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なぜ特別支援教育は進化しないのか?①

今日、NHKのハートネットTVで「DARC」を取り上げていた。その存在は知っていたが、理念や活動内容はわかっていなかった。

今日の放送を見て、その在り方が学校教育にもあれば特別支援教育は進化していくだろうと思うあたたかな視点を感じた。

DARCのような視点に立てば、だれもが安心して豊かに学校生活を送れる場を創れるだろうと思う。

残念ながら、現在の学校教育では、とりこぼされていく人をゼロにはできない。


なぜか?

その1
DARCは失敗体験を積んだ人たちの集まり。

学校は成功体験を積んだ人たちの集まり。

失敗体験を積んだ人たちは
相手の弱さを受け入れられる。
相手の苦しみを想像できる。

成功体験を積んだ人たちは
相手の弱さ理解することができない。
相手の苦しみを想像できない。

そこに大きな違いがあるのだなと思った。

その2
DARCは専門家の集まり

学校はオールラウンドプレーヤーの集まり

DARCは薬物依存に特化している
(もしくは他の依存症でもミーティングなら参加できるのかな?)

学校はいろいろなことに対応している
生徒指導
成績
進路
家庭の問題

結果
特別支援教育はあとまわしになってしまっていると感じる。

その3
DARCはできなくてもいい場所
学校はできることを目指す場所

DARCでは
できないと正直に言える
できない自分を肯定して他の人に言える

学校では
できないと正直に言えない
できない自分を肯定できない
人には言えない

ありのままの自分を受け入れてくれる場所と
集合意識に自分を合わせなくてはいけない場所

そこから生まれる空気は明らかに異なるだろう
居心地のよい空気と
少数派には居心地の悪い空気


学校がDARCのような視点に立つことは難しいのかもしれない
そこにはさまざまな課題がある

しかし、DARCのような視点に立って特別な支援が必要な児童のための支援体制を組み立てられたら特別支援教育は格段に進化していくだろう

否定も肯定もしない

ただ受け止める場所

互いに支え合う

そこから始まる特別支援教育

その先には
学校全体があたたかい空気に包まれる世界が訪れるだろう

もちろん”教育”も必要だが
支援の根本にあって欲しいのは、まずその人を受け入れことのできるあたたかさだと思う





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