お絵描きAIの普及にあたっての雑感。日記

 まだ幼い時分に脳内の光景を瞬時に紙に落とし込めなくて絵の道を恨んだ事さえあったのを思い出すきっかけになったのが丁度、お絵描きAI関連のニュースを見た時だった。

 最近では随所で純粋な出力より劣るとしてもAIが書いた絵が並ぶようになった。クオリティには流石に難が付き纏うようで、指や表情や物と人の境界線が曖昧であったりと問題が見られるものの、整合性の取れている部分の品質が低いという事が無い。

 いつか安価で安全性の高い遊び目的のお絵描きAIが誕生した日には私も躊躇無くそれで遊び尽くすのだろうと思う。多分そこからメディアが失業の危険性を誇示し始めるかもしれないが、作画を生業にしている人間がいても正当な報酬を見積もって支払える人間は現在でも少ない。

 更に言及すれば今や日本の代表的産業である漫画であっても一場面を製作する労力と表現できる量が均衡を取れていない問題は以前として存在するし、このまま画家や絵師が冷遇され続ければ1枚づつめくる形式ではなく殆どが映像作品に移行を余儀なくされると勝手に考えている。

 今まで表現できなかった人々が表現可能になるというだけその影響は底知れず、いずれ1人で映画まで作れるとなれば社会はどこかで対応を迫られるだろう。とはいえこれは個々人の心情が高い確率で五感に愬えかけるための補助具と考えれば、これまで以上に精神的な挙動が精密さをもって相手に届くという利点もある。

 また、AIと人間を比べて独創性がどうのという話が度々議題に上がるのを見かけるが、既にお絵描きAIはかなりの独創性を見せている。数年前にもなるかと思うが文学でも将棋でも次々に利発な側面を発揮して鼻を明かしたのも記憶に新しい。分野を超えて集積されたデータを統合するかは別の話なのだろうが、それでも夢を見るには十分な要素になっていると感じている。

 畢竟創作行為そのものを改めて認識し直す時期を迎えているのかも、と低知能人類としては自分の危機的状況を棚上げして夢想が止まらない話題だった。

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