兌換紙幣についての確認とその他。雑記。

 よく誤解、というよりは視点の持ちようと下積みの有無で解釈が分かれるのは「兌換紙幣は金(※以下ゴールド)の価値に紐づいている」という概念の解読に纏わる諸々ではないかと思う。

 兌換紙幣は確かにゴールドと連動させていたのだろうが実際に価値を生み出したタイミングは、ゴールドの誕生以降とは言い難い。ゴールドは紛れもなく採掘に携わった労務者によって生産された成果であり、むしろ労務者は労働(採掘)の対価(労賃)を政府から発行された通貨の形で受け取っていたと思われる。この労務者(採掘労働)は他の労務者が生産した成果(モノ・サービス)を購入、消費して生活を営み、また、課せられた税をその発行された通貨によって解消し罰を免除させられていたとすれば、ゴールドの希少価値なんぞがこの採掘従事者に一体どんな恩恵をもたらしたのだろうか。

 むしろこの労務者達の営みの多くは世間で言われるような兌換紙幣の影響の多くを回避していて、現代で起こる循環とほぼ変わらない。兌換紙幣の特徴に労務者達が関わる機会は、不景気になった時、通貨価値の温存手段として通貨をゴールドに変えておくぐらいだったのではないかと勝手な予想にまで至れる。

 順ってもし上記の前提が事実なら、当時の政府が景気に関わらずゴールドと通貨を均衡させておくことができたのは現代と同じく労務者達の生産活動が存在したからに他ならない。

 これらの動向は不換紙幣と石油に置き換わった事で増殖を見せたのだという話も読んだ事があるが、不換紙幣だからといって信用で成り立っているとするのは悪い教育の影響と言って差し支えない。兌換、不換を理由に経済成長などあるはずはなく、異様なまでの経済規模の増殖は間違いなく国家の根幹である労務者が貧乏くじを意図的に引かされ続けることで、労務者は資本家の金利の肥やしとして一生を労働に捧げなくてはならなくなった。

 これらの要素は小手先の雇用の問題然り、経済成長至上主義等々の問題を遥かに上回る因子であるのに、目に見えない資本家よりも目に見える労務者の方が叩きやすいのを理由に、実質八つ当たりの形で老人は集団自決した方が良いとか生活保護や医療費などを削るのに躍起になっている人間も珍しくはない。

 そもそも通貨の大元の国債に金利がついていて、ごく僅かであっても資本家がそれを購入できる上に元本割れが無いというリスクフリーの状態は謂わば本当に利益しかない投資であり、その利益は経済成長に向けて労務者が文字通り生命を削って生み出した生産物(モノ・サービス)が国家に増えれば増えた分だけ当然国力の増強に繋がるので上乗せされる。資本家は採掘もしないし自決もしない。

 この段階にあっては政府が支出を削って増税する事さえ犬の芸と同じパフォーマンスであるので、労務者の声が動物に届かない道理は通っている。犬の向く先は労働者の骨を持った主人である。

 最近では陰謀論的な態度を嘲笑する傾向が主流なようだが、その態度が正しいとしても陰謀論を否定して信用貨幣論やオイル価値説や経済成長神話を信じているならさほど変わりはない。

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