幼少期の思い出

ずっと
私は毒親に育てられ
未だに毒親に苦しめられ
嫌だ嫌だと思って過ごしてきてたけど、

あの頃の両親が
両親なりに私たちを喜ばせようと家族の思い出を作ってくれていたことには感謝している。

手作りの誕生日ケーキ、
夏休みのキャンプ。
ピアノも習わせてもらったし
クリスマスプレゼントもくれた。

けど…
綺麗な思い出が圧倒的に少ない私の実家。

私は子どもの頃からいつも愛情不足感で、

学校から帰っても親は仕事でいないのに
危ないからと外に遊びに行っちゃダメなルール。

母が設定したお手伝いは絶対やっておかなくてはならない。

仕事から帰った母は玄関のドアを開けた瞬間から、その日の仕事のストレスをぶつけてくる。

私たちにご飯を食べさせたらいつも新聞を読んでるっていうのが母のお決まりのパターン。

父は夜勤で居ない日も多く、
居たとしてもいつも晩酌で飲酒してはテレビの虜。

年子の妹とおままごとして遊んだことだけがなぜか子どもの時の家の中での思い出。

あとは
夫婦喧嘩も多くて、
何かにつけて母が「出て行く!」と荷物をまとめて駅に早歩きしていくのを必死でついて行く思い出か。

そういえば

小学2年生の時、
漢字練習ノートをクラス全員が提出したあと
担任が私を呼び出した。

クラスメイトのノートの後ろのページに「しね」と書いてあったらしく

「あなたの字だね。」

担任は私が犯人だと思ったよう。

そう言われた時の私は
生まれて初めて消えてしまいたいと思った。

私じゃありません。

そう言っても担任は全く信じてくれず

すぐに教室を飛び出して家に帰ってしまいたかった。

けど
家に帰っても母は居ない。

それ以前に

こんな恥ずかしい私をお母さんに見られたら
ますますお母さんに嫌われてしまう。

そんな気持ちが強くて

私は教室を飛び出すことが出来ず
周りの子がいつも通り授業を受ける中
突っ伏したまま、その後の2時間を過ごした。

その日の授業が終わり、
担任が再び私を呼び出した。

「本当にあなたじゃなかったのならごめんなさいね。」

たった一言。

その一言で
その一件は片付けられてしまった。

担任の中では片付いたことかもしれないけど、
私はその後、大人になるまでずっとその事を引きずることになったその事件。

先生、あの時
明らかに私とは違う子の字でしたよね?
「し」って字の書き方に強い癖がある子、
私じゃなくて他に居ましたよね?

なぜ、
私が犯人だと思ったんですか?

私はそんなに悪い子でしたか?

あの時の自分を思い返すと、
今私が育てている子どもたちを見ながら
胸がぎゅっと苦しくなる。

あの時、泣きながら話を聞いて欲しかった人は

お母さん。

お母さんに聞いてもらえてたら、
担任にももっとしっかり謝罪してもらえたかもしれない。
大人になってまで引きずることなかったかもしれない。

けど、私たち親子には
その土台が無かった。

多分、
いつもきちんとしなさい。
ちゃんとしなさい。
あなたなら友達もたくさんいて当たり前。

母親のそんな完璧主義を子どもながらに感じていたから。

小さな私は、お母さんに嫌われたくなくて
この話を封印したのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?