので印象に残りやすいようだ。

もちろん、体の特徴で認識されることに忌避感を覚える人もいるだろう。
他人の外見について言及することは慎むべきだし、揶揄するようなことなどはもってのほかだ。

だが、自分の外見と自分のイメージを切り離すことはできない。

人からどう思われるかは知ったこっちゃないが、規格外だと印象に残りやすいのは事実である。
反対に、標準的すぎて、特徴がないと悩む人もいるかもしれない。

「自分は規格外なんだな」と突きつけられることは確かに苦しい。
なんでこんなことで苦労しなくちゃいけないんだと、理不尽に感じることもある。

そもそも「規格」とは何だろう。
モノではないのだから、規格なんてないはず。

標準体型というのはあるだろうが、そこから外れることは殊更おかしいことではない。いろんな人がいて当たり前なのだから。むしろ、みんな同じサイズならそれはそれで怖い。


要は、「規格外」であることを、コンプレックスに感じずにすむ世の中になればいいのではないか。
不便に感じることが解消されればベストだが、すぐにそれは無理でも、せめて引け目を感じずにすめばいくらかましだ。

特定の体型を貶すことも、賞賛することももうやめよう。

おそらく、自分の体型に100パーセント満足している人なんてほぼいない。みんなから羨ましがられるようなスタイルの持ち主であっても、本人は気に入っていないかもしれない。誰しも何かしら悩みはある。

それでも、自分の体を少しでも肯定的に捉えられれば、だいぶ生きやすくなると思うのだ。

理想とする体型も、自分が心地いいと感じる体型も人それぞれだ。
絶対的な正解はない。

また、体型は自在にコントロールできるものではない。
変化もしていく。ままならなくて当然だ。

自分と体を切り離せない以上、「自分の体、悪くないかも」と思えれば、十分幸せな気がする。

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