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終わらない家事を軽くする、ちょっとづつの極意

ワタシは持久力がない、というのはわりと前からわかっていた。
わかっていたけれどそれにうまく対処できず、主婦初心者だったころはイライラしたり、爆発したりしていた。

なにが大変かって
流しに山盛りになった洗いもの
コンロにはギトギトのフライパン。その横には肉を切ったであろうまな板と包丁、とびちった調味料と野菜くず。

ああこれをキレイにするのに、どのくらいかかるんだろう?

またはかごに山盛りの洗濯もの
ひとつひとつしわをのばしてたたみ、各タンスへ分配する

考えただけで気が遠くなる

または裏庭の雑草
見て見ぬふりをしているうちに、気づけば地面を埋めつくし
もはやジャングルのよう。

これをなんとかするのは至難の技と思う。

絶望だ…

しかし同時になんとかしなくちゃという使命にかられ
イヤイヤ作業したあげく無理をして
ワタシばっかりが大変!と爆発してしまう。

よくやってしまった

あのときワタシは、全部一度に完璧にやらなくちゃいけないものだと固く信じていた。ちゃんとやってるアピールを無意識のうちにしていたんだと思う。

しかしあるとき気がついた。
誰に見せるわけでもない、
これ、一度に全部やらなくてもいいんじゃないかと
小分けにすれば、気が楽になるじゃなかろうかと

例えば洗い物
まず第一段階として、お皿は汚れをさっと流して重ねておく
フライパンは水をいれてこびりついたものをふやかしておく
危ないから包丁だけ洗ってしまう。

おしまい

例えば取り込んだ山盛りの洗濯もの
バスタタオルとタオルだけたたんで風呂場へ持っていく

おしまい

いったんその場から離れて別のことをして
気が向いたら続きをするのだ

するとだんだんと洗いもの、洗濯もの山がくずされていき
まあ、いつかはなくなっているという寸法だ。

そして裏庭
これも一日一回、ちょっとだけでいいからむしる、と決める
極端な話、ひとむしり?でもいい
それでも毎日庭を眺めて気にかけていると、見て見ぬふりをしているときよりは、ずっと彼ら?に敵意というものが感じられなくなる。

気にかけていますよ、というのがたぶん庭にも伝わるのだろう

この作戦をとるようになって、ようやくワタシは自分のペースで
家事をこなせるようになったきた
ともすればパパが残りの食器を洗ってくれたりというラッキーもあり、思いがけない幸運に感謝もわきこそすれ
やってくれない!と恨み言を言っていたときよりずっと良い。

思うにこれは子育てにもあてはまるのではないだろうか

あれもやってない、これもやってない、
とやきもきして、
あれもさせよう、これもさせようと口を出して

イライライライラ
まったく動かない子らに爆発してしまう

彼らはまあ、庭とおんなじなのだ
どんなにがんばってキレイにしようと必死になっても
ワタシの思いどおりにはならないのだ

ワタシにできるのは気にかけていますよ、というのを毎日伝えることだけ
ちょっとづつちょっとづつ手を貸すことだけ

ふと顔をあげたら、なんだか素敵な庭になっている
そんな風だったらいいな、と思いながら今日も草をむしっている





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